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はじめに
前回のコラムでは、認知症のご本人の声を政策に反映させるために、1人1人の経験や想いを集め、普遍的・客観的な情報として整理することの重要性について書きました。「語り」を「集合知」にするには、どんな科学的な整理や取り組みが必要なのか、学問横断的な議論が必要な領域と言えそうです。 そして今回のコラムでは、政策決定過程の側面から、「なぜ当事者の声を意識的に聞く必要があるのか」ということについて考えてみたいと思います。
これまでのコラムでは、世界各国の認知症政策推進の状況について度々触れてきました(連載vol.19「国際社会の認知症政策の現在地―2021―」)。WHOのアクションプランでは「WHO加盟国の75%以上が2025年までに、認知症に関する国の政策、戦略、計画、枠組みを策定または更新し、単独または他の政策・計画と整理統合を完了する」ことを目標としており、これをクリアするには、今後4年で毎年新たに28ずつの国や地域が新しい認知症国家戦略を策定しなくてはならず、非常に厳しい状況です。
2021年9月にWHOが公表した最新レポート「Global status report on the public health response to dementia」(WHO webページへ)においても、こうした危機感は共有されています。認知症政策の推進を阻むものとして、以下の3つが指摘されていました。
(WHO「Global status report on the public health response to dementia」,p84)
政策の進展には、特に1つ目の「政治的リーダーシップ」が不可欠です。私自身が政策シンクタンクに身を置いているという背景もありますが、この「政治的リーダーシップ」を生み出すためには、認知症に関わるステークホルダーからの様々な働きかけが必要になります。
政策決定過程から考える「当事者発信」の意義とは
新規の政策決定時は、ある社会状況が解決すべき公共的な「問題」として認識されるところから始まります。そしてその問題に対する解決策の「設計」、立法府における「決定」、そして実際に政策を届けるフェーズである「実施」、最終的にはその政策によって生じた効果への「評価」が行われ、新たに修正・改善されていくというサイクルになっていきます(政策決定の5Step)。ある社会状況によって影響を受けている当事者にとっては、その社会状況を「公共的問題」として捉えてもらうことがまず第一歩ですが、具体的に自分たちのニーズを政策に盛り込んでもらうには解決策の設計、そして決定というプロセスが特に重要であると言えます。
政策決定過程において、様々な立場に置かれた国民の声を聴き、少数意見も含めて政策に反映することが求められているのですが、現実は決してそうなっているとはいえません。ではそれはいったいなぜなのでしょうか。一般的に政策決定過程においては、その公共的問題に関係する様々な人々や団体(「アクター」「ステークホルダー」「プレイヤー」などと表現されることが多い)が自らの「利益」(経済的利益だけでなく、信仰や生活上の様々な個人的価値も含む)を政策に反映させようと、あらゆるルートを使って働きかけをします。それらは総称して「利益団体(圧力団体)」と呼ばれますが、こうした組織が作られることや彼らが利益の実現を求めて活動することは、民主主義社会においては多元的利益の実現の観点から必要なことと言えるでしょう。しかしいつの間にか、特定の利益団体と政治、行政が結びつきを強め、時には研究者・専門家、地方自治体・財界、マスコミ・評論家なども加わり、オープンな議論がなされないまま、政策決定を進める「省庁共同体」が出来上がってしまいます。この共同体に加わることができなければ、自らの利益を政策に反映させる機会を失ってしまうのです。
しかし、政策決定過程に継続的に自らの利益を反映させるために利益団体を組織し、活動を続けるため何らかの経済的基盤が必要になります。その場合、生産者側・供給者側・事業者側は経済的基盤を保持しており、利益団体を組織し活動を続けやすいのに対し、消費者側・需要者側・受給者側は経済的基盤に乏しく、利益団体として活動を継続することは簡単ではありません。そのため組織を全国規模で維持することも相当な労力を必要とし、意見を届けることができない人々も多く生じてしまいます。医療政策分野でいえば、患者・当事者がまさに後者の立場に当たります。この事実こそが、医療政策立案過程において、意識的に患者・当事者の利益を政策に反映させることの意義なのです。その点、近年では国や地方自治体が主催する各種会議にも患者・当事者委員の参画が進んでおり、今後はこうした動きをさらに定着させるほか、会議体を構成する以前の企画段階から患者・当事者の参加を求めることが期待されます。
また政策決定過程では上述の様に、自らの利益の実現のため「発言」によって政府を動かすことができますが、一方で自らの利益の実現のため、社会から「退出」することもあり得ます。企業がある国の政策に納得できず、拠点を他国に移すといったことがその一例です。こうした「発言」や「退出」が生じれば、政府は政策による対応を迫られますが、「発言」も「退出」もできない場合、問題として表出化されず、政府による対応がなされない可能性があります。こうしたことを避けるため、私たちは患者・当事者の利益が政策に反映されるよう「発言」し、誰もが包摂される社会を目指す必要があるのです。(「発言」「退出」の議論については、ハーシュマン(2005)『離脱・発言・忠誠』ミネルヴァ書房 等を参照)
当事者の「声」が社会を創る
今回は、政策決定過程の観点から当事者の声を発信することの意義を考えてきました。国際的にも認知症政策推進の障壁の1つとして「政治的リーダーシップの欠如」が指摘されています。日本では近年、日本政府による政策推進が進んでいるとはいえ、政治状況はいつどのように変化するか分かりません。特に昨年から続く新型コロナウイルス感染症の影響は社会保障政策を取り巻く環境を大きく変化させる可能性があります。中長期的な取り組みが必要である認知症政策について、引き続き各国における政策的優先順位を高位にするためにも、当事者の「声」を発信し、またそれらを「集合知」として取りまとめていく試みが必要なのです。
*さて2019年より続けてきた認知症未来共創ハブ連載コラム「認知症政策の国際潮流」ですが、担当の私が10月下旬より約半年間の育児休業を取得するため、しばらくお休みとなります。その他の連載は引き続き更新されますので、ぜひお楽しみください。