ケアを啓く

認知症のある方々が暮らす環境をより普遍的なものにするために「ケア」をテーマにしたインタビュー、フィールドワークから考えていきます。

vol. 2

写真家・金川晋吾さんと語る(2)

金川晋吾(かながわ・しんご)
1981年生まれ。2006年神戸大学卒業、2015年東京藝術大学大学院修了。
2010年に三木淳賞、18年にさがみはら写真新人奨励賞を受賞。2016年に『father』(青幻舎)を出版。近年の個展に、「長い間」(横浜市民ギャラリーあざみ野、2018)、グループ展に「STANCE or DISTANCE? わたしと世界をつなぐ『距離』」(熊本市現代美術館、2015)など。
 
金川晋吾ウェブサイト
 

撮影・金川晋吾

◆IMIから東京藝術大学へ

木下知威(以下、木下):日常で歩いていた道にあった本屋さんでの出会いやお兄さんの影響もあって、音楽、映画、写真といった芸術文化とのコンタクトがある。そこで意識が変わっていく経験を通じて、金川さんの関心が広がっていったのだと想像しました。
 その金川さんが本格的に写真をはじめられるきっかけとして、大阪のIMI(インターメディウム研究所)というところに入学されたということがあるとおもいます。1996年に開かれたアートスクールで金川さんは2005年に修了されたとのことですが、IMIの入学は神戸大学の在学中ですか?
 
金川晋吾(以下、金川):在学中に休学して、2003年から2年通っていました。
 
木下:大阪で写真を学ぶところはたくさんあると思いますが、どうしてIMIを選んだのですか。
 
金川:大学4年生になってこのまま就職活動をするという気になれなくて、一度表現について学べる学校に身を置いてみたいと思いました。IMIを選んだのは講師陣がおもしろそうだったからです。
 
木下:といいますのは、入学前に講師陣の作品をすでにご存知だったのですね。「若き写真家が見る歪んだ世界」では写真家の鈴木理策さん(1963-)との出会いにふれていますよね。鈴木さんに写真を見せて、それについてコメントをしてもらった、と回想なさっています。
 
金川:IMIでは理策さんと出会えたのがよかったです。理策さんが私の写真をおもしろがってくれたので、その気になって写真をやろうと思ったというのはあると思います。
理策さんは写真に何かが写っているということを自明なこととせずに撮り続け、考え続けている写真家だと思うのですが、写真に対するそういう態度はとても影響を受けているというか、自分もそうありたいと思っています。
 
木下:2008年に上京なさって、東京芸術大学の大学院に入学なさるのもその出会いがひとつのきっかけとしてあるのですね。
 
金川:そうですね。
 
木下:IMIを修了なさった後の2006年頃から数年間、金川さんはブログ「金川晋吾の日記」で撮影された写真をいろいろとアップロードなさっておられまして、試行錯誤しているご様子だとかんじました。
 
金川:そうですね。写真をはじめてからずっとスナップショット的なことを続けていて、最初はそれがおもしろかったのですがそういう作業を続けることに、自分でも倦んできてくるというか、こういうことはこれ以上続けられないという感じになってきていました。
 写真をはじめたころは、写真というものは、時間の持続を切断したり、その状況が置かれている文脈を隠してしまったりするので、何かを伝えるというよりも、むしろ何かよくわからなくするものだと思っているところがあって、写真のそういう部分をおもしろがって、とくに対象もテーマも決めずにスナップ的な写真をずっと撮っていました。今でも写真に対してそういう認識はもっているのですが、でもそれだけではないだろうというか、そこに固執し過ぎないようになりました。
 
木下:ブログを拝見しますと、そのスナップショットのパターンから抜ける方法を探っているように感じます。たとえば、2枚のあきらかに異なる写真をならべて、時系列をあざとく崩している様子があります。
 その方法もですが、なによりも撮影された写真をブログにアップしていること自体がおもしろいですね。2000年代の終わりはtwitterやFacebookが流行するSNS以前のブログが全盛んだった、インターネットのコミュニティがあります。
 
