ケアを啓く

認知症のある方々が暮らす環境をより普遍的なものにするために「ケア」をテーマにしたインタビュー、フィールドワークから考えていきます。

vol. 6

八幡亜樹さんと語る(2)

プロフィール

八幡亜樹(やはた・あき)
映像インスタレーションを、『「人類の表現=生きること」のための思考装置』と捉え、取材をベースとした作品制作を行なっている。
また、「辺境」に人類の表現の根源的なものを感じ、その追求のための場としてHENKYO.studio(京都)を設立。
 
八幡亜樹ウェブサイト
 
1985年 東京生まれ 北海道育ち
2008年 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科 卒業
2010年 東京藝術大学院美術研究科先端芸術表現専攻 修士課程 修了
2020年 滋賀医科大学医学部医学科 卒業
2020年 HENKYO.studio(京都)設立
 

◆研究室での活動

木下知威(以下、木下):ええっ・・・八幡さんがプレゼンの時にお帰りになる(絶句する)。あまり何か言われた記憶がないとのことで、そうだったのですね。学部の時は伊藤先生のゼミだったんですか?
  
八幡亜樹(以下、八幡):日比野克彦先生が学部、大学院から伊藤俊治先生です。
 
木下:そうなんですね。日比野先生、伊藤先生のゼミはいかがでしたか。
日比野先生は、1980年代でしょうか?ダンボールを素材にした作品をたくさん作られますね。けっこう昔の日曜美術館の番組がYoutubeにありまして、1980年代じゃないかと思いますが、日比野さんのアトリエの中を紹介しているのがありまして、ダンボールで作った大きな作品が紹介されていました。これがわたしの日比野さんのイメージとして今も続いています。最近は、TURN の活動、また精神障害者とのワークショップ、施設での滞在制作をなさっていますね。だから、机の上よりも身体を動かして考えるのが好きという印象があります。
伊藤先生は、写真史の本を読んだことがあって、サントリー学芸賞を受けている『ジオラマ論』は、近代の歴史を勉強する際にわたしの中では必須の文献でした。また、植島啓司先生と編纂したディスコミュニケーションをテーマにした本があり、メディアとコミュニケーションに強く意識をお持ちのように思いました。
 
八幡:なるほど・・どこから話そうかな。
どちらの先生からもものすごく大切なことを教えていただいたと思っていて、尊敬する、大好きな先生です。日比野さんは、基本的に自分のワークショップに学生を同行させて、スタッフとしての働きを通して体でいろんなことを学んでいけ!というタイプの先生でした。私もそこでたくさん得たなあと思います。集団で何かを作るときに、常に他の人の立場とかに想像力を働かせないと場が回らないという、今となっては当たり前のことかもしれないけど、そういうことを学んだ気がします。余った材料に、ちゃんと名前をつけて保管することで、自分じゃない誰かがすぐに使えるとか、そういうことの重要さをすごく知りました。あとは、年上の方達にお酌をするとか、タバコを買ってくるとか、そういう気遣いが必要ってことも日比野研で学びました(笑)。
 
木下:お酌をする、タバコを買ってくるというのは今では批判的な視点も少なくないと思うのですが、どう思いますか。
 
八幡:そうなんですよね、だから、あのころがそういう価値観の最後の時代だったのかなあと振り返ると思っていて。いまだったらない気がするので。2006年ころ。
 
木下:まだ、SNSがなくて、個人の発言がそんなに今ほど露出しない時代でしょうかね。
 
八幡:そうですね。そういうこともやはり関連しているんですかね。
 
木下:日比野先生の、余った材料に名前をつける。というのは、制作に使ったもので余ってしまったものについて捨てるのではなくて、使えるように整理しておくという意味?
 
八幡:そうですね、明日のシフトのスタッフにもわかるように整理しておくとか、自分しかわからないことがないようにするという、まあ仕事の基本、みたいなことを日比野研究室で学んだと思います。
 
木下:日比野研究室には何人ぐらいいたんですか?
 
八幡:スタッフですよね?めちゃくちゃいましたよ。何十人も関わっているし、固定メンバーとたまにくるメンバーとかいろいろいて。
 
木下:ちょっと想像しにくいのですが、日比野さんのアトリエのスタッフのことですか?
 
