ケアを啓く

認知症のある方々が暮らす環境をより普遍的なものにするために「ケア」をテーマにしたインタビュー、フィールドワークから考えていきます。

vol. 3

写真家・金川晋吾さんと語る(3)

プロフィール

金川晋吾(かながわ・しんご)
1981年生まれ。2006年神戸大学卒業、2015年東京藝術大学大学院修了。
2010年に三木淳賞、18年にさがみはら写真新人奨励賞を受賞。2016年に『father』(青幻舎)を出版。近年の個展に、「長い間」(横浜市民ギャラリーあざみ野、2018)、グループ展に「STANCE or DISTANCE? わたしと世界をつなぐ『距離』」(熊本市現代美術館、2015)など。
 
金川晋吾ウェブサイト

金川晋吾《Kanagawa Shizue》
 

木下:「写真的な関係」とおっしゃるところ、胸に響くものがあります。これはまた後ほどお伺いします。
 わたしは写真家ではないこともあるのか、人にカメラを向けることそれ自体に特別な感覚をおぼえます。承認といいますか、無言でカメラを向けることについてためらいがあって、被写体の許しを得るところがあります。
 金川さんは静江さまに2回目にお会いされたときから写真をとられているとのことですが、どのように撮りはじめたのでしょうか。
 
金川:はじめて静江さんの写真を撮るときには、自分が写真をやっていて、静江さんのことを撮りたいということを伝えてから撮らせてもらいました。カメラはPENTAX67という中判カメラをもっていきました。はじめから静江さんを撮るというのは、とりあえずの記念写真というのではなくて、もう少し何か特別な気持ちで撮影をしようと思っていたと思います。
 撮影の方法は記念写真に近いような、とりあえずそこにいる静江さんを正面から撮るというものでした。
 はじめからそういうかたちになったのは、静江さんが認知症だったということ、言葉でのやりとりがうまくいっているのか、相互にやりとりできているのかがよくわからないという状態だったということは関係していると思います。
 
木下:中判カメラといいますと、それなりにずっしりした大きさのいかにもカメラ!というものだと想像します。
 それで、写真を始めて公開されたのは、6年後の2016年の横浜市のあざみ野ギャラリーでのグループ展です。静江さまのお顔のアップやファミレスや家電量販店にお出かけの様子など、いろんなところで撮影された写真を同じサイズにプリントして、等間隔に同じ高さで展示をされていました。これを拝見しました時にまず思いましたのは、とてもお顔がよく似ていらっしゃるな、と。ちょっと体を傾けている様子も印象に残りました。これまでもさんざんいわれていると思いますが。
 同時に、イタリアの画家ジョルジュ・モランディ(1890-1964)のことをおもいました。生涯をかけて手元にあった壺や瓶を組み合わせた静物画をずっと描いていた人ですね。金川さんはモランディのように、「配置」を考えているとおもいました。
(モランディの作品例:The Metropolitan Museum of Art ウェブサイト / The Art Institute of Chicago ウェブサイト
 
金川:僕が写真を撮るときにということですね?
 
木下:ええ。ファインダーの中での人の配置を考えていらっしゃるなと。それから撮られた写真を並べる時の配置です。同じ対象をいろんな場所で撮影なさることを通じて、その見知らぬ身体のイメージが彫刻のように、彫り込まれていくような感触があります。モランディも手元にあったオブジェを何重にも組み合わせていて、オブジェの形態を認識しなおすことができる気持ちになります。
 
金川:モランディのようだと言っていただいたのはうれしいです。モランディの絵はとても好きです。そして、たしかに私が静江さんを写真に撮るときには画面の配置ということは意識しています。ただ、おそらくモランディがオブジェのかたちを意識していたようには、私は写真に写る静江さんの身体のかたちをそれほど意識していないと思います。そこには写真と絵のちがいということがあると思います。絵の場合はそれを描くときにはその形態を認識することになると思いますが、写真の場合はその形態をちゃんと認識していなくても撮ることができます。
 モランディの名前を出していただいたのはとても示唆に富むというか、自分がやっていることについて考えるうえでいいきっかけをいただいたと思います。
 
