2019年11月の東京、神保町。認知症のある方ご本人をはじめ、ご家族、専門職、企業、自治体など、色々な立場の方々にお越しいただき、「認知症と共により良く生きる未来」を目指す「共創ワークショップ」を開催しました。
今回で3回目となる共創ワークショップは、第2回に引き続き「外出・移動」をテーマに設け、移動時の困り事や、普段行っている工夫・知恵を、認知症のある方ご本人から直接伺い、チーム内の様々な立場の方の視点から、移動がより良いものとなるアイデアやそのタネを考えていきます。
会場には、すでに何回かお会いしている認知症のある方々も来てくださって、おしゃべりが弾むなごやかな雰囲気でスタートしました。
ワークショップに入る前に、まずは認知症未来共創ハブ代表の堀田聰子(慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科教授)の挨拶です。堀田からは、以下の2つのことをお話しました。
ひとつは、認知症未来共創ハブは4つの団体(慶應義塾大学 ウェルビーイングリサーチセンター、日本医療政策機構、認知症フレンドシップクラブ、issue+design)が一緒になった活動体で、「認知症と共により良く生きる未来」を皆でつくって行く取り組みである事です。
もうひとつは「共創ワークショップ」を通じ認知症のある方ご本人達による語りと、学術的な考察を組み合わせながら、認知症フレンドリーな事業を形にして、それを後押しできるような施策につなげ、その価値を評価するという循環を作っていきたい、という願いです。
今回の共創ワークショップでは、「認知症のある方と様々な立場から参加くださった方々のお話を伺いながら、お出かけをもっと楽しいものにするためのアイデアやタネづくりを行っていきたい」と、堀田は挨拶を締めくくりました。
次は、認知症未来共創ハブ運営委員であり、issue+design代表の筧祐介からの挨拶です。認知症のある方にとって、生活の困り事の背景には様々な認知症の心身機能障害があるにも関わらず、その関係性に関する既存研究はほとんどありません。筧は、漠然とした状態になっている問題を明らかにするため、認知症のある方100人のインタビューを行っている事を以下のように話しました。
まず最初に、認知症のある方100人のインタビューは、次の3つの質問をしながら進めています。
【1】皆さんの生活や人生の喜び、実現したいことは?
【2】その実現に向けて、いつどんな時に暮らしづらさを感じるのか?
【3】その背景に、どんな認知機能の課題を抱えているのか?
医師の視点から「認知症になるとこんな障害がおきる」という情報や、介護士の視点から語られる認知症についての話は沢山ありますが、認知症のある方ご本人の視点で語られる情報の層はまだ極端に薄い状態です。認知症のある方100人のインタビューによって、その情報の層を厚くし、世の中に広めていく事を活動の目的としています。
次に、認知症のある方の困り事が漠然とした状態で扱われている事について、「見慣れた道でも迷い、目的地にたどり着けない」という問題を例にとって、筧から具体的な解説がありました。たった1つの困り事でも、以下のように大きく4つの心身機能障害が背景にあるそうです。
①注意や知覚のトラブル
例えば、いつもの病院に行くのに普段は全く問題が無いのに、たまたま目印にしていた花屋さんが閉まっていた為に「花」という目印を失ってしまい、方向が分からなくなる。
②認知のトラブル
二次元の地図を、自分のいる三次元の空間に置き換えて判断する事が難しく、迷ってしまう。または、駅構内によくある「上向き」の矢印が、「直進」ではなく「上」を意味すると思ってしまう。
③階段を降りる時のトラブル
階段一段一段の奥行きや距離の感覚が分かりにくく、一歩一歩に不安や危険を感じる。
④自動車運転中のトラブル
視野が狭くなり、赤信号が視界に入らなくなったり、前の車との距離感が分かりにくくなったり、複数の行動を要求する駐車が難しかったりする。頭の中では左のブレーキを踏もうとしているのに、足は右のアクセルを踏んでしまっているというケースも。
筧は、このワークショップで認知症のある方ご本人から生活課題の原因や背景を直接伺いながら、誰もが行きたいところに行ける喜びを感じ、会いたい人に会える毎日を送れるようにするために、私たちは何ができるかを考えていきたい、と話しました。