金川:あのころはそういう状況がありましたね。自分はそこまで熱心にやっていたわけではないのですが、そういうのを少しは見ていたのもあって、自分もブログにアップしていました。
でも、自分のやっていることに確信はもてなくなっていました。
 何か「あざとさ」みたいなものが自分のなかで目につくようになってきたというか、もっとちがう可能性に自分をひらいていきたいと思いながら、そうするにはどうしたらいいのかわからないという感じだったと思います。
 
木下:それが芸大に入学される契機につながっているのでしょうか。
 
金川:そうです。自分が何をすればいいのかわからなくなっていました。
 そういう状況が芸大入学後もつづいていたのですが、修士1年目の2008年9月に父がひさしぶりにいなくなって戻ってくるということがあり、 父という自分自身と深いかかわりをもつ対象を撮ってみたらどうなるのだろうと思い、撮りはじめました。これまでの自分がやらなかったことをやってみようという気持ちがありました。
 

◆父を撮る

金川晋吾《father》

金川晋吾《father》

木下:それが《father》という作品として発表されることになります。金川さんのお父様はフラッと失踪することがあり、なかなか帰ってこないこともある。それが撮影の動機につながっています。その背景については、写真集『father』に当時の様子が日記として収録されています。いなくなったお父様を金川さんがあちこち探して回る話もありますね。これらを拝見したとき、家にいようがいまいが、父というよりは「父なる存在」というものを誰しもが持っていて、かつ誰しもが通り抜けなければならないということを考えさせられます。
 
金川:自分はどちらかというと、そういう「誰しもが通過すべき父なる存在」というような考え方にはそんなにしっくり来ないというか、むしろそういう考え方や語り方に抵抗するものとして《father》という作品はあると言っていいと思います。
 父という存在を避けて通れない絶対的なものとして語ることももちろんできると思うのですが、父と子の関係なんていうのはたまたまそうだったというか、その人が自分の父親であるということ自体にはたいした意味はないとも言えると思っています。 もちろんその人に育ててもらったり長い時間を一緒に過ごしたりするので、大きな影響を受けることは多々あると思うのですが、でもその影響の受け方は各個人で全然ちがってきますよね。その各個人で全然ちがうということのほうが私には重要だと思うんです。
 父を自分自身のルーツだと考え、父を見つめることで自分自身が何者なのかを考える、自分自身の「本当」を見つけるみたいなことにはあまり興味がないというか、私がやりたいことではないです。何か意味を求めて問いかけたところで答えなんて返ってこない、そういう他者とのやりとりがむしろ問題となっています。
 
木下:そうなのですか。《father》は金川さんがひろく知られるようになった作品で、いくつかのインタビューがございます*。ここでひとつ申し上げると、繰り返しになりますが、金川さんの日記を写真集の最後に載せている点がおもしろいと思いました。
 日記を毎日つけておられるのですか。
 
金川:もともとはそんなにつけるタイプではなくて、たまに自分の気持を整理するためにつける程度でした。今は日記というものに興味があるので、できるだけつけようと思っていますが、それでも全然毎日ではないです。
 
木下:書くことによって気持ちを整理する。ケアを考える時にとても大事なことですね。ケアは介護のためだけのことばではないと思うのです。たとえば、わたしたちも忘れてはいけないことをTodoとしてメモして時間に気配りをしている。ケアはそういった小さなことから始まっているように思います。
 
金川:父とかかわっていくなかで、これは日記につけておきたいと思うことがどんどん出てきました。
 あれはその日にちゃんとつけているわけではなくて、あとから思い出したり、あとから映像や音声を聞きなおしたりすることでつけています。写真集に入れるにあたってかなり手直しもしています。
 
木下:過去の出来事を記録したものも使いながら回想して、つけているのですね。お父様を撮影された写真集『father』に日記をいれるにあたって、手直しをなさったというのもまた、とてもおもしろいです。
 