木下:モランディの大きな展覧会が、東京ステーションギャラリーでありました。見ていると絵と絵の間に何も展示されていないところが目をひきました。2枚の絵の間は何もない、ギャラリーの壁なのですが、そこには絵と絵の間の時間があると思えました。伯母さまを撮影されたシリーズも横浜で拝見したときにも、写真と写真が撮られるあいだ、静江さまの時間に思いを馳せていました。
 「長い間」で顕著だと思ったのですが、テクストという形にお父様から静江さまへの視点の緩やかな移動があるようにおもいました。
 現在もお父様の写真撮影を継続なさっているとのことですが、ひとつのことをやっているうちに、また新たな道が開かれてきたということでしょうか。わたしにはお父様と静江さまの姿が少しずつ入れ替わりになっているような風景を思い浮かべます。つまり、わたしにとって《father》と《Kanagawa Shizue》は切り離されているものではない。
 
金川:fatherと静江さんの写真の関係性というのは、私としてはそこにあえてつながりを語るようなことはしようとは思っていません。
 父の写真と静江さんの写真とのあいだには何ら関係はない、つながりなんてないと言ってしまうのは嘘になってしまうと思いますが、ただ私としてはそこにつながりがあるということをことさらに語りたくはありません。もし父を撮っていなかったら静江さんを撮ろうとは思っていなかったと思うので、そういう意味ではつながっていますが、それ以上の意味をそこに見いだそうとは今のところ思っていません。父と静江さんはそれぞれ独立した一人の人間であり、父を撮ることと静江さんを撮ることはそれぞれ独立しています。ただ、見る人がそこにつながりを見いだすことはとても自然なことだと思います。
 おそらく私はつながりを見いだすこと、あるいはそのつながりに意味や価値を見いだすことよりも、つながっていないものをつながっていないままに(あるいはつながっているのかいないのかよくわからないままに)見ること、あるいは語ることのほうに興味があるのだと思います。
 

金川晋吾《Kanagawa Shizue》
 

金川晋吾《Kanagawa Shizue》
 

◆認知症であるからこその人間関係

木下:なるほど。つながりを見出そうとしてしまうのは、わたしが歴史家であるからかもしれませんね。歴史は出来事の因果関係を検討しますから。それで、2016年に静江さまの写真をご発表される頃、静江さまの認知症は当初からどのくらい進行していたのでしょうか。
 
金川:進行具合をどう表現すればいいのかわかりませんが、私のことを静江さんは「まこっちゃん」と呼んでいて、その場で訂正すると「しんごくん」と一瞬は呼ぶのですが、しばらくするともう「まこっちゃん」に戻っていたりします。
 
木下:ほほえましいですね(笑)。それは認知症でいう見当識の障害でしょうか。「長い間」でご親族にその「まこと」というお名前の方はいらっしゃらないこと、静江さまがそう呼ばれるというエピソードについて触れていて、おもしろく読みました。
 金川さんが静江さまの写真を発表されたことについて伺います。写真にはいろんな撮影の方法、ジャンルがあります。それには被写体の肖像権、権利が付きまといます。たとえば、いわゆるストリートフォト、スナップショットでは被写体の許可を取ることが困難なことがあります。被写体がカメラを意識していないシチュエーションを作るために、写真家が一瞬だけカメラを向けたり、隠し撮りするようなアクションをすることがあります。これについて肖像権の問題としてSNSで議論になったことがありました。
 それで、金川さんは静江さまを撮影した写真を作品として発表することについて、認知症のあるご本人の承諾を得るためにどのようなプロセスをとっているのでしょうか。
 