八幡:日比野さんの制作は市民参加型みたいなところがあって、固定メンバーがいて、
 
木下:プロジェクトごとに制作チームが変わるような・・・。
 
八幡:そうですね。だから行った地域ごとに参加者やコアメンバーが若干違うんですが、みんなわりと日比野プロジェクトの虜みたいになっている人が多いので、各地のプロジェクトを渡り歩いているようなスタッフもいるし、なんだかんだみんなつながっているような感じもあるかも。
 
木下:なるほど、制作をするにあたって、身体を動かして、人と関わっていく上で教わることがあったのですね。一方で、伊藤先生のゼミはいかがでしたか。日比野先生の話を伺いますと、伊藤先生は真逆の、理論的な先生で、教室で丁寧に議論を重ねられていくようにわたしは勝手に想像してしまいますが。
 
八幡:伊藤先生はそうですね、動いてどうこうではないけれども、ただ、バリ島に研究室のみんなで行って儀礼や祭りをみたり、まったくアウトドアではない訳でもなかったですね、そういえば。ただ、日比野さんもかなり直感的に学生のことを的確にみて的確なアドバイスをくれる人でしたが、伊藤先生はそれがより人類学的だったんですかね、やっぱり。
 
木下:すみません、より人類学的というのは、うーん、その人に対する射程が広い感じですか?例えば、その人の生活や社会についてよりコミットしているようなことですか。
 
八幡:日比野さんは美術やアートの文脈の中での作家性に対するアドバイスのようなところが強いかもしれないけれど、伊藤先生はもっと作品が人類学的な文脈の中でどんな意味合いをもつかとか、そういう感じで、
 
木下:ああ・・・。人類学的な文脈。作家か作品かという視点の違いが二人の先生にあるのですか?
 
八幡:私もかなり直感的に、二人の先生を感じ取っているので言語化がむずかしいのですが、そうかも。作品の深度みたいなことに切り込んでくる、一緒に併走してくれる感じは、伊藤先生の方があったかもしれないですね。
 
木下:作品の深度ですか。ちょっと話が前後しますが、八幡さんは大学院進学の際にどうして伊藤先生のゼミを選ばれたのですか?
 
八幡:日比野研究室で体を動かして学ぶことは存分にできたと思ったんですよね。もうすこし、作品の中身について深く考えていきたい、というときに、やはり評論家目線の伊藤先生にいろいろ師事するのは勉強になるとおもったので。
  

◆八幡さんの作品について

木下:なるほど。体を動かして学ぶことと、作品の中身について考えていくという外側と内側のバランスでしょうか。そうして、八幡さんは2008年に《ミチコ教会》(参照:《ミチコ教会》トレーラーへ)という作品をご発表なさっていますね。わたしはそれを(東京の)森美術館で拝見しまして、それが最初の八幡さんを知る機会でした。それは、卒業制作だった?
 
八幡:そうです!
 
木下:その際に、作品の中身について考えていきたいと。《ミチコ教会》はヴィデオ・インスタレーションで、映像だけでなく、教会のかたちをした大きなミニチュアのようなものも配置されていたと記憶しています。これ以降、八幡さんの作品をいくつか見て、これは本当の話なのかな?そうじゃないのかな?という感情が常に伴っていて、その意味で繋がっているものを感じるのですが、伊藤先生のところでもっと深く考えていきたいというのは、どのような部分だったのですか?
 
八幡:当時の考えを正確に思い出すことはできないのですが、振り返って想像すれば、当時の自分のテーマの一つに「現実世界の中での魔法の存在や感触」というものがあって、それが自分の中では決してファンタジーではなくて人の生と強く結びついているものだという思いがあって。それを追求していこうとするにあたって、伊藤先生に考えを伝えた時に、伊藤先生はたくさんの知識の中からヒントになるような作家やそれこそ民族の儀式的なこと、魔術的な話をしてくれたんじゃないかと思います。伊藤先生に出会う前の私は文化人類学というものを知らなくて、でも、魔法の感触とかそういうものを、人類学にも感じたような記憶はあります。そういう、芸術が美術史やアートマーケットとかの関連性の中にあるだけじゃなくて、生きることと切り離せなかったものだという証拠のようなものを、伊藤先生がたくさん示してくださったような気がするのです。作家の自己表現でなく、この世界の必然として生まれた、人類の必然として生成した芸術、そういうものをもっと自分の中に深めていく必要性を感じていた中で、伊藤先生はあまりにも多くのことを知っている人でした。
 

