ケアを啓く

認知症のある方々が暮らす環境をより普遍的なものにするために「ケア」をテーマにしたインタビュー、フィールドワークから考えていきます。

vol. 7

八幡亜樹さんと語る(3)

プロフィール

八幡亜樹(やはた・あき)
映像インスタレーションを、『「人類の表現=生きること」のための思考装置』と捉え、取材をベースとした作品制作を行なっている。
また、「辺境」に人類の表現の根源的なものを感じ、その追求のための場としてHENKYO.studio(京都)を設立。
 
八幡亜樹ウェブサイト
 
1985年 東京生まれ 北海道育ち
2008年 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科 卒業
2010年 東京藝術大学院美術研究科先端芸術表現専攻 修士課程 修了
2020年 HENKYO.studio(京都)設立
  

◆医学と芸術

木下知威(以下、木下):2009年から2010年にかけて、森美術館で「医学と芸術」という展覧会がありました。わたしはそこで初めてということではなく、前から芸術における医学、医学における芸術という視点を持っていたのですが、あの展覧会は、生と死がメタファーとして扱われているパートもあって、芸術としての医学ということを初めてクリアに見る機会であったように思います。
それで、八幡さんはお父さんがお医者さんだと以前伺ったんですけども、医学を学ぶということについてお父さまの存在はどのようなものだったんですか。
 
八幡亜樹(以下、八幡):学び始めてからの話でしょうか?
 
木下:ええ。
 
八幡:父の影響を受けているかもしれないことにはすごく抵抗がありました。私は自分で見つけた道を歩いていきたいという思いをもって生きてきたので。でも、結果的に影響を受けていたことは否めないと思っています。東北の震災も一つの医学を学ぶ決断をした理由だったと思います。あのとき、芸術界が全体的に無力感に包まれたと思っています。当時は私もそうだったと思います。だけど、身近な医療者たちは、なんの迷いもなく行動して、やるべきことをやっていて。私は、芸術もそれくらいの強度をもったものであって欲しいと思いましたし、自分がそれくらい強度のある作家でいなくてはならないと思いました。今思えば、芸術には医療とは全く別のことが求められているし、比較して無力さを感じたりする必要はなかったと思いますが。同じことが起こったら、いまは芸術は芸術のままで、震災のために何かをしなきゃとか変に考えすぎなくていい、それぞれの創造性が力だから、と言いたいけれど、当時はそう言い切れるほど私自身が自分の芸術を信じてあげられてなかったのかもしれません。美術界全体の話というよりは。ただ、やっぱりもっと、芸術が芸術として強く確固たるなにかをもっていて欲しかったという思いはあり、自分がそのために何ができるかを考えて医学をまずは学んでみる、実用的な芸術というものを目指してみる、という時期がありました。それが医学部入学当時ですかね。
 
木下:滋賀医科大学にご入学されたのは何年なんですか。
 
八幡:2015年10月ですね。
 
木下:そうなんですね。それで八幡さんの言われる、芸術の強度というのは、その強度というのは、何によってなし得るんですか?
 
八幡:芸術にたずさわる人間が、自分の信じる芸術を貫くこと、あるいは絶対に信じられる芸術を追求しつづけることですかね。
  
木下:生涯をかけて、貫きうる内容があるということですか。今、芸術家と言われる人たちはその人にしかできない表現がありますよね。言い換えると、他の人には到達し得ないものです。
わたしには八幡さんの言われる、「絶対に信じられる芸術」というものが、各々の人間が持っていれば、なんたってできるように思います。わたしは芸術家ではないですが、「絶対に信じられる芸術」を言い換えるなら一人の歴史家として、絶対に自分が見誤ることのない基準というものがあります。
 
八幡:見誤ることのない基準ってどういったことですか?
 
木下:何回もその史料を見て、そこに書いてあることが正しいかどうか検証すること。何回も思考を繰り返して、周りの人の意見も聞いて、ある結論を導く。そうした結論の正しさというものです。確信を持っていえる事実。それが基準になって、他の出来事にアプローチできるという方法がわたしの中にあります。
 
八幡:たしかに、個々のなかにそういう確信があったときの世界全体の強度みたいなものはなんだかすごい気がしますが、「なんだってできる」というのはどういうことでしょう?たとえば震災からの復興とかそういう話でしょうか?
 

