<POINT>
・基本法は時代とともに、その性格・役割が少しずつ変化している
・認知症基本法には啓発・省庁横断といった要素が特に期待されている
・認知症基本法は「きっかけ」に過ぎず、成立後を見据えたアクションが必要である
はじめに
前回のコラムでは、認知症基本法がつくる「公共性」について考えました。その中で、認知症基本法は、むしろ認知症とかかわりの薄い人にこそ重要ではないかとお伝えしました。「自らの属さない共同性との間に人工的な関係性を打ち立てる」には、法律という形で、大きな枠組み、つまり「公共性」を作り出すことが求められるのです。今後、認知症基本法について超党派での議論が始まります。今回のコラムでは認知症基本法制定の重要性を広く訴えていくに当たり、改めて「基本法」について考えたいと思います。
そもそも「基本法」とは?
基本法は、国会で制定された法規範であり、その点に関しては個別法律と形式的な効力の差はありません。しかし、一般的に権利義務関係を規定する個別法律に対し、基本法は「『ものの考え方』が記載されており、基本法において記載されている内容が、立法府に対する立法指針、行政府に対する解釈・運用指針として作用するという政府の答弁も存在している」(山崎,2010)法律です。このことから考えれば、一定程度、憲法―基本法―個別法律―政令・省令という関係性が成立し得ると言えます。さらに「基本法制定時には既存の個別法の調整や必要に応じて改正を行うこと、基本法制定後には、個別法の改正に際して基本法等の整合性に配慮することで、指針としての基本法の存在意義が発揮される」(川崎,2006)との主張もあり、将来のみならず、既存の個別法に影響を与えることができると考えられます。また、基本法によって将来の立法の在り方に対する指針を示すという観点からも、基本法の制定によって、単なる政治的責任ではなく、法律上の義務付けによって拘束力を発揮できるというメリットがあると言えるでしょう。
では、基本法はこれまで社会でどのような役割を担ってきたのでしょうか。山崎栄一はその沿革を大きく4つの期に分類しています。はじめて「基本法」が名称として制定されたのは、教育基本法(1947年)でした。また、原子力基本法(1955年)なども同様に、第一期とされるこの時期の基本法では、理念や方針を明確化することに重きが置かれていたといいます。1960年代には、第二期に突入します。この時代の基本法は、政策の方向性を規定する役割を持っており、農業基本法(1961年)は「関係団体等からの要求・働きかけなどを背景として、一種の保護法的な意味合い」(山崎,2010)も持っていたとされています。また災害対策基本法(1961年)は、1959年に発生した伊勢湾台風による災害を機に、個別制度に分散していた災害対策を統合する目的で制定されました。第三期は、公害対策基本法(1967年)交通安全対策基本法(1970年)など、高度経済成長に伴って生じた社会的課題に対して、包括的に対応することを目的として基本法が制定された時代と分類しています。
そして現在が第四期に当たります。環境基本法(1993年)、高齢社会対策基本法(1995年)、男女共同参画社会基本法(1999年)など、社会の在り方がこれまでの時代と大きく変わる中で、新たな時代と共に生ずる課題に対応することを目指し、基本法の制定が盛んになっています。少子高齢化対策やテクノロジーに関わるもの、また農林水産業の振興や各種経済対策を意図した基本法など、枚挙にいとまがありません。宇宙基本法(2008年)やスポーツ基本法(2011年)といったものまで制定されています。下図をみればお分かりの通り、2000年代が突出しているものの、戦後に比べて制定された基本法の数は増加しています。高度経済成長、そしてバブル経済の崩壊を経た日本の経済状態や、印刷技術の発明以来のネットワーク革命とされるインターネットの普及によって、日本社会・文化・産業がこれまでとは違う局面を迎え、それに伴う変化や課題に対応するために、様々な基本法が整備されてきたと言えそうです。
