<POINT>
2021年8月初旬の週末、ある精神障害の当事者団体が主催したシンポジウムに参加しました。私は日本医療政策機構(以下、HGPI)にて、認知症政策プロジェクトの他に、メンタルヘルス政策プロジェクトの担当マネージャーをしています(これらは一括りにされるケースもありますが、HGPIでは認知症とその他メンタルヘルスについて、別プロジェクトとして扱っています。メンタルヘルス政策プロジェクトは2019年度よりスタートしました)。HGPIは「エビデンスに基づく市民主体の医療政策の実現」をミッションとしており、各プロジェクトにおいて、様々な患者・当事者団体と密にコミュニケーションを図っています。こうした患者・当事者団体が主催するシンポジウム等にもできる限り参加するようにしています。COVID-19の流行が始まって以来、HGPIももちろん、多くのシンポジウムや会合がオンライン開催となり、本当に久しぶりのリアルな場への参加でした。
シンポジウムでは、日本の精神科医療において長年の課題とされている長期入院について、当事者の体験談や政策変革への想いなどを伝える講演やパネルディスカッションなどが行われました。特に印象的だったのは、現役の精神科医が脚本を書いた、精神科病院をテーマとした演劇でした。まだご覧になっていない方も多いでしょうし、本件についてここで触れることへの特別な許可も頂いていないので詳述は避けますが、民間精神科病院を舞台とし、長期入院している患者と医師、そして周囲の医療者の人間模様やそれぞれの葛藤、そしてそれを生み出している社会への問題提起が描かれていました。全体のメッセージとして(少なくとも私が感じ取ったものとして)「社会の中で置かれた役割を取り払い、自分の想いを自分自身が理解し、発することの重要性」がありました。それは決して患者による語りのみならず、医療者に対しても、その役割に囚われることなく自分の想いを語ることを訴えかけているように感じました。劇中には「自分の名前を取り戻す」という表現が度々出てくるのですが、人はいつしか「立場」というフィルターによって本当に感じていることを表現できなくなってしまう、そういったことへの警鐘を鳴らしているように感じました。久しぶりのリアルな場で、人の息づかいや場の緊張感と共に、人が自らの経験や想いを自分の言葉で語ることの大切さ、そしてその言葉を受け止めることの大切さ、心に響く「語り」を強く感じる機会になりました。
本人の「語り」をどう受け止めるか
ご承知の通り、認知症領域における当事者(とりわけ認知症のご本人)による発信は、国際的にも、そして日本でも日々盛んになっています。最近では、認知症のご本人による著書やwebサイト上のインタビュー記事なども多くあり、一昔前に比べて私たちが認知症のご本人の「語り」に触れる機会は格段に増えています。日本医療政策機構でも、これまでにも多くの認知症のご本人にシンポジウムにご登壇いただき、それぞれの経験や想いに基づくお考えを発信いただいています。
また2019年に政府が策定した認知症施策推進大綱では、5本柱の1つに「普及啓発・本人発信支援」が掲げられています。具体的な施策として、認知症本人大使(通称:希望大使)や「キャラバン・メイト大使」の創設や、診断後の暮らしのアドバイスをまとめた「本人にとってのよりよい暮らしガイド(本人ガイド)」の作成、各地域における「本人ミーティング」の開催などが挙げられています。
一方で、本人発信が盛んになるにつれ、その経験や想いを受け止めるだけでなく、そうした発信が社会においてどう位置付けられるのかについても考えることが必要と言えます。文化人類学者の北中淳子氏は、当事者発信・当事者運動が盛んになり、政治的に力を持つようになると、誰が最も「正統な」当事者であるのかという「代表性」についての課題が生じると指摘しています。(※1)次第に、当事者として語る「代表者」は、「代表として語る際には、その権威の基盤となっている自己の経験の独自性を超えなくてはいけないという葛藤に直面する」のです。(※2)
こうした指摘を踏まえれば、様々なシンポジウムや著書で触れる認知症のご本人の「語り」は、彼らの経験であり想いであり、そこに強引に普遍性や代表性を持たせるべきものではないと考えられるでしょう。本人による経験や想いの発信は、そこから普遍的原理を導き出すことが目的なのではなく、その真摯な語りが人の心に響くものであり、それがきっかけで1人1人が何かのアクションを起こす、それまでの考え方を変える、そうした「トリガー」としての意味を持つと考えます。
「語り」から「集合知」へ
認知症施策推進大綱では前述の通り、「普及啓発・本人発信支援」として、社会全体で認知症に対する理解を深める施策を実施しています。その中の1つ「認知症サポーター養成講座」は、2005年にスタートし、現在では1,200万人を超えるサポーターが養成されています。講師役となる「キャラバン・メイト」は、一定の専門性や役割を持つ人々が養成研修を受けて登録されます。キャラバン・メイトは養成講座を実施するとともに、地域における認知症理解促進のリーダーとして自治体と連携しながら活躍しています。また近年では、企業・職域型の認知症サポーター養成も活発化しており、2019年に公表された国の認知症施策推進大綱でも、企業・職域型の認知症サポーターを400万人養成することが目標値として盛り込まれています。またこうした取り組みは世界的にも注目され、英国では2012年から「Dementia Friends」と名付けた英国版の認知症サポーターを養成する取り組みも始まっています。
2021年4月、日本医療政策機構では、「認知症共生社会の構築に向けた普及啓発施策のあり方を考える」と題したシンポジウムを開催しました。このシンポジウムを踏まえて、当機構では「認知症啓発施策の未来『これからの15年』」として、以下、政策提言を公表しました。(詳細は日本医療政策機構Webページへ。日本語版/英語版)
認知症の本人による語りが増えるにつれ、近年では個々の体験談として留めるのではなく、私たちにとっても意義ある客観的な情報として、また時にはそれらを基にして国や地方自治体の施策や、企業等の商品・サービスに活かすことが期待されています。そこで北中氏が指摘するような、「語りを個別的・主観的なものとしてのみ位置付けるのではなく、その数を集め、比較検討することで、語りを科学的エヴィデンスへと変えようと試みること」が必要になります(※3)。
こうした動きは、認知症官民協議会の認知症イノベーションワーキンググループにおいて、経済産業省が進める「当事者参加型の商品・サービス開発」の取り組みにも反映されており、今後の益々の進展が期待される領域です。また、認知症サポーター養成講座は、専門家による監修の下、統一されたカリキュラムとテキストを使い、全国で均質的な情報を提供できる点で、大変優れた施策だと思います。ここにエビデンス化された認知症のご本人の「語り」が加わっていけば、認知症への理解が進んできた昨今、より効果的なプログラムに進化することができるでしょう。
今後の認知症普及啓発施策においては、「トリガー」としての認知症のご本人の「語り」のみならず、より良い社会を創るための「集合知」として、本人の想いや経験に基づく情報を伝えていくことが求められるでしょう。例えば、認知症サポーター養成講座においても、現在は客観的な情報としての医学的な情報が主となっていますが、本人の「語り」が蓄積され、エビデンス化されていくことで、新たな視点の客観的な情報を盛り込むことができることでしょう。認知症施策推進大綱としても、現状では「本人発信を『支援』する」という段階に留まっていますが、認知症の本人の「語り」を集合知としてエビデンス化することで、認知症施策全体における「エビデンスに基づく政策決定(EBPM: Evidence Based Policy Making)」の推進が期待されます。