金川:展示をするという話は一応しています。でも、あんまりよく分かっていなかったと思います。
 静江さん本人が作品として発表されることをちゃんと把握できているかわからないというのは、ものすごく危ういことだと思います。自分でも何かこの状態に対してふっと不安を感じることはあります。ただ、私と静江さんとのあいだには個人的な関係性があり、その関係性の実感に基づくと「肖像権の侵害」とかそういう言葉は出てこないだろう、これを発表することを静江さんは別に嫌がらないだろうと自然に思えます。でもまあ静江さんが本当のところどう思うかはわからないんですけども。
 私がこの写真を発表してもいいと考えているとき、その考えには、静江さんが認知症であり、写真が発表されることが彼女の生活に影響を及ぼさないだろうという憶測が含まれていると思います。それはやはりとても危うい部分を孕んでいると思うのですが、自分と静江さんとの関係は認知症の上に成り立っていて、認知症抜きには考えることができません。
 
木下:そうですね、認知症抜きにお二人の関係を考えることはできません。先ほど、静江さまとの関係を「写真的な関係」とおっしゃいましたが、そうですね、身元引受人や伯母と甥という、法的・血縁的な関係以外の関係があるように思います。
 写真家と被写体、つまり撮る人と撮られる人の関係というのは写真を考えるうえで大事なことですよね。横溝静さん(1966-)の《ストレンジャー》という、夜の窓越しに立っている住人を撮影したシリーズがあります(参照:横溝静ウェブサイト)。写真家が撮影したい窓のある家の住人に手紙を出し、夜の室内の窓の近くに立ってもらい、写真家が外から撮影をするというものです。夜ですからおそらく住人からは写真家が見えず、住人の視点からは窓が鏡のようになって、半透明になった住人自身が映っているでしょう。安堵とも不安ともいえる表情を浮かべています。撮る人と撮られる人の関係がすごくあやふやなことが表情にあらわれているように受け止めました。
 それに対し、静江さまは身体をちょっと傾けつつ、カメラをじっと見つめている。そこには迷いがないように感じられます。服もそれなりにお持ちなのかな、病院にお住まいとはあまり思えないほど、お召しになっている服のヴァリエーションが豊かです。
 静江さまご自身に、かつて撮影されたポートレートをもたせて、それをまた撮影しているという入れ箱のような構成の写真があります(参照:晶文社ウェブサイト スクラップブック「写真のあいだ」)。要するに静江さまに撮影した写真をお見せになっているということですが、それについてご本人はどんな反応を示しますか。
 
金川:あの写真は「写真のあいだ」のなかで発表していて、《Kanagawa Shizue》としてはまだ発表してないものですが、特に目立った反応はありませんでしたね。自分が写っている写真を見て何を思っているのか、それを見ることで静江さんのなかで何が起こっているのか、私にはよくわかりませんでした。
 写真を撮られたりその写真を見るということが、静江さんにとって何か特別な経験になっているということはどうやらなさそうです。そういうことにもう興味をもてなくなっているのかなと思います。静江さんにとって私は唯一面会に来てくれる人であり、外に連れ出しておいしいものを食べさせてくれる人なのであって、私に写真を撮られるとかそういうことはあまりどうでもいいことなのでしょう。
 
木下:《Kanagawa Shizue》では靴屋さんや家電量販店にもお出かけになっている様子がありますね。風景からそう想像するだけですが、屋内だけでなく、外にも積極的に出て、動きが感じられます。
 静江さまには会いに来る人がいらっしゃらないということですが、金川さんのお父さんは会いに行かれないのですか?
 
金川:父はもうあまり会いたくはないみたいですね。若いころにいろいろとあったみたいで。それでも一緒に会いに行ったことは一度ありますね。私は静江さんとはほぼなんのかかわりもなく生きてきたからこそ、こうやって新たに関係をもつことができるのだと思います。
 
木下:認知症のおかげというか、過去が存在していないというか、しっくりする表現がすぐに見つかりませんが、金川さんと静江さまの関係性は、認知症がなければ達成しえないのではないでしょうか。
 
金川:そうですね。過去を共有していないからこその関係性という感じでしょうか。
 
(4)に続く。
(2020年3月20日午後、成城学園前駅近くのカフェにて)