働く千絵さんの低空飛行

都内に暮らす千絵さんは55歳。2020年秋に軽度認知障害(MCI)と診断された後、あるオフィスに就職します。同僚は千絵さんのMCIを知りません。さあ、離陸です。「あれ、何階に行けばいい?」「あの人は誰?」。次々と航路に現れる「障害物」。果たして千絵さん号のフライトは…

vol. 7

通勤電車の読書と音楽をやめた理由

私の勤め先は、ビルに入ってからオフィスに着くまでに、エレベーターを乗り換えなければなりません。これは認知機能にはかなりの負担です。それに夜になると一部の出入口が閉鎖されるので、残業した日は普段と異なるルートを使わないとビルから出られません。迷子になります。転職したばかりの頃は、慣れない出口から通りに出て最寄り駅が分からなくなり、気づいたら隣駅まで歩いていた、ということがよくありました。おかげで痩せました。
 
通りすがりの人に道を聞くこともためらいません。「○○はどっちの方向ですか」と尋ねて、しばらく歩いてはまた聞いて…。スマートフォンの地図を見ても、自分が立っている場所がよく分からないので、進みたい方向が分かりません。それで右往左往するくらいなら、聞いたほうが早い。人に頼れるようになったことも、認知症がもたらした私の変化です。
 
無事帰宅するための体力をとっておくために、勤務中に必ずおやつを食べるようになりました。それがモチベーションにもなり、おやつを楽しみに出勤している部分もあります。睡眠時間は、転職前より2時間増やしました。ブログを書いたりする自分の時間が減りましたが、しっかり働くためには睡眠はとても重要です。
 
いまはもう迷子にはなりませんし、電車の乗り間違えもありませんが、一生懸命考えながら帰宅することに変わりはありません。以前は、ボーっとしていても家に帰り着いたんですよね。よく「家に帰るまでが遠足」と言いますが、私の場合は、「帰るまでが仕事」です。
 
認知症当事者の方なら共感していただけると思いますが、朝はわりと調子が良くても、疲労がたまった夕方はどうしても認知機能がうまく働きません。電車の行き先表示を見ても、それが正しい方向なのか反対行きなのかピンと来ないし、時間と距離の感覚が鈍くなってアンバランスになっていると感じます。降りる駅を間違えたり、退勤ラッシュの流れに合わせて歩いていたら間違った階段を下りてしまったり。1か月通して間違わずに通えるようになるまでに、約8か月かかりました。
 
電車で本を読んだり音楽を聴いたりするのは、やめました。どうしても気を取られて、乗り過ごしてしまうからです。他のことを考えると、またそれに気を取られてしまうので、車内ではとにかく、「いま自分がどの駅にいるのか」ということに意識を集中しています。ふだん使っている路線は駅の間隔が短く、乗り過ごしても仕方ないと割り切っていますが、長い距離を移動するときは、降りたい駅に着く時間を路線検索で調べておき、2分前にアラームが鳴るように設定します。路線検索の検索結果は写真で保存し、降りるまであと何駅とか、何番線で何両目に乗り換えるとかいった情報を、チラチラと何度も見ています。路線検索アプリには、画像保存(スクリーンショット)の機能もあるので、お使いのアプリを確認してみてください。
 

自転車をとめるときは写真を撮る

近所の移動には自転車を使っています。勤務先が近いときは自転車通勤もしていました。最近は通院などがメインですが、体を動かしたほうがいいので、できるだけ乗るようにしています。いわゆるママチャリですけれど、自転車仲間もいて、コロナ下で機会は減りましたが、チャリティーイベントに一緒に参加したりしています。一人でも30~40分くらいで行ける距離なら、自転車で遠出もします。
 
体調が悪かった時期は、出先で自転車を置いた場所を忘れて探し回ったり、自転車に乗ってきたこと自体を忘れて電車で帰宅してしまったりすることがありました。いろいろ試行錯誤しましたが、自分の自転車と、その背景の写真を撮っておくのが一番、あとで見つけやすいので、今はこの方法に落ち着いています。