いま、転職からだいたい1年と少したったところです。前向きなことをたくさん書いてきましたが、最初は本当にきつかった。単純作業が多いとはいえ、新しい仕事の知識はやっぱり必要だし、先輩から資料をどんどん渡されても読み込むのが追い付きませんでした。「新人なんで」と聞きまくろうと腹をくくっても、最初のうちは先輩たちのキャリアやポジション、人柄も把握できていないので、誰に聞けばいいのかすら分かりません。
辞めたい気持ちもありましたが、応援してくださる方がいて、転職祝いもいただいたし、そう簡単には辞められないぞと自分に言い聞かせました。そうこうしているうちにだんだんと、スマホにメモした情報から「この先輩は何年目ぐらい。以前はどの部署にいた」「この人は1級の資格を持っている」「この人はリーダー」と言った知識が定着し、並行して、それぞれの人当たりとか、教え方の得手不得手も分かってきました。あまりにも多忙なので、新人に対する仕事の要求レベルもなし崩しに下がり、多少のミスは先輩たちがダブルチェックで救ってくれるようにもなりました。
5回目のコラムでも触れましたが、自分に多くを求めすぎない「低空飛行作戦」が、働き続けてこられたポイントの一つだったと思います。もし認知症でなかったら、「1カ月で職場に慣れて、担当の仕事を回せるようになろう。その次の3カ月は……」といったプランを立てて、情報のアンテナをいろんなところに張り巡らせていたはずです。でも、今はそういう風には考えません。道に迷わないで出勤するとか、ただ無事に帰って来られればそれでいいとか、そういう目標から始めます。
過去の経験をやり繰りして、これからを生きる
といっても、これは私の場合です。同じ認知症の診断を受けた人でも、状況は人それぞれ違うだろうし、私が直接アドバイスしたとしても、自分には合わないと感じる方もいるでしょう。要は、自分にとって居心地がいい環境をつくれるのは、自分自身なのだと思います。そのために、おそらく誰にでも共通して重要なポイントがあるとすれば、しっかり寝ることではないでしょうか。疲れやすく、いろいろな機能不全が出るけれど、寝れば回復できるという実感は、みなさんに分かっていただける気がします。
認知症の診断は、若年性でも30代以上の人に出ることが多いわけで、当事者それぞれに、人生で培ってきた経験があります。新しい知識を積み上げて、必要なときにサッと取り出して活用することは難しくなったけれど、長年の経験をやりくりすることはできる、これが私の持論です。症状が進むなら、それに合わせて、やり繰りの仕方を変えていけばいい。私は今まさに、日々そういうやり繰りをしながら働き、以前より縮小傾向を意識しながらも、できるだけ診断前と同じような生活を続けています。
ところが今の社会は、その受け皿が十分ではないと感じます。あるとき、試しに役所へ行き、障がい者の就労支援担当窓口で「認知症と診断されました」と伝えてみました。すると、応対してくれた職員は、自動応答のように、軽作業や就労訓練を行う就労継続支援B型事業所を私に薦めました。実際の私がどのような作業ができ、どのようなことが苦手かを確認することもなく……。これは認知症に対する偏見です。そもそも「障害者手帳を持っている人は、障害者枠でしか働かない」という決めつけ自体が、その人の限界を他人が勝手に決めるようなもので、長い人生、本当にそれでいいのかと疑問に感じます。ただ、あくまでも私個人の経験なので、他の役所では対応が違うのかもしれません。
認知症があることを生かす働き手として
「○○と診断された人は、□□の仕事はできない」というような統一見解は、まだ世の中で確立されているわけではないと思います。そういう意味で、私はいま、「認知症の人が働く」というトライアルのスタートラインに、選手として立