◆食べるということ

木下:日常において自分の仕事や生活を目指して行くために芸術の視点があるといいと思うんです。すごく疲れて帰宅した時に、パックの中にある惣菜とか、それを開けてそのまま食べたり、ほうれん草が高い時期に冷凍のほうれん草を買ってそれを開けると、中身がすごいバラバラな切り方で、食べているっていう感じがしなかったんです。お皿に移していないし、ほうれん草を自分で切っていない。食べるというのは、食べること自体が目的なのではなくて、その素材を手に入れて、それを自分の手で変えて行く。そうした全体性の中にあるんだということに気づいて。
何かに取り組むことための意思が「なんだってできる」でしょうか。もちろん、野菜やそれを育てる農家がいなければ手に入らないのですが・・・。それに気づくには、芸術の力、視点がないといけないのではないかと思うんです。それを持っていれば、より良い仕事ができるんじゃないかとそう思いました。
 
八幡:最近、手食を広めたいと思っていて。それは、多くの老人が自分で食べることができなくなって、人の介助を受けなくてはならないのですけど。そこで有名な話で、食べれなくなったその人に、握り飯を手渡したら自分で食べれたという話があって。私は手食によってその人の野生や本能が呼び覚まされた、よりプリミティブになったからだと思っているんですが、あるひとは、「食べるリズム」の問題と分析していて。真理はわかりませんけど、とにかく、そういう「こうだ」と思いこまれたままで進んでいた道の外側に、他の選択肢があったということに気付くための方法、自分たちの内面のいくつもの可能性に気付く方法として「芸術的な視点」というのが役に立つのではないかということは、最近コレクターのお友達とも話したりしました。そこにつながっている話な気がしたので話してみました。
 
つまり、ケアがこうあるべき、という考えで推し進められているときに、芸術が何か別の視点をもたらすことはやはりありうるとは思いますが。それが具体的にどういう形で起こったらいいのかはいろいろ考えようがありそうですね。
 
木下:そうですね。内面、他の選択肢に気づくための方法。おっしゃっていましたけれども、いわれてみれば八幡さんの作品には、食事のシーンがありますね。
ケアというと、国家・制度の中に社会保険、社会福祉として組み込まれていて、介護保険は医師やケアマネージャーが判断をして、生活の支援をして行くというプロセスがあります。けれども、それが固まったもの、決まったパターンにはまっちゃうとケア自体が目的化してしまわないかということを考えました。
それで、関口祐加さんの《毎日がアルツハイマー》(「毎日がアルツハイマー」ウェブサイト)というドキュメンタリー映像作品があるんです。3部作になっているのかな。70代後半の母がアルツハイマー型の認知症になり、その母の行動を追う内容ですけど、瞬間瞬間は正しい判断ができるのに、それが連続した時間の中で見ると、判断ができないのですね。忘れてしまうからです。そうした中で本人が困惑しているシーンがあります。こんなはずじゃない・・という。例えば銀行通帳がどこにあるかわからない。おもらしをしてしまう。それに対する感情は人間としての全くそれであって、病気ではないのに、ただ認知症ということがその人を苦しめる。周りも認知症になったら何もわからなくなるから嫌だという視点もあって、本人も認知症ではない、ならない、という袋小路。スパイラルにはまっている状況がドキュメンタリーとして表現されていました。
それを見ていて、芸術のアプローチによって、この認知症というものがもっと、なってもかまわないものになればいいなあと。認知症の本人は、自分が認知症であることを受け入れられない。なったら迷惑をかけちゃう、そうした格子をバラバラにとまでは完全にいかないかもですけど、その人が最後まで認知症の人ではなくて、意思を持って生涯をまっとうするための芸術の方法があるといいなと思いました。
 

