認知症政策の国際潮流

最近の国内外の動向も含めた、認知症政策の現状と展望についてご紹介します。

vol. 3

2019年7月AAIC国際会議・WDC14速報

今回のコラムでは、2019年7月にアメリカ・ロサンゼルスで行われた「アルツハイマー病協会国際会議(AAIC: Alzheimer’s Association International Conference)」と「世界認知症審議会(WDC: World Dementia Council)」の模様と、現地で発表、議論された最新の認知症政策に関する情報をお届けします。

AAIC2019 -最新の国家戦略の発表やアメリカならではの議論も-

アルツハイマー病協会とAAICについて

 アルツハイマー病協会は、1980年にアメリカで創設された非営利団体です。創設者のJerome H. Stone氏は、1970年に彼の妻がアルツハイマー病と診断された際、一般社会のみならず医学界においても、疾患についての情報があまりに少なかったことから、アルツハイマー病に直面している人々や、それらの研究に取り組む人々への支援の重要性を実感し、創設しました(*1)。
 
 AAICは、アルツハイマー病協会の年次総会として、世界を代表する基礎科学、臨床、ケアに関わる研究者や医師などが一堂に会して、アルツハイマー病の予防および治療の方法と診断の改善につながる研究成果を共有しています。会議のメインは基礎研究、臨床研究に関する報告ではありますが、政策に関わるポスター発表やブース出展も多数見られました。

ロサンゼルス・コンベンションセンターで口頭発表・ポスター発表などが行われた

2019年6月に発表されたカナダ政府の第一次認知症国家戦略

 いくつかの発表の中、私が最も関心を持ったのが、カナダが出展していたブースでした。企業やNGOによるブースが大半を占める中、カナダは政府の公衆衛生局(Public Health Agency)が直々に出展しており、担当者にお話を聞くことができました。ここでは、カナダ政府が2019年6月に公表した第一次認知症国家戦略について簡単にご紹介します。
 
 カナダの2018年7月時点の人口は約3700万人、65歳以上の高齢者の割合は17.2%と、日本と比べて人口は3分の1程度、高齢化率も10%以上低くなっています(*2)。現在、カナダで暮らす認知症の人の数は約43万人とされており、うち若年性認知症の人は3%の13,000人程度とされています(いずれも2016年時点の数値) (*3)。
 
 担当者によれば、カナダではそれまで認知症に関する研究開発の戦略やケアのガイドラインなど、政府やアカデミア、市民社会などそれぞれのセクターが個別に策定をしていたものの、国家全体を包含する戦略は存在していませんでした。
 
 こうした中、WHOをはじめ国際的に、認知症国家戦略策定の機運が高まり、カナダでも2017年6月に「アルツハイマー病およびその他の認知症に対する国家戦略を策定する法律(The National Strategy for Alzheimer’s Disease and Other Dementias Act)」が制定され、一気にその動きが進みました。2018年5月には全国認知症会議(The National Dementia Conference)が設置され、認知症の人やその介護者を含む、アカデミアや政府関係者、医療介護の専門職などが集まり、カナダにおける認知症の現状や課題、今後注力すべき領域について継続的に議論が行われました。こうしたマルチステークホルダーによる議論と、様々な研究機関による調査・分析などを踏まえ、認知症関係閣僚会議(The Ministerial Advisory Board on Dementia)での議論を通じて、2019年6月に初めての認知症国家戦略「A Dementia Strategy for Canada: Together We Aspire」が公表されました(参照:カナダ政府公式ウェブサイト)。下記は、この国家戦略の概要です。

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ビジョン

カナダに暮らす全ての認知症の人とその介護者が尊重され、支援を受けることができ、最適な生活を送ることができる。さらには認知症を予防し、人々が認知症を正しく理解し、そして効果的な治療ができること。

5大原則

    1. 生活の質を高める:認知症の人とその介護者の生活の質を重視する
    2. 多様性を守る:最もリスクの高い人々や明確なニーズがある人々に着目した包括的なアプローチを確実にするため、多様性を尊重する
    3. 人権を尊重する:認知症の人の自主性や尊厳を守るべく人権を尊重する
    4. エビデンスに基づく:最適な知識やデータの収集や共有について広範なアプローチをとり、根拠に基づく意思決定を行う
    5.結果に注視する:必要な評価や調整を含めた進捗管理を行うべく、結果に着目したアプローチを続ける

重点3領域と各注力分野

    1 認知症を予防する
      1.1 修正可能なリスクや防御因子を明らかにするために研究を推進する
      1.2 効果的な介入の適用を促進し、周知するためにエビデンスを構築する
      1.3 修正可能なリスクや防御因子、効果的な介入を広く周知する
      1.4 健康的な生活および健康行動を促進する社会的・物理的な環境の構築を支援する
     
