ケアを啓く

認知症のある方々が暮らす環境をより普遍的なものにするために「ケア」をテーマにしたインタビュー、フィールドワークから考えていきます。

vol. 8

八幡亜樹さんと語る(4)

プロフィール

八幡亜樹(やはた・あき)
映像インスタレーションを、『「人類の表現=生きること」のための思考装置』と捉え、取材をベースとした作品制作を行なっている。
また、「辺境」に人類の表現の根源的なものを感じ、その追求のための場としてHENKYO.studio(京都)を設立。
 
八幡亜樹ウェブサイト
 
1985年 東京生まれ 北海道育ち
2008年 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科 卒業
2010年 東京藝術大学院美術研究科先端芸術表現専攻 修士課程 修了
2020年 HENKYO.studio(京都)設立
  

◆身体をコントロールすること

木下:そうですね。何か、こう身体というものが、すごく、ひとつの型にはまるものだという考え方があるのではないでしょうか。Lennard J. Davisの”Enforcing Normalcy”(正常性の強化)と言う本があり、デービスは身体障害を不安定なものだと定義しています。身体というものは、常に揺らいでいて、例えば耳が聞こえている人でも何かに夢中になっている時には耳が聞こえない状態になっている。だからDeafというのは、耳が聞こえない人を指すのではなくて状態であると。そういう視点がありました。そうした、身体の解釈がケアにおいても大事なんだと思うのです。それは他人の立場になってみるということではなくて、自分がその人に近づくための方法なのかなと。
自分がコントロールできないものがおそらく、思っていることよりも多いんじゃないか。身体は自由に動かせると思うけど、思い通りにはならない。
 
八幡:「Deafというのは、耳が聞こえない人を指すのではなくて状態」面白いです。確かに。
「自分がコントロールできないものがおそらく、私達が思っていることよりも多いんじゃないか。」それは本当にそうですよね。この前、ボリウッドダンスの体験に行ったんです。全然ダンスの先生のいうように体が動かせなくて。私は自分がとても自由な人間で、比較的なににも囚われないで生きていると思っていたけど、思っていた以上に余計な力を入れて生きていたり、過度に重力に抗って体を使っていたりするんだなって。
 
木下:何か、身体を動かす技術以前に、ノルための身のこなしみたいなものがありますよね。自分がコントロールできないものがおそらく、私達が思っていることよりも多いんじゃないか。
 
八幡:これはどういう意味で言ってます?
コントロールできないことが多いから、もっと差別される側を理解できる素質があるハズみたいなことですか?
 
木下:ベタな言い方ですけど、トイレってコントロールできない生理的なものじゃないですか。いつ来るかわからない。食欲なども・・・思いのままに動かせないじゃないですか。そうした欲望もそうですし、身体も、両親を見るとよくわかるんですが、年を重ねるとできないと思うことが出てきます。コントロールできないということについて、だましだまし答えを見つけちゃって。例えば歳だなとか、何かもっともらしい合理的、科学的な欲しい理由を見つけて、それに安堵してしまうことがあると思うんです。そうじゃなくて・・・もっと、コントロールできないことを前提にすべきなのではないかと思いました。
たとえば、ちょっと走っただけで息があがるとして、ネットで「息が上がる」と検索すると、いろんな、医学的なコメントのあるページがすぐに山のように出ますけど、あーこれかな?みたいな、答え合わせみたいなことです。答えなんてないのではないか。そうすると、だんだん身体というものが、凝固したイメージになる気がするんです。
 
