認知症政策の国際潮流

最近の国内外の動向も含めた、認知症政策の現状と展望についてご紹介します。

vol. 24

2023G7での政治的リーダーシップへの期待と、超高齢社会最先進国・日本が果たすべき責任

<POINT>

  • 市民社会組織の強化に向けた、認知症当事者リーダーの発掘・育成
  • 「認知症予防」を巡る議論の健全化に向けた「健康自己責任論」の再定義
  • 社会保障制度堅持のための立法府のリーダーシップによる「負担と給付」の本格議論
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    2023年G7において認知症アジェンダを取り上げる意義

    2023年は、G7(主要国首脳会議)が日本で開催されます。G7サミットが日本で開催されるのは、2016年の伊勢志摩サミットに続き、7回目です。5月19日からは岸田総理の地元でもある広島で首脳会議が、そして保健大臣会合は5月13~14日に長崎市で開催されます。
     
    この数年は、世界中が新型コロナウイルス感染症のパンデミックに見舞われ、保健大臣会合のみならず首脳会議でも感染症対策が主要テーマとして扱われてきました。一方、国際社会がパンデミック対応に追われることで、保健医療の他のテーマの優先順位が低下しているという現実もあります。
     
    本コラムでも毎年紹介している(2022,2021,2020)国際アルツハイマー病協会(ADI: Alzheimer’s Disease International)の政策調査レポート「From Plan to Impact」では、WHOの目標に対して認知症国家戦略の策定状況が停滞していると報告されています。WHOが2017年に公表した目標を達成するには、2025年までの3年間で毎年35の国と地域が新たに国家戦略を策定する必要があり、これまでの進捗を踏まえると極めて困難と言えます。(2022年5月国家戦略の策定が完了しているのはWHO加盟国のうち39の国と地域)
     
    2023年G7の議長国である日本は、屈指の「超高齢社会最先進国」です(2022年時点の高齢化率は29.1%)。感染症アジェンダが重要であることは言を俟たないところですが、認知症をはじめとした「Agingアジェンダ」の重要性・緊急性を国際社会に対して改めて提示する役割も求められています。遡ること10年前、2013 年に英国で開催された G8 保健大臣会合は「G8 認知症サミット」と位置付けられ、認知症課題が集中的に議論されました。これを機に国際社会が連携して認知症に対応する機運が醸成されました。あれから、10年となる節目の2023年、この日本でG7が開催される意義は大きなものがあります。
     
    当機構でも、2023年G7日本開催を念頭に、2022年7月に包括的な認知症政策提言「これからの認知症政策2022 ~認知症の人や家族を中心とした国際社会をリードする認知症政策の深化に向けて~」を公表しました。「社会環境」「ケア」「研究」「政治的リーダーシップ」の4つの視点から、これまで日本が取り組んできたことを評価しつつ、今後に向けての方向性を示しており、国内外から高い評価を頂いています。
     

    2025年の目標達成は極めて困難な状況に

    2023年G7において日本が議長国としてリーダーシップを発揮することには大いに期待したいところです。しかし、そのためには超高齢社会最先進国として果たすべき責任があると考えています。特に昨今の認知症領域においては、新たな診断技術や疾患修飾薬といったイノベーションに対する期待が高まっています。しかし水を差すようではありますが、こうしたイノベーションの登場によって現在の認知症を取り巻く状況が一変するわけではありません。例えば、新たな診断技術についていえば、その技術を日本のどこに住んでいても利用できるようにしなくてはいけませんし、疾患修飾薬についても全ての認知症に対応しているわけではなく対象となり得るのはごく一部です。そして、こうしたイノベーションを実装するためには、その社会の在り方や普及させるための制度の持続可能性についても考えなくてはなりません。
     
    そこで、私からは「超高齢社会最先進国として果たすべき責任」として、3点を提示します。
     

      1. 市民社会組織の強化に向けた、認知症当事者リーダーの発掘・育成
      2. 「認知症予防」を巡る議論の健全化に向けた「健康自己責任論」の再定義
      3. 社会保障制度堅持のための立法府のリーダーシップによる「負担と給付」の本格議論