    2 治療法を発展させ、根治可能な治療法を発見する
      2.1 カナダにおける戦略的認知症研究の優先事項を作り、定期的に見直しを図る
      2.2 認知症研究を増やす
      2.3 革新的かつ効果的な治療方法を開発する
      2.4 治療法の開発に認知症の人やその介護者を参画させる
      2.5 臨床やコミュニティ支援も含めた戦略を裏付けする研究成果の活用を増やす
     
    3 認知症の人やその介護者の生活の質を高める
      3.1 スティグマを根絶し、認知症の人が包摂される協力的で安心できる社会の構築を推進する
      3.2 生活の質を最大化するような計画や行動を支援するために早期診断を可能にし、推進する
      3.3 診断直後から終末期まで、良質なケアへのアクセスの重要性を広く訴える
      3.4 エビデンスに基づいた文化的に適切なケア基準ガイドラインへのよりよいアクセスと活用などを通じて、介護提供者の能力向上を図る
      3.5 必要な資源やサポートへのアクセスを含め、介護者である家族・友人への支援を向上させる

国家戦略の効果的な実施に向けた5本柱

    1. マルチステークホルダーによる協働:国内のすべての政府機関と認知症関連施策に関わる全組織の協働の推進
    2. 研究開発とイノベーション:予防、治療、治癒、生活の質に関する研究開発
    3. 調査とデータ:国内における認知症のインパクトについて理解を促進し、かつ効果のある取り組みを明らかにし、支援するための調査の推進とデータベースの構築
    4. 情報資源:アクセスしやすくエビデンスに基づいた情報資源の構築
    5. 専門職人材:現在、そして将来に渡って質の高い認知症ケアを提供し、さらなる研究開発を促進するスキルを有した専門職人材

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 カナダ政府の戦略を見ると、まさに近年の国際的な潮流を踏まえて構築された戦略であることが読み取れます。まずは、前回のコラムで扱った「人権ベースのアプローチ」が5大原則に含まれていることです。認知症の人やその介護者の生活の質を高めるという点でも、まさにこうしたアプローチは必須であり、世界の認知症政策における潮流と言えます。
 
 また「認知症を予防する」という項目においては、様々なリスク因子の中で予防できる部分とそうでない部分があるという最新の研究(*4)を前提としながら、予防可能なリスク因子を明らかにしていくという明確な姿勢がうかがえます。
 
 ブースで会ったカナダ政府の担当者に「日本の政策を知っていますか?」と聞いてみました。しかし残念ながら、日本の認知症政策については知られておらず、日本医療政策機構が運営する日本の医療政策を日英でまとめたプラットフォーム「Japan Health Policy NOW(JHPN)認知症編(英語版)」の冊子をお渡ししました(参照:日本医療政策機構ウェブサイト)。帰国後もその担当者の方と情報交換を進めています。また続報があれば、本連載でもご紹介したいと思います。

カナダの認知症国家戦略「A Dementia Strategy for Canada: Together We Aspire」の表紙

その他AAICのトピック

 その他の様々なセッションやポスター展示では、日本の学会ではなかなか聞くことのできない「アメリカならでは」と感じたものがいくつかありましたので、簡単にご紹介します。
 
 アルツハイマー病の進行に伴う運動能力の低下を自動車の運転能力によって比較した研究では、年齢、性別、教育歴などは同様の条件で比較したところ、Caucasian(白人)に比べてAfrican-American(黒人)の方が、運動能力の低下が顕著であったというものです(*5)。
 
 また保健活動という文脈では、近年「認知症にやさしい教会(Dementia-Friendly Church)」の重要性が増しているという報告がありました。認知症の人やその家族が協会に足を運ぼうとしても、理解が得られず、礼拝に行きづらくなることでコミュニティから孤立する問題が起きているそうです。そこで、教会関係者や地域の方々、介護者、認知症の人へのインタビューを重ねて「認知症にやさしい教会」に必要な5つの要素を導き、実際に実践しています。

 

    1. Resourceful (情報が十分にある)
    2. Welcoming and Friendly (歓迎され、親しみやすい)
    3. Inclusive and Comfortable (包摂的で、居心地が良い)
    4. Understanding and Accepting (理解があり、受容的)
    5. Connected about Personal Well-being (個人的な幸福を感じる)