八幡:ある意味でそういう解釈って本当にあたってると思ってて、医療の現場にいると、医学ってなんにもわかってないんだなって思う瞬間もよくあります。救急の現場で、「ふらつく」「息がしにくい」「手足が突然震える」とかなんだかそういう主訴(いわゆる不定愁訴)で患者さんがきたときに、検査上の異常と緊急性がなければ帰宅の方針とするんですけど、正直医学的にはよくわかってないみたいなことあって、、患者さんとしては「命にかかわらないことはわかった、でもなんでそうなるんですか?」って知りたい訳です。例えば自律神経の乱れが原因と見立てた時に、こうでこうでと自分なりに生理学的なところも踏まえて考えるんですが辻褄が合わないこともあって。経験値の高い上級医の先生に聞いても「その辺は医学的にはよくわかってないんじゃない?」と返される。そういうところは、医療の世界に入ってから結構仰天しました。全部、説明できると思っていたので。もしかしたら、不定愁訴も研究すれば何らかの機序が判明することもあるかもしれませんが、自然軽快しうる命にかかわらない症候にどれだけ医学研究として労力を割く意味があるかと聞かれると難しい。でも、頻繁に遭遇する患者さんの悩みにちゃんと説明できないのはもどかしいですし、医学的というよりももしかすると創造的・芸術的な視点なのかもしれませんが、そういった不思議な現象を思考の対象として心に留めておくことは大事な気がしています。(対談後調べてみると、不定愁訴を研究している人がおり、脳や神経系が過敏になっているために、ちょっとした身体感覚が大きく増幅されて気になる症状として感じてしまう(身体感覚増幅)が原因という説明もみました。)
 
木下:そうなんですか。この世は科学的信仰というか、科学によって説明することができると信じられている考えに満ちていると思うんです。医療はその最先端の科学ですから、説明ができると思われていたんですね。わたしはもちろん病院では患者としていくんですけど、医師も言葉を選んで話している。だけど、責任じゃないけども原因がよくわからないときに多分そうじゃないかなあとか薬を処方してもらう時に言われることがありますね。
 
八幡:この話、ちょっと医療業界的にはNGかもですね(笑)。私の経験値や知識の浅さもありますし、軽々しく医療全体に適応する話ではないことを注釈させてください。
 

◆病院と食事

木下:わかりました。話が前後してしまいましたが、八幡さんは現在、医師として病院にお勤めですが、メールで八幡さんは薬の処方よりも入院食を考えることに関心があると書かれていましたが、それはどういうことですか?
 
八幡:もともと「医学」を知りたくてこの世界にきていて、「治療」というところより、もっと基礎医学とか人間はどうしてこうなのか?というところに関心があったので、既製の薬を対応表的に使っていくような作業には燃えないというところがあり。ただ、もともと「食」には関心があって、作品にもよく題材にしていたということもありますが、やはり食べるということが人間のすごく根源的なところだからすごく惹かれるんだとは思うんですよね。で、食はやはり入院中でも処方と同じくらい大事なことではあるので、どちらかというとそっちに注力している方が楽しいし、なにより、患者さん側の物語をある程度受け取りながら話し合いながら調整できるところが楽しいのかもしれないです。いくつかの味の選択肢があったときに、コーンポタージュ味よりヨーグルト味の方がいいとか聞くと、へえこの人はそういう味覚なんだなあとか、自分の味覚体験を通して共感しながらいろいろ調整できるし。
薬は一方的に与えるみたいな色が強いので。
 
木下:そうなんですか。わたしは入院経験があり、入院食の重要さは身にしみているつもりです。感動したのは、ご飯の硬さのコントロールが結構レベルがありますよね。消化具合によって、お粥の硬さも2段階ぐらいあって。
味の選択肢。病院の食事って、デフォルトがあるんですか?つまり、全ての入院患者に対応しうる基礎的なメニューがあって、そこからオプショナルに八幡さんがコントロールできる部分があるのでしょうか?
 
八幡:そうですね、基本食、嚥下訓練食、腎臓病食、糖尿病食、とかいろいろあって、病気に合わせて基本的なセットは決まってますけど、オプショナルなところは私ができたり、嚥下機能が悪い人ならST〔言語聴覚士〕さんと相談して変えたりします。
 
木下:日常において動かせないメインと、動かせるものがあって、その中で考えていくということですね。
 
八幡:あとは、病気ってやっぱりネガティブな部分になりがちだけど、食ってポジティブですよね、どちらかというと。待ち遠しい、ワクワクする、そういう時間だと思うので。そこが好きなのかも。
 