いよいよワークショップの開始です。まずは各チームに入ってくださった認知症のある方ご本人からのインプット・トークの時間です。認知症と診断されるまでの経緯や、その状況、診断された時の気持ち、その時の対応や周囲との関わりなど、いくつか質問を用意してチームごとにインタビューを行いました。
Hさん(男性・50代・アルツハイマー型認知症)のインプット・トーク
Hさんが自分自身に違和感を持ったのは、会社での仕事が事務職に変わり、パソコン作業で細かい数字を扱う仕事がうまく行かない事からでした。正確なデータが作れなくなりコピーをいくつも作ってしまい、正しいものがどれかわからなくなってしまったり、大事な書類を無くしてしまい同僚が探したら出てきたという事があり、町医者で診察を受けます。そのときは「なんでもない」と言われ、そのまましばらく過ごしていました。
その後、会社の上司から認知症専門病院に行くようにアドバイスされ、認知症と診断されます。会社は休職し、奥様のすすめでデイサービスに通う事になったのが、気持ちが前向きになったきっかけでした。デイサービスでは、お金を払って行っているのにやりたいことがやれないという不満から、希望をどんどん伝え、こうあるべきと思うサービス内容に近づけていってもらいました。
現在は、そのデイサービスを卒業し、新しく仕事に就いて充実した毎日を送っています。認知症でなければ、トレーラー免許があるので良いお金になったのに……という言葉を漏らしつつ、担当医から運転を止められているため、現在、車の運転はしていません。認知症のある人自らが「移動」を考え実行するのは難しい為、「思った事を伝えたい相手に正確に伝えることができる仕組み」があるといい、とHさんは考えています。
Hさんの移動に関する困難と実践している工夫や知恵は、次の通りです。
〜移動に関する困難〜
〜実践している工夫〜
樋口直美さん(女性・50代・レビー小体型認知症)のインプット・トーク
樋口さんは、認知症のなかでも、アルツハイマー型の次に多い、レビー小体型認知症と診断されています。アルツハイマー型のような物忘れはありませんが、様々な脳機能障害、自律神経症状、嗅覚障害などがあり、体と脳がすぐ疲れてしまいます。レビー小体型は薬の副作用が出やすいのですが、樋口さんは36歳の時、アレルギーの薬で立ち上がれなくなった経験があり、30代終わりから幻視が現れるようになりました。41歳でうつ病と誤診され、6年間も薬の副作用に苦しみました。幻視からレビー小体型認知症を疑って専門医を受診し、正しく診断されたのは、50歳の時でした。
当時は希望を持てる情報がまったくなく、急激に進行していくだけと思い込んでいましたが、友人に誘われて旅行に行き、楽しく笑いながら過ごすと症状が改善することを実感しました。悪くなる一方ではないと分かると、希望を持つことができ、生きる力が湧きました。
また、同じ病気の人とつながる事も、孤独感から解放されるポイントと樋口さんは語ります。社会の、幻覚に対する異常視や偏見は強く、最初は幻覚があることを隠していました。しかし社会の認識を変えるために、実名と顔を出して積極的に伝えるようになりました。
2015年に出版された樋口さんの日記『私の脳で起こったこと』(ブックマン社)は日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞を受賞。2020年3月には『誤作動する脳』(医学書院)を出版するなど、執筆活動を続けています。樋口さんは認知症未来共創ハブの「認知症の歩き方」というコラムの監修もされています。
樋口さんの移動に関する困難と実践している工夫や知恵は、次の通りです。
〜移動に関する困難〜
〜実践している工夫〜
Mさん(男性・60代・アルツハイマー型認知症)のインプット・トーク
Mさんはいままでのストーリーを、奥様と一緒に話してくださいました。50代半ばごろから軽い物忘れの自覚がありましたが、少しずつ症状が強くなるにつれ、メモの量がどんどん増えて仕事に支障が出るようになりました。頭の中がゴチャゴチャになったような感じがあり、その原因を知る事が目的で、物忘れ外来を59歳の時に受診しました。