さらに認知症基本法を考える上では、モデルとされた障害者基本法(1993年)はもちろんですが、近年の医療に関する基本法の増加は見逃すことができません。がん対策基本法(2006年)を筆頭に、ハンセン病問題基本法(2008年)、肝炎対策基本法(2009年)、アルコール健康障害対策基本法(2013年)、アレルギー疾患対策基本法(2014年)、ギャンブル等依存症対策基本法(2018年)、脳卒中循環器病対策基本法(2018年)などが挙げられます。あいにく、本コラムを執筆している2020年3月現在、日本をはじめ世界各国は新型コロナウィルス(COVID-19)という感染症との対峙の真っ最中ですが、近年の医療政策は「感染症から非感染性疾患(NCD: Non Communicable Diseases)へ」と考えられています。特にNCDでは、疾患を持ちながら日々を生きることが前提になっており、彼らの生活の質(QOL: Quality of Life)の向上には、医療という一側面に限らず、生活に関わる様々な領域に課題を抱えています。
認知症施策推進大綱からも分かる通り、すでに政策課題としての認知症はこれまでのように厚生労働省の施策のみで完結する課題ではありません。ご存知の通り、医療計画や介護保険事業計画など、現行の医療・介護・福祉の計画において認知症が項目として含まれていますが、これ以外の領域では認知症に関する計画はまだありません。塩野宏は、基本法が備える性格を、1.啓蒙的性格、2.方針的性格、3.計画法的性格、4.省庁横断的性格、5.法規範的性格の希薄性(権利義務内容の抽象性・罰則の欠如)に分類しています。(塩野,2008)このうち、特に「1.啓蒙的性格」「4.省庁横断的性格」は認知症基本法の役割として重要な点と言えるでしょう。
まとめ
今回のコラムでは、行政法としての基本法の位置づけやこれまでの変遷について整理しました。認知症という政策課題にとって、基本法が持つ性格を鑑みれば、一定程度の必要性を持つものと言えるでしょう。
もちろん認知症基本法などなくても、「認知症の人が尊厳を保持しつつ社会の一員として尊重される社会の実現」(認知症基本法案第一条より)が実現されるのであれば、それに越したことはないのかもしれません。しかし社会契約説で説明されるように、私たちは「共通善」を求めて「契約」を結び、市民社会を作りました。そして今日の日本では、特定の権力の思いつきや自己目的のために決定や判断がなされることのないよう、市民社会における「共通善」が安定的・持続的に最適化されるよう、法治国家として法律に依拠して社会が動いています。
前回のコラムでも言及しましたが、認知症を自分事として捉えている人と、まだそのような機会のない人の間に「公共性」が必要になります。その観点から言えば、認知症基本法は、新たな時代と共に生じた認知症という政策課題に対する「共通善」を探すための「公共性」の役割を果たすと言えるでしょう。そして、公共性を前回同様に「共同的な信念にもとづく自然的な一体性・同質性ではなく、複数の異なる共同性のあいだに人工的な関係をうちたてるはたらき」と定義するならば、公共性とは「きっかけ」に過ぎず、スタートラインであってそこに多くを期待するものではありません。
いざ法律を作るとなれば、細かな点も含めて様々な意見が飛び交うことでしょう。その議論はいくらし尽くしても際限がないかもしれません。議論が活発に行われることは素晴らしいことです。しかし時として、その議論は社会の中に一体性・同質性を求めすぎてしまうことにもなりかねません。私たちはそれぞれに、年齢・性別・立場・考え方が違います。認知症基本法は全員を同じ方向に向かせるためのものではなく、違う方向を向く人々が「共通善」を生み出すことができるよう、その「きっかけ」としての公共性を作り出すものです。
このところ、新型コロナウィルスで非日常が続いています。社会全体がギスギスしているように感じる方は少なくないと思います。人間が作り出してきた社会は「共通善」を求めていることを今一度思い返す必要があるのではと、感じています。