◆医学から着想が広がること

木下:食事する時、ベッドから身体を起こすじゃないですか。むろん、それはその身体の状態によって難しいと思いますが。それで、その身体を起こすというのはヴァージニア・ウルフの「病気になることについて」というエッセイで言われている、寝ている時と起きている時の思考の違いみたいなものの変化のチャンスのように思います。ウルフは、寝ている状態を思考が深まっていく契機であるとポシティブに捉えているのかな。だけど、一日中じっと寝ているっていうのは、やっぱり辛いし。
(補足:ウルフのエッセイは今年翻訳が発行された。早川書房noteへ)
インフルエンザ、ウルフの時代はワクチンや特効薬がありませんから、コロナのような感覚があったかもしれませんけど、横になることによって、文学や詩について思考することができるとも言っていますね。それは能動的な読み手としての思考なんだと思います。
 
八幡:「インフルエンザに罹った時の文学の楽しみ方」気になります。文学を現代美術に置き換えたバージョンがどんななのかなと。
 
木下:文学を現代美術に置き換えたバージョン・・・。文学書をインスタレーションに使う事例はいっぱいあるのですが、それとはまた違うものなのですか。
 
八幡:病気のとき特有の文学の楽しみ方があるのだとしたら、その現代美術バーションがどんなものか想像したくなっただけです笑
「横になることによって、文学や詩について思考する」現代美術を享受するのにふさわしい体位とか、なんかそういうことを思いました。まあ作品によるとは思いますが、
 
木下:病気になった時の現代美術のバージョン。長崎で被爆した医師の永井隆の作品を思い出しますね。また、正岡子規の俳句はまさに、ウルフの指摘を多分、パラレルに表現できていたように思いますけど。その現代美術バージョンということですよね。
 
八幡:なぜ、永井の作品が?
 
木下:永井は、原爆の後遺症で横になることが多くなったんです。長崎の浦上教会の鐘を拓本にして、そこに言葉を書いた掛け軸があって、それを想起しました。
 
八幡:加害者家族のことを調べていたときに、永井の本を読みました。彼は、被災した人たちは、神に選ばれた子羊だと言っていて。原爆が落ちた一番近くの公共施設が長崎刑務所だったので、おおくの犯罪者・死刑囚が原爆でなくなったと想像できるので、永井にとっては、犯罪者・死刑囚も神に選ばれた子羊で聖なる生贄だったのかどうか、そこが気になっていたので。
 
木下:そうなんだ。そうそう。長崎の聾学校もすぐ近くにあって。
 
八幡:聾学校も近くだったんですね。
 
木下:聾学校は、爆心地のすぐ下にありまして、被爆直後のもうほとんど何も残らない校舎の写真が残っていますね。八幡さんの作品、《△》にも原爆の話が出てきていますね。《TOTA》もそうですけど、何か、ある運命の定めにある人たちへの関心がおありなのかなと思いました。
 
八幡:当時の中にいた人の資料もありますか?暮らしぶりなど。
刑務所の資料は焼けてしまったりしてほとんど残ってなくて。浦上刑務所に当時何人の死刑囚がいたのかとか、そういう資料はもう残ってないのです。
 
木下:聾学校の残った資料もとても少なくて、写真しかありませんでした。また被爆者の証言の記録が後年ビデオと本でつくられています。
 
八幡:生存者がいたんですね。
 
木下:たまたま校舎から離れていた生徒の話があります。
 
八幡:そうか、そう考えると、囚人たちは逃げたり離れることができなかったから全員なくなったのですよね。
 
木下:爆心地ですから、生き残ったとしても後遺症で苦しまれたのではないでしょうか。私が長崎の原爆で一番衝撃を受けたのは、長崎市内の興福寺というお寺の建物で、当時の日記(木下知威 Library Labyrinth)にも書きましたが、原爆でお堂が倒れて、曲がった柱を使ってまたお堂を建てた。その柱のものとしての証言ですね。日比野さんの話に無理やり繋げちゃうかもしれませんけど、残ったものを使う。それには物語というか、柱の人生(木生?)がある。そうしたことを思いました。
 

長崎市内の興福寺にて(2016年8月、木下撮影)

八幡:そうですね。柱生、木生ありますね。私が原爆稲を取材したのも、そういうことです。原爆の記憶が、稲という生命として残っていることがすごいことだなと思って。残そうとする人たちの思いも含めて。もう、栃木の上野長一さん(お米農家)くらいしか、育てている人がいないのですが。
 

(5)に続く。