過去を振り返るとき、友達がスマートフォンで過去の写真を見直している風景や、家で家族写真を見る行為があるでしょう。パソコン、カメラ、カメラ付きのスマートフォンや携帯電話を使って目に見えるものを写真として残すことができます。「写真」を撮る/撮られることを経験していない人はいないでしょう。それほど、写真はわたしたちの生活のすぐそばにあります。一方で、写真に撮るということを通じて、目で見るとは違った別の側面に気付かされることがあります。
そこで、写真家の金川晋吾(かながわ・しんご)さんとの対談を全4回でお届けします。金川さんは認知症の伯母さまを2010年から撮影した《Kanagawa Shizue》シリーズを発表されています。金川さんのこれまでの仕事を辿りながら、認知症について一緒に考えてみませんか。
プロフィール
金川晋吾(かながわ・しんご)
1981年生まれ。2006年神戸大学卒業、2015年東京藝術大学大学院修了。
2010年に三木淳賞、18年にさがみはら写真新人奨励賞を受賞。2016年に『father』(青幻舎)を出版。近年の個展に、「長い間」(横浜市民ギャラリーあざみ野、2018)、グループ展に「STANCE or DISTANCE? わたしと世界をつなぐ『距離』」(熊本市現代美術館、2015)など。
金川晋吾ウェブサイト
◆はじめに
木下知威(以下、木下):今日はどうぞよろしくお願いいたします。
金川さんとは何度かお目にかかっていますが、立ち話ばかりですね。こうして座ってお会いするのは今日が初めてです。その出会いについて少し思い出しますと、はじめてお目にかかりましたのが2016年に京都のギャラリーgallery Mainで「father出版記念展覧会」の展示を拝見した時ですね。それで、同じ年にありました、横浜市の横浜市民ギャラリーあざみ野のグループ展「悪い予感のかけらもないさ展」でもばったりお目にかかりました。そのあとしばらくはご無沙汰しておりましたが、今年2月の恵比寿映像祭でも久しぶりにばったりお会いしましたね。
振り返ってみれば、ばったりお会いしてばかりですが(笑)、お目にかかったのはその3回でしょうか?
金川晋吾(以下、金川):こちらこそ、よろしくお願いいたします。木下さんとお会いしたことは他にもありそうですが、そんな感じだと思います。
木下:そうですね。さて、今日は金川さんのこれまでを振り返りつつ、認知症をもっている伯母さまの写真を撮影されたお話を伺っていきたいと思います。
認知症の方をケアすることを考えますと、当事者はケアをうける、ヘルパーはケアをするといった能動的・受動的な関係が固定的ですが、昨今では、日本やヨーロッパでは認知症の当事者とワークショップや研究などを通じて活動を行う団体が注目されています。
そこで、金川さんは認知症をもっている伯母さまを撮影し、作品として発表されています。認知症の方との関わり方として興味深いと考えており、こうしてお話を伺わせていただければと思います。
金川:ありがとうございます。
僕は認知症のひととかかわりがあるといっても、どちらかというと例外的なかかわりかたかと思います。ただ、それが今回の企画においてはポジティブに働く可能性もあるのかなとお話を聞いて思いました。
木下:ええ、その例外的なというのが面白いと思いまして。
それで、わたしは2016年に横浜で金川さんの伯母さまの写真を拝見しました。これらの写真のシリーズのタイトルは《Kanagawa Shizue》。伯母さまの金川静江さまのお名前からとっています。
その後、2018年に同じく横浜市民ギャラリーあざみ野で「長い間」という展示をされ、同名の冊子「長い間」を配布なさっています。これは日記形式になっており、静江さまとの出会い、写真をとるようになった経緯が書かれています。これを配布なさっているところもおもしろいと思いました。日記というのは日付があって時間に沿って書かれているものです。写真と日付の関係というのは、アラーキーこと荒木経惟さんの作品がまず思いつきます。また、フィルムの端っこに日付を焼きこむことのできるカメラもあり、これも日記的だといえます。これを思えば、金川さんが日記形式のテクストを添えるのはひとつの特色であるように思います。
少しずつ、そこに迫るように話をうかがっていきたいとおもいます。冊子「長い間」では、2010年にお父様の写真を撮影された《father》の展示を準備しているときに金川さんの祖母から電話があり、静江さまの消息がわかったという記述があります。これが伯母さまを撮影するきっかけになっていますが、この年は実にたくさんの写真展をなさっていますね。わたしが把握しているだけで11回もなさっています。
金川:そうですね。三木淳賞というニコンの賞をいただきまして、ニコンのギャラリーでいくつか個展をやったりしました。
◆写真の関心を深めるまで
木下:なるほど。ただいまより、伯母さまの話に至るまでに金川さんのことについて、立ち戻りながらお話を伺っていきたいと思います。
金川さんは1981年に京都に生まれ、2000年に神戸大学に進学なさいました。このあたりからまずおうかがいしたいのですが、神戸大ではなにを学んでいたのですか。
金川:発達科学部という学部に進学したのですが、もともとは教育学部で、教育科学論コースというコースに所属していました。教育学を学んだといえると思うのですが、そんなに頭にはのこっていません。卒論は哲学者のルネ・デカルトを読んで、「デカルトにとっての言語とは」みたいなことで卒論を書きました。
木下:そうなのですか。デカルトの何のテクストを対象に卒論を書いたのですか?