 

ここで休憩をとる。15時半前、八幡さんと近くのケーキ屋さんへ。ここは京都府立盲学校からの帰りに寄ったことのある店で久しぶりに来た。相変わらずメニューに「まったり」など形容詞をつけているのが印象に残る。ミルクレープとタンタロールケーキを購入して、スタジオに戻る。

 

 
木下:〔食べながら〕ミルクレープ久しぶりです。
 
八幡:ドトールでしか食べないですね、なかなか。
 
木下:カフェに行くことが多いんですか?わたし滅多になくて。
 
八幡:最近は忙しくてカフェ作業すらも減っていますが、国家試験の勉強はドトール通いまくっていました(笑)。
 
木下:ああ。カフェだといろんな人が雑音になって、集中しやすいですよね。ざわざわした感じが。ケアと関連するかわからないのですが、注意力が程よく働きそうな空間があります。
 
八幡:そうですね。ふと窓をみたときに人が歩いているのをみたりするとちょうど良い息抜き効果もあります。
 

studio2階の写真

◆医師を目指されたことについて

木下:〔部屋を見回す〕いま対話しているこの部屋には医学教科書が多く並んでいますが、医師の国家試験のための本ですか?
 
八幡:在学中に、基礎医学を学ぶ必要があって買った本と、いまも臨床で使える本もあります。国家試験でも使ってましたけど。ここで健康相談をやろうと思ってたので、参考書としてあった方がいいと思って、こっちに持ってきました。
 
木下:この2階の部屋を健康相談の場所としてやりたいんですか?
 
八幡:そうですね。あくまでも、「Outsider medicine (アウトサイダーメディスン)」という独自の概念を開くための実験的な健康相談になりますが、どっちかというと、私が相談する側になると思っています(笑)。
 
木下:面白いですね。相談に来た人が八幡さんの相談を受ける側になっている。
 
八幡:そうなっちゃうんじゃないかと。アウトサイダーメディスンが確立されてないので(笑)。
  
木下:そのアウトサイダーメディスンは、八幡さんの造語ですか。初めて聞きました。
 
八幡:造語です!アウトサイダーアートからもじってます。
 
木下:へえ、興味深いですね。その話をもっと伺いたいのですが、そこに行き着くまでのプロセスがあります。話を戻しましょうか。八幡さんは東京藝術大の院では伊藤先生の研究室にいらして、修了が2010年ですね。それで、その時これからどうしようと思っていたんですか?
修了制作はなんだったのですか。
 
八幡:修了制作はほぼなかったことになっている作品ですね、そういえば。《ニューホテルあめおんな》という。
 
木下:わたしも、修論は無かったことになっている論文です・・・。公表はしていますけど、できがひどくて。納得できませんでした。
 
八幡:(笑)。そうなんですね、まあそういう時もありますよね。
ただ、まわりの私の活動をある程度追いかけてくれていた人は結構評価してくれてた人もいたんですが、私はあまり納得いかなかったんですね。 
 
木下:そうなんですね。修了された後、どうなさったんですか?
 
八幡:博士課程に行こうと思っていたので、そのまま博士にいきました。伊藤先生のところで。
 
木下:そうなんですね。でも、八幡さんの経歴を拝見しますと、2020年に滋賀医科大学をご卒業となっております。色々とお考えになったことと推察しますが、医学の実務や知識を身に付けることで、芸術を通じた、人間の表現を進めて行くために選んだのですか。
 
八幡:博士論文で言語化に思い悩むうちに、「医学と芸術」なんじゃないかと思い至って。だから、ある意味で博士に進学して言語に苦しめられなければ、医学部に行く選択をしなかった可能性もあるかもしれないとも思います、わからないけど。
でも、人間・生(人類の表現)を追求していくというのが自分の人生をかけてやっていくことだという確信が100%だったので、そのときに医学への関心は常に出てきていて、自分の芸術を完成するためには医学を学ばなければならないと思いました。論文を書くにしても、医学を学んでからだなと。
医師になることには重きは置いていなかった。あくまでも、芸術家としてどうすべきかを考えています、今も。
 

(3)に続く。