認知症という診断は、納得せざるを得ない結果でした。が、最初はショックで簡単には診断を受け入れられず、地域の人・会社の人・親戚などの誰にも、認知症がある事を知られたくないと思っていました。2年たった頃に、若年性認知症の太田正博さんが書かれた『マイウェイ 認知症と明るく生きる「私の方法」』(小学館)を読み元気づけられ、病とともに生きていくにはどうすれば良いか、前向きに考え始める事が出来たそうです。
あと9ヶ月で定年というところでの認知症診断だった為、本当は仕事を継続したかったにもかかわらず、翌年度の話をしたときに会社から「再雇用はできない」と言われてしまいます。会社への通勤も1時間ちょっとかかり、奥様も無理をさせたくなかったということもあって、気持ちを切り替えました。現在Mさんは、認知症であっても 働き続けられる社会を目指す町田市のデイサービス「DAYS BLG!(BLG=Barriers Life Gathering)」に通って過ごしています。
Mさんの移動に関する困難と実践している工夫や知恵は、次の通りです。
〜移動に関する困難〜
〜実践している工夫〜
Bさん(男性・60代・アルツハイマー型認知症)とSさん(男性・70代・ピック病)のインプット・トーク
このチームには、BさんとSさんお二人の認知症のある方にご参加いただきました。
最初に語ってくださったBさんは、車好きで仕事でも車に乗る事が多く、ご自身も車を所有していましたが、自分が事故を起こして他人に危害を与えてしまう可能性も考慮し、運転をやめる決意をしました。認知症と診断された時は、自分でも行動や思考が少しおかしいと感じていた為、仕方がないと思ったそうです。日々、事故を起こさないよう、怪我をしないよう、慎重に生活しています。
Sさんは、奥様が先にSさんの異変に気がついて、認知症の診断を受けました。退職後の事だったので、職場の人の目を気にする必要は無く、生活全般を支えている奥様が率先して車を売却処分し、Sさんもそれが正しかったと思ったそうです。Sさんはひとりで電車や地下鉄で移動ができますし、自転車にも乗れるため、認知症になってからの方が逆に事故は少ないかもしれない、と話してくれました。Sさんはピック病(前頭側頭型認知症の一つ)で、自分の脳が萎縮し始めているのを、悲しい気持ちで眺める経験もありました。奥様がSさんを連れて「若年認知症いたばしの会 ポンテ」へ行くようになり、最初は乗り気ではなかったものの、話し相手になりながらお酒も付き合ってくれるパートナーさんとの出会いにより、前向きな生活に変化したそうです。
BさんとSさんの移動に関する現在の困難は、次の通りです。
〜移動に関する困難〜
山田真由美さん(女性・50代・若年性認知症)のインプット・トーク
名古屋に暮らす山田さんは、40代の時に、靴下がくるっとまるめられなくなるという小さな異変に自分で気づきました。上手だった字も書き間違いをしたり、簡単な事ができなくなったりしましたが、最初は年のせいと思っていたようです。ある日、山田さんからの年賀状を見た友人が「男の人が書いたのかと思った」と山田さんに伝え、友人のすすめで病院を受診しました。診断はうつ病でした。その後も職場でよく使うホースを丸める事ができなくなったり、症状が悪化した為、再度病院に行ったところ、若年性認知症と分かりました。
50代で自分が認知症と診断されたことに驚き、山田さんは家族と共に悲しい気持ちでしばらく過ごしていました。山田さんの気持ちを前向きに変えたきっかけは、若年性認知症本人・家族交流会「あゆみの会」での、同じ若年性認知症の女性との出会いでした。山田さんは、もともと外出好きな明るい性格だったため、自分が出来ない事は周囲の人達に伝えながら、色々な場所に連れて行ってもらえるようにしています。車の免許も返納しましたが、友人達が温泉など好きな場所へ連れて行ってくれる為、困っていません。
現在、山田さんは全国で講演活動を行っています。認知症により後ろ向きになってしまうと、周囲の助けを得られなくなる事をよく理解している山田さんは、講演会で認知症のある方が前向きに生き、頼り上手になれるように変化を促しています。
山田さんの移動に関する困難と実践している工夫や知恵は、次の通りです。
〜移動に関する困難〜
〜実践している工夫〜
後編は、1月22日(金)の公開を予定しています。
こちらもぜひお楽しみに!