金川:すぐにちゃんと思い出せない(笑)。『方法序説』『哲学原理』『省察』『情念論』とかだったかと。教育系の学部に進学したけど、本当は文学部とかにいくべきだったと入ってから思いました。学生のころから映画を撮ったりはしていました。
木下:そうなのですか。なぜ、デカルトを読んだのですか?
金川:自分が映画を撮ったりしていたのも、表現というものが何か言葉で説明しきれないものを扱っているというところにひかれていたからでした。なので、卒論でも何かそういうことが研究したいと漠然と思っていたのですが、担当の先生がそういうことを論文で扱おうとするのはかなり手ごわいので、それなら合理主義の祖といわれるデカルトをちゃんと読んでみたらどうかというアドバイスをいただきました。的確な指導をいただいたと思っています。おもしろくて、とてもいい先生でした。白水浩信先生という方で今は北海道大の教育学部におられます。
白水先生は教育思想・西洋教育史・教育哲学が専門で、例えば「教育」という概念、考え方そのものがいかに歴史的に構築され、変遷してきたのかを見ていくようなことをされているのだと思います。北大のホームページに白水先生の短いコメントがのっています。「言葉は思想である。日頃、あたりまえのように語っている言葉にもそれぞれ歴史があり、いったん過去にさかのぼり、いつ、誰が、どのような文脈でその言葉を語ったのかについて探求してみると、これまでとは違った世界を垣間見ることができる。というよりむしろ、これまで自明だった世界が異様なものとして現れなおすということかもしれない。」
木下:「言葉は思想である」だいじな視点ですね。たしかに、遥か遠くの世代から、わたしたちの世代を橋渡ししているのは、ことばによるものだと思います。
金川さんは教育系の学部に進学なさったけれども、教育学よりも他のことに関心を広げていった大学時代だということですか。
金川:そうですね。というか、そもそも教育に興味があったわけではなくて、センター試験の点が微妙で、文学部より発達科学部のほうが入りやすかったのでそっちを受けただけという。
何も考えずに学部を選んでしまっていました。発達科学部がどういうところか、入ってから知りました。
木下:そうなんですか。金川さんのインタビュー「若き写真家が見る歪んだ世界 vol.14 金川晋吾」(参照:VICE インタビュー記事)というのがございます。これによりますと、高校生のときから写真に関心があり、神戸大では映画部と写真部の両方に入っていたが、むしろ映画製作に関心があったとおっしゃっています。この頃は視覚表現への関心が芽生えていったようにおもうのですが、そもそも高校生のときにきっかけがあったのですか?