     
    まず1点目、各疾患領域の政策形成過程における当事者参画の推進については、当機構でも長らく重視しているポイントです。2022年7月には「政策形成過程における患者・市民参画のさらなる推進に向けて ~真の患者・市民主体の医療政策の実現を目指して~」といった政策提言を公表いたしました。近年の医療政策においては、患者・当事者が政策決定過程に参画し、行政やアカデミア、医療従事者などと共に政策を決定する場面が増えています。医療政策は公共的課題でありながら、一方で個人・家族の私的領域にも影響を与える政策領域です。だからこそ政策の「受け手」である患者・当事者、そして将来の患者となり得る一般市民の関与は不可欠です。(栗田・乗竹, 2021)しかし、患者・当事者であってもある日突然政策形成過程に関与することは不可能であり、社会全体で患者・当事者参画を推進するには、活動をリードできるいわゆる「当事者リーダー」の絶対数を増やすことも必要です。さらに「当事者の声を反映する」と言った時、その「当事者」はどれくらいいるのかも考えなくてはなりません。日本における認知症の人の数は約600万人と推計されており、その一人一人の声、さらには彼らの周囲にいる家族やパートナーも含めれば日本の人口の10%近くにもなるでしょう。そうなれば、当然ながら「これが当事者の声である。」というものを1つに定めることは難しくなります。できる限り多くの「声」を集め、政策形成過程に反映させるには、今以上に多くの当事者リーダーが活動し、様々なステークホルダーと連携し、発信できる社会環境を整備しなくてはなりません。
     
    そして2点目の「認知症予防」は、今後の認知症政策を考えるうえで避けては通れない議論です。2019年の認知症施策推進大綱策定時には、その柱を「予防と共生」にするか「共生と予防」にするか、「認知症予防」のKPI/目標値の取扱いを巡って議論が巻き起こりました。一連の議論では、「認知症予防を推進すると、認知症になった人は予防ができなかった人だというスティグマにつながる」といった意見も挙がりました。認知症施策推進大綱では、予防の定義について「「認知症にならない」という意味ではなく、「認知症になるのを遅らせる」「認知症になっても進行を緩やかにする」という意味」と記載されています。(この説明を読めばその意図は理解できますが、一方で「予防」という単語を大々的に発する中で、この意図が社会全体で正確に理解されるかということは、コミュニケーションの観点で検討の余地があったともいえるでしょう)国際的には「Prevention」よりも「Risk reduction」の用語を用いることが増えているという状況もありますので、語呂合わせは悪いですが、「リスク低減と重症化予防」といった表現の方が、実際の政策内容を正確に反映しているかもしれません。
     
    この件については私もこの数年色々と考えを巡らせてきたのですが、こうした議論が起こってしまう根底には、日本社会における健康観として、「健康を損ねたことは自分自身の責任であり、その責任は自分で取らなくてはいけない」という風潮があるからではないかと思います。その一端を示しているともいえるのは、新型コロナウイルス感染症の流行初期に取り沙汰された「感染した人が悪い」という議論でしょう。報道では、アメリカ、イギリス、イタリア、中国での回答に比べ、日本では「感染する人は自業自得だと思う」と答えた人の割合が大幅に高かったという調査結果も示されていました。(2020年6月29日読売新聞オンライン「「コロナ感染は自業自得」日本は11%、米英の10倍…阪大教授など調査」
     
    テクノロジーの進歩により、個々人が健康状態をチェックし予防的な対処(一次予防)をすること、さらには発症後も経過を追いながら進行抑制・再発防止(二次予防・三次予防)をすることが現実的になってきました。しかしながら、「対処ができずに健康を損ねてしまった」ことと「その責任は自分で引き受ける」ということは分けて考えなくてはいけません。(ヤシャ・モンク「自己責任の時代」)そして自己責任の強調は、本人の過去の不適切とされる健康行動に対する非難に留まらず、本人の人格それ自体に対する道徳的非難につながる可能性もあります。加えて、そもそも何が本人の責任であったのかという線引きは極めて恣意的であり、単に「社会的な望ましさ」という偏見に過ぎないという見方もあります。(玉手慎太郎「公衆衛生の倫理学」)
     