 
 こうした要素を満たすことができるように実際に実践することで、認知症の人や家族も礼拝に参加する心理的ハードルが下がり、また地域コミュニティの中でも教会を核として認知症を受け入れる土壌が出来上がったとのことでした(*6)。

世界認知症審議会(WDC: World Dementia Council)14レポート

 最後に今回AAICにあわせて開催された、WDCの様子についてもご報告します。第1回のコラムでもご紹介したWDCは、イギリスのキャメロン首相のリーダーシップによって、2013年のG8認知症サミットをきっかけに発足しました。WDCには当機構代表理事の黒川がメンバーとして参加しており、私たちHGPIスタッフ(吉村・栗田)もその随行として参加をしてまいりました。以下、吉村が当機構ウェブサイトにて報告したWDC14レポートを引用します(参照:日本医療政策機構ウェブサイト)。

 
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 今回の会合では、まず、今年WDCが実施している2つのプロジェクト「認知症に優しいコミュニティ エビデンス収集」、「データ共有」についてメンバー間で意見交換が行われました。これらのプロジェクトはWDC発足のきっかけとなった2013年G8認知症サミットにおいて発表されたコミュニケの論点であり、また前回のWDC会合で合意された「研究、ケア、リスク軽減、コミュニケーション」の強化を目的に設定されたもので、認知症に対して社会的かつ科学的なアプローチの両方を推進するWDCの姿勢が反映されています。 
 その後、WDCが2021年までに注力すべきアジェンダについて、闊達な議論が交わされました。2013年のG8認知症サミットのコミュニケで目標に掲げられている2025年までの認知症治癒薬または疾患修飾薬の開発を見据えた話や、予防やリスク軽減、診断に関する研究や技術開発、介護の重要性など、様々な分野においてWDCが果たすべき役割や長期的なコミットメントに対する責任など議論になりました。

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WDCでは世界中から集まった様々な分野のエキスパートが立場を超えて自由闊達な議論を行っています

まとめ ―政策研究において国際潮流を捉える意義とは―

 認知症に限らず政策研究において、国際潮流を捉えることはいまや必須となっています。理由は様々ではありますが、その1つは「トレンドを知って比較することの重要性」があるでしょう。陳腐な例ですが、私たちは買い物をするとき、お店でもインターネットでも、今の流行や売れ筋商品をチェックします。その後で、元々買う予定であったものを買うこともあれば、予定を変更して流行に合わせたものを買うこともあるでしょう。トレンドを知ることで、自身の選択する物事の位置づけを知ることができますし、自身の判断を振り返り、時にはその判断に安心することもできるようになります。
 
 特に国の政策は、頻繁に相互参照を行う地方政府の政策と違い、国内で比較をすることができません。だからこそ同じテーマで世界の国々がどのような政策を掲げているかという点に注目し、常に日本の立ち位置を理解する必要があるのです。これはもちろん他国と比較し、何でも輸入すべきということでは決してありません。どの分野の政策においても、その基盤となる仕組みや社会環境、さらには文化的背景が国や地域によって異なりますから、単純に同じ政策を採用しても課題が解決するということにはならないと思います。
 
 さらに私は、政策研究において、政策の中身もさることながら、その過程を比較することが重要と考えています。認知症未来共創ハブ運営委員の自己紹介ページにも書きましたが、私は「政策は常に100点満点といえる方向性を示すことはできない」と考えています。その理由は、ある政策に影響を受けるステークホルダー各々の考えや立場は常に異なっているため、全員の意見が完全に一致し、全員が納得する政策を作ることは非常に困難であるから、つまり「絶対的な正しい答え」がないからです。だからこそ、その政策立案の過程で、多様な意見が交わされたか、様々な立場の声を拾い、それぞれを検討するプロセスがあったかということが大切になるのです。そして、そうした十分なプロセスを経て決定した政策に対しては、私たちもその政策目的の実現に向かって協力する責務があるといえるのではないでしょうか。
 

参考文献

*1 Alzheimer’s Association 「Our Story」 (最終アクセス:2019年8月15日)
 
*2 Statistics Canada「Canada’s population estimates: Age and sex, July 1, 2018」(最終アクセス:2019年8月15日)
 
*3 Canadian Institute for Health Information 「Young-onset dementia」(最終アクセス:2019年8月15日)
 
*4 Livingston Gほか(2017)「Dementia prevention, intervention, and care」The Lancet390号
 
*5 Ganesh Babulal(2019)「The Effect Of Race On Driving Performance, Self-Reported And Naturalistic Driving Behavior Among Older Adults」『AAIC2019』
 
*6 Fayron Epps(2019)「Creating Dementia-Friendly Faith Villages To Support African-American Families 」『AAIC2019』