金川:中学生ぐらいのころからビデオを借りてきて映画はよく見ていました。音楽も好きでよく聞いていて、何かそういう表現というものがおもしろいなとは中学生ぐらいから思ってはいたと思います。
高校生のころに、本屋さんで雑誌や写真集を立ち読みしたりして、写真はおもしろいと思うようになりました。これならできそうというのもあったのだと思います。でも、自分が美大に進学するということは可能性としてもまったく考えられませんでした。
木下:立ち読みをされていたという写真集というのはなんですか。
金川:印象に残っているのは、ヴォルフガング・ティルマンス(1968-)の「BURG」とか佐内正史の「生きている」「わからない」とかですね。「STUDIO VOICE」や「relax」などの雑誌に載っている写真家の写真もぱらぱらと見ていて、それがおもしろいなとも思っていました。そういう本屋が学校帰りにあったので立ち読みしていました。
木下:ティルマンスをおいている本屋ですか? なかなか無いような気がします、素晴らしい本屋ですね!
金川:そうですね、そんなに大きい本屋ではなくて、最寄り駅も西院(さいいん)というとくに大きな駅ではないんですけどね。今はもう無くなっていました。
木下:西院は京都の西側にある、下町のような所ですよね。駅前に大きなパチンコ屋さんがあり、その2階に古いゲーセンがありまして、よく行っていたことをおもいだします。
高校の帰り道にその本屋さんで、ティルマンス、佐内の写真集をご覧になっていた。いずれもたいへん有名な写真家ですが、写真のどんなところがおもしろかったのですか。
金川:すでに見たことがあるもの、どこにでもあるようなものが、写真になると何かこれまでと違ったものに見えるということだったと思います。
よくわからない、不思議だと思いました。あと、ティルマンスの写真はよくわからないけれども、やっぱりとてもかっこいいとも思いました。
木下:なるほど。ティルマンスの写真は射程がひろいというか、これを写真と呼んでいいのかなと思うような、被写体のよくわからないものもありますね。
金川:そうですね。あと、自分でもやれるんじゃないか、やってみたいという気にさせてくれるようなオープンな感じがあったのだと思います。
木下:高校生のとき、カメラで撮影はなさっていたのですか。
金川:一眼レフを買って適当に撮っていました。
木下:そうでありつつも、大学では映画の方に向かっていったと「若き写真家が見る歪んだ世界」でお答えになっていますね。映画というのは、台本、演出、撮影、音響、編集などさまざまな役割分担のある、総合的なものです。このなかで金川さんは何をなさっていたのですか。
金川:映画研究部に入っていたのですが、そういう分業して何か一本とるような部ではなくて、それぞれがやりたいようにやる感じでした。なので、自分でほぼ全部やるような感じです。
木下:どんな映画をとっていたんですか。
金川:ざっくり言うと実験的な映画ですが、本当にくだらない映画です(笑)。
木下:実験的な。
金川:映画の終わり、ラストシーンが延々とつづいていく映画を撮ってみたり。
木下:エンドレスですね。
金川:そうです。映画が終わる瞬間って、当たり前ですがそれまで続いていた物語というか時間がそこで終わるわけですが、その何かが終わる瞬間ってすごいなと漠然と思ってて、そういう映画をつくろうと思いました。
クラフトワークの「Trans-Europe Express」というアルバムをリピート再生で聴いていると、最後の「Endless Endless」という曲が終わったらまた一曲目につながるように聴こえてきて、「これはすごい、こういう映画をつくろうと思ったというのもあるのですが、ちょっとどうかしていますよね。実際に出来上がったものはまあよくわからないものでした笑。
そのころはサイケデリックというか、自分の意識や感覚が変容するような経験をすごくおもしろがったりしてましたね。
木下:音楽から影響を受けていたのですね。そういう、意識と感覚のあいだを追求するというテーマは「アルタード・ステーツ」(1979年)というSF映画を思わせますね。あらゆる感覚を遮断するためのケースに入り、細胞の記憶をたどっていく人体実験をするという内容の映画です。
金川さんのその関心の方向は何に由来するのでしょうか。
金川:それはむずかしいですし、そういう掘り下げていく方向ではあまりこれまで考えてきていないですね。
おそらく何かこれというのがあったわけではないと思います。何かちょっと異質なものに興味をもったのは中学生のときにレゲエを聴きはじめたことが最初かなと思います。
きっかけは兄の影響で、よくわからないけれども、何かかっこいいというか、ひきつけられるものがありました。といっても、最初はよくわからないので、無理して聞いたりもしていたのですが。
(2)に続く。
(2020年3月20日午後、成城学園前駅近くのカフェにて)