とある方のライフヒストリー

フィールドワークで出会った方々の、豊かな語りをなるべくそのままに。話し手も聞き手もその時出会ったからこそ、そこで話された物語を、ライフヒストリーの形で掲載します。

vol. 2

母の記憶、ラオス、子どもたち(1)

千花子さん

 
 
2020年12月25日
 

インタビュー開始。問わず語りに場面で想起した若い学生さんの来訪について話しはじめる。
 
やっぱり学生さんが 研究で私に聞いたことがあったんです。私はその時頭をね、3回も打ったんです。いよいよあっち行くかなぁ、と思ってね。肝心なことは忘れていけないとは思うけど、ちょっと残っているんですね。だから昔のことが思い出されてね。ああ、そうだ。学生さんがね。卒業生だったかな、お嬢さんたちがきてね。ここでね、やっていることとか、将来だとか聞きにいらしたことありました。もうずっと前ですけどね。
 
まあその時は、もう半分頭があれしていたかな、もう少し受け答えができたけど、今は完全にね。人様とふつうの話はできますけどね。もうね、大変なことは相談に来ても私はできないからって言って。ただ、自分が皆さんに、私はいつあの世に行っても構わないですけどね。もうこちらに今生きている人で本当に親しい人がいなくなっちゃたんです。この歳ですからね。そういうこと言っちゃ申し訳ないですけれど、早く逝きたいと思っている。むこうで早く来い来いって。だけど体がそういう風にはいかないしね。
 
ものすごく体が弱かったんです私は。先生が生まれた時この子は持ちませんよ、と言われて生まれた人なんです。それでね、頭を打ってから昔のことが蘇ってくる。不思議ですね。びっくりした。
 
くだらない話ですよ? 私がこういう状態になってから。ああこれでもう最後だな、おさらばだな。私はこれを待っていたからいいわと思っていたの。そうしましたら考えるとね、3歳頃の思い出がね、よみがえってきたんです。

3歳頃と言ったらね、まだ戦争がね、始まった頃でしょう? それでね、私の家に一人ずつ男の人が来てね。母が麦を外して少しでもちゃんとしたご飯にして、それを焚いておにぎりにして食べさせて、送り出したの。戦地にですよ。
これから戦地に行く人が、遠いところから来ているから、両親とか兄弟にお別れができないっていうわけ。したら母がね、何を聞いたのか知らないけどね、その人ね、もしよかったらうちでね、ご飯を食べてそれで行きなさいよ、って言って。それでご飯を作って。私はその時、3歳ぐらいでしたよね。ご飯食べさして、一人ずつ送り出してね。
 
母の言ったことは忘れませんよね。一人一人にね「元気に帰っていらっしゃいよ」戦争だからどうのこうのじゃなくてね、「元気に帰っていらっしゃいよ」って。私はそれをそばで聞いてましてね。
 
それがね、頭を打ってから昔のこと蘇って、そういうことが言葉にできたんです。不思議ですよね頭って。
私がまだ元気な頃。日本国中というわけにはいかないけど、一人で山あり谷あり越えて歩いて、太平洋から日本海にあるっていったことがあるんですよ。
 
——— え、太平洋から日本海?どちらから?
 あのね、本牧から。本牧から地図を見ながら、それで斜めに山越え谷越えですよ。そうすると日本海の方に出るんですよ。
 
——— 歩いて?
歩き。へへへ、それいうとみんなびっくりするの。
 
——— 日本海のどこに抜けるんですか?
新潟のほう。日本海のね。日本海の海の側だったかなあ。なんていうの、貧しい村ですよね。ま、そこに着いてね。もうむこうの人がびっくりしちゃったんです。若い人が一人で来た。太平洋の本牧から来た。びっくりしちゃって。それでね、一緒にご飯。ちょうど食事するからって囲炉裏を囲んでご飯を食べていろんな話をしまして。そんなこと。だから私もね、フィリピンから世界各国ではないけど、まあ一人前になってから、一人であちこちの国へ行きましたね。
 

 
——— 冒険をされていたんですね。
冒険ていうかね。なんというんでしょうかね、物好きなんですよ。人のやっていないことをやってみようと思って。だからうちに飾ってあるものは私が手をつけたか、気に入って買ってきたもの。人様から頂いたものは一つもないの。そういうへんちくりんなことをやっていたんです。
 
——— 人のやらないことをやってやろうというのは
人のやらないことをやってやるんだということでなくて、こんなに狭い日本ならあるったってたいしたことないだろってね。とんでもない話よね?
 
——— 他にどんな国に行かれたのですか?
外国に行くのはね、ラオスね。ラオスなんて国はほんとにどん底の生活の国ですよね。ラオス行ってね。ラオスのお偉い人に気に入られちゃって、よく面倒見てもらったり誘ってくれたりしてね。
 
ラオスでお別れ会をするっていうのでね。ラオスのお偉いさんが来て、喋れないから日本語が。私に通訳してくれってね。皆さんの前でね。私も英語なんてできないけど日本語と違って、私、という言葉を伝えるのも一言なんですよね。ラオスから引き揚げるときに61人の学校の生徒が集まって送りに来てくれた。大きな村の中にいくつも学校、塾みたいなのがあって。その生徒たちが来たりして、送ってくれましたね。私に、ここにいてくれて言われて。いるわけにはいかない。あなた優秀なんだから日本に来て勉強したらと言って。来たいと言っていたけど優秀だから国から出してくれなかったわね。
 
——— ラオスはご家族のお仕事で一緒に?
私? 一人で気まぐれ。オーストラリア以外は全部気まぐれ。
 
——— オーストラリアには20代ですか?
オーストラリアには、主人が転勤して。
 
——— 今でこそ気まぐれであちこち行けますが、当時も行けたんですか?
地図を見て、この国は貧しいんだからどこ行っても同じかな。歩けるだけ歩いてやろうとも思った。乗り物がないでしょ。私もバカだから真似しようたってできないことやってみようと。 
村に一歩入ると、ああ、ここは貧しい国だけど子ども達は元気だな、と。私は大人は関係なく、子どもに視線を。
 
——— たまたまラオスに行かれたの?
そう、あちこち、足の向くまま、気の向くまま。
 
——— ラオスに行ったのは何歳ですか?
ラオスに行ったのは、あの時はまだ結婚していなかった。私も頭が少しこんがらがってきました。一人でよくぞ英語も何もできないのにね。知らない、しかも野蛮っちゃあおかしいけど、日本よりぐっと劣っている、そういう国に足を入れたかと思うと。やっぱりね、私は子ども達に会おうと思ってね。そういうのは絵日記に書いてありますけどね。
 
 
(ここで「お風呂です」とスタッフから声がかかる。話の腰が折れて少しイラッとされる。)
 

 
(午後、風呂から戻ってきた千花子さんに、あらためてインタビューを再開。)
 
 
——— アイビーですね、どこからか株分けしてもらったんですか?
伸びてきたの。あるってる時にどこかから。大きな顔して引っこ抜いてくればいいと思って。新しくなっているでしょ?
 
——— 可愛いですよね。
無料のものを持ってきて エッヘッヘ! 植木鉢に入れてって、入れてもらったんですよ。
 
——— 歩いてちょっと見つけたりするんですか?
葉っぱだけっていうかね、生けたり。タダのもの。抜いてくるとそこでお湯が出るから洗ってね。こんなに伸びたわぁ、と思って。根っこも伸びて。もっとお水をあげるといいと思うの。
 
 
(千花子さん水をあげる。流しの水道で気前よく。満足そうに着席。)



(2)に続く
※ 人物の名称は仮名です