    現代は「リスクが個人化された時代」だと言われています。テクノロジーの進歩により様々なリスクが正確に予測でき、それがどういった特性を持つ個人に紐づくのかが分かるようになってきました。しかしその確実性によって、本来母集団全体でリスクを共有していたはずが、高リスク集団と低リスク集団の境目が顕著になることで分断が生じるとの指摘もあります。(美馬達哉「リスク化される身体」)最近では、運転行動から事故のリスクを判定し保険料に反映する自動車保険(テレマティクス保険)や、運動の実績に応じて保険料が変動する民間医療保険など、リスクを「個人化」した保険商品も多く登場しています。一方で、認知症政策を含む社会保障制度は「リスクを分かち合う」ことが意義の1つです。個人や家族などの要因に依存せず、諸制度の下で生きる私たちが支え合う仕組みです。もちろん健康で長生きすることは多くの人が望むことですし、そのための取り組みは重要です。ただし、そうした予防・健康増進施策の推進においては、過去の行動による損失を本人が個人的に引き受けること(「後ろ向き責任」)を求めるのではなく、将来の行為に関わる責任を求めること(「前向き責任」)が望ましいと言えるでしょう。(玉手、同)こうした観点については、今後当機構の議論の場においても取り上げていきたいテーマの1つです。
     
    そして3点目は、そうした「リスクを分かち合う社会政策」を維持するために必要な制度の持続可能性の観点です。認知症ケアの根幹である公的介護保険制度、そして現在の認知症医療を支え、今後登場する新たな診断・治療技術を広く社会に届ける役割を果たす公的医療保険制度をいかにして持続可能なものにするかというのは、日本の喫緊の課題です。相応の給付水準を維持するためには、相応の負担が必要です。日本はOECD諸国に比べ対GDPにおける国民の社会保障負担は低い水準にあり、少子高齢化の状況から考えても制度の持続可能性確保に向けた負担と給付の改革が必要です。一方で、これまでの歴史を振り返っても負担増に関わる議論は内閣支持率や選挙に大きく影響するため立法府も避ける傾向にあります。「隠れ増税」とも称される社会保険料については、給付の増加に合わせて料率が引き上げられていますが、税負担については消費税以外の租税負担率は横ばいのままです。認知症との「共生」とは、必ずしも意識や生活環境の整備だけではなく、そのための社会政策・社会保障制度の維持も含めた議論であるべきです。そして国際社会に対しても、医療介護も含めた日本の認知症政策の展望として、財源の見通しが立っていることを示してこそ、政策によってリーダーシップを示すことができるのではないでしょうか。
     
    以上、今回のコラムでは認知症政策の観点から見た2023年G7日本開催への期待と、日本が国際社会でリーダーシップを発揮するために必要な「超高齢社会最先進国として果たすべき責任」について私見を述べました。2023年のG7が日本のリーダーシップを世界に示す機会となるよう、私たちも市民社会に根付く非営利・独立・超党派の政策シンクタンクとして、その果たすべき責任を引き続き訴えていきたいと思います。
     
    *本稿は、時事通信社「厚生福祉」2023年1月24日号に掲載した論考『2023年のG7保健相会合に向けて 「超高齢社会最先進国」として果たすべき責任』を加筆・修正したものです。
     

    【参考文献】

  • 栗田駿一郎, 乗竹亮治(2021)『非営利・独立・超党派の政策シンクタンクの役割─マルチステークホルダーの連携促進─』臨床精神医学第50巻9号, p943-948
  • 玉手慎太郎(2022)『公衆衛生の倫理学 国家は健康にどこまで介入すべきか』筑摩書房
  • 美馬達哉(2012)『リスク化される身体―現代医学と統治のテクノロジー』青土社
  • ヤシャ・モンク 那須 耕介・栗村 亜寿香 訳(2019)『自己責任の時代―その先に構想する、支えあう福祉国家』みすず書房