◆身体を変えること、拡張すること

八幡:変化することは楽しいこと、ひとと違うことは面白いこと、という安っぽい表現になってしまうけどそういう価値観があるだけでだいぶ社会は変わると思いますけどね。いま、新作で犯罪の加害者家族の人と制作をしていて、日本社会は犯罪の加害者家族は連帯責任があるという考えが強くて、加害者家族が責められて、生きる場をなくし、自殺する人もいるという状況になっています。私個人は、加害者と加害者家族は全く別の人生を生きて良いと思っています。「寛容であること」あるいは答えを決めつけず、間に浮遊するようなことをいろんな価値観の人と共有することが重要だと思っていて、私は自分の作品がそういう白黒つけない中立的なところで、ただ事実を共有して考える場になったらいいなと思って作品を作っています。ただ、中立といいながらも、加害者家族の立場にフォーカスして理解しようとする立場がすでに加害者家族を擁護している、そちらサイドに寄り添っているという指摘を被害者家族の方から受けて、その時は本当に悩みました。ある部分ではそうなのかもしれないという葛藤がありました。でもやはりそういうことではないんですよね・・・。そういうことじゃないことを示すための作品形態をとにかく模索しました。作品というものの制作プロセスの中で、人が「寛容である」という状況を作り出すための試行錯誤は自分なりにしているのかもしれないということを思ったりしました。
 
木下:寛容であること、というのはこの新型コロナウイルスの時代、それがむくむくと頭を出しているような気がするんです。いや、コロナだけじゃないですよね。八幡さんのその白黒つけない中立的な、というのは見る人がそれを見ることによって、あ、そういう立場もありうるのかという自分の立場がぐらつくような経験なのだと思いました。というのも、私自身が、各々の芸術作品に接して、初めて自分が何かについてどう考えているのか、あぶり出されるように思うからです。
すごく端折ってしまうんですけど、八幡さんの作品には、どっちとも取れるというものがあるように思うんです。以前、メールのやり取りで八幡さんと共有したメモに記したんですけど、ここのところですね。
 

「フィクションかドキュメンタリーか尋ねられることが多いのではないかと思いますが、そこよりもコントロールするところとぽんとまかせる部分がある。そうした余白が「辺境」の特徴のように思う。ケアをするとき、自分でも自分のことを理解しているわけではないということがなおざりにされているのではないか。
とくにTOTAについてお聞きしていきたいと思います。この作品はお互いに見えない、聞こえないことの想像が及んでいない、つまり未知なる身体への想像がスパークするようなものがあるように思いました。」

 
八幡さんの制作方法として、登場人物にカメラを持たせるというのがありますが、その新作でも試みているのですか。
 
八幡:新作では、カメラを持たせる代わりに、加害者ご家族本人に詩を書いてもらい、朗読していただいています。
 
木下:そうなんですか。ニュースでは八幡さんが言われるように、加害者家族が一方的に攻撃を受けるような状況がありますよね。でもそれは、そうした犯罪だけではなくて、日常の中にもあるような気がします。差別問題がそうじゃないでしょうか。
 
八幡:具体的にどんな差別を想定していますか?
 
木下:たとえば、部落差別です。近世は被差別層が住む場所が決められていて、そこに住む人はなんのいわれもなく、差別を受ける。明治になるとそれは廃止されるんですけども、差別だけは残り、教育を受けることができない、就職活動ができない、お見合いがなかったことになる、というそうした出自による差別があります。全く不当なことです。こうしたヒエラルキーな構造はなんなのかということですね。
 
八幡:背負ってしまった境遇の問題だと思うのですが、差別を受けていなくても、みんないろんな境遇の中で、自分の力ではコントロールできない何かを背負ってしまっているところもあるはずで(特に親子関係)、差別する側が、自分の中に同じものを見出せないのは何が原因なんですかね。想像力を使って、自分の身体を少しでも拡張すれば、他者の身体に完全にとはいかなくても、薄皮に触れるくらいのことはできる気がするのです。「想像力の欠如」。安易な表現だけど、やはりそれはいつも社会の問題ですね。
 

(4)に続く。