金川:日記の場合だと、説明を省略できるというか、断片的に語れるようなところがあって、それがこの作品には合っていると思いました。例えば日記がはじまる最初の日においても、父に会いにいく経緯や私の気持ちなどの説明を省いて、いきなり父に会いにいくところからはじまっています。
 
木下:それで、2008年の年末にお父さんの写真を撮られて、それが作品として発表できると感じたのはどのあたりからですか。
 
金川:そうですね。けっこうすぐに展示はやってみていて、2009年の1月には芸大の学生会館で川村麻純さん(1975- 参照:川村麻純ウェブサイト)と二人展を自分たちでやりました。一年後の修了展もこの作品でいこうと、自分が写っている写真と父の写真を大きくプリントしてそれを展示しました。
 
木下:いま、お名前が出ました、川村さんは撮影される対象やその地域のリサーチを丹念になさいます。作品をみていると写真なのか映像なのか一瞬わからなくなる時があって、空間のインスタレーションでもある、ひとつの言葉や考え方に収斂することのできない、いい作品を作られますね。
 

*「『失踪を繰り返す父親』を撮り続けたカメラマンに会ってきた!」(参照:いまトピ ウェブサイト
「“失踪を繰り返す父”と“行方不明だった伯母”を撮り続けた写真家・金川晋吾作品集『father』インタビュー」(参照:TOCANA ウェブサイト

金川晋吾《Kanagawa Shizue》

◆認知症の当事者との出会い

木下:「長い間」に収録された日記によりますと、2010年6月16日にお父さまを撮影された写真展を各地で展開されておられたときに、金川さんのおばあさまから娘である静江さまの消息を知らせてこられたとあります。まず、おばあさまが電話で知らせてくださった経緯をご教示いただけませんか。
 
金川:僕は小学生低学年ぐらいのころに会って以来、静江さんとは一度も会っていませんでした。祖母も、私に電話をくれる前の数年間ぐらいは静江さんと連絡がつかなくなっていたようです。静江さんの弟である父ももう何年も連絡をとっていなかったみたいです。祖母と静江さんの関係というのは、僕もそれほどよくわかっているわけではないです。
 
木下:その頃は、おばあさまが身元引受人だったのですね。
 
金川:そうやって病院に搬送される前の静江さんの生活というのはもうよくわかりません。静江さんが病院に入ってから祖母は会いにいっていなくて、私が身元引受人になりました。
 
木下:おばあさまから電話があり、金川さんは小学校以来、ながらくお会いしていなかった静江さまが病院にいらっしゃることを知り、お会いにいかれます。その当時、静江さまはすでに認知症があったのですか。
 
金川:そうですね。僕がはじめてあったときにはすでに記憶はおぼろげでした。
でも、はじめて会ったときはそこまで進行はしていない感じでした。
 
木下:「長い間」ではよくわからなかったのですが、静江さまの写真はいつから撮り始めているのでしょうか。
 
金川:はじめて会ったのが、2010年の6月で、その3か月後、9月に2回目に会いにいったときから撮っています。写真を撮ることが静江さんに会いに行く動機になっていますね。写真を撮ることがなければ、静江さんに会いに行こうという気にもなりにくいです。
 私と静江さんとは過去のことについて共有しているものはほとんどありませんし、また静江さんに過去のことを尋ねても、そういうやりとりはうまくいきません。その一方、写真はとりあえずその人が目の前にいれば撮ることができます。今静江さんと会っていて、目の前に静江さんがいるということは写真に撮れます。過去を共有していない、そして対話によって新たに何かを共有することもむずかしい私と静江さんとの関係というのは、とても写真的なものなのかもしれないと思うことがあります。まあこれは完全に私のための考え方であって、静江さんにとってはそんなことは知ったことではないかもしれませんが。
 
(3)に続く。
(2020年3月20日午後、成城学園前駅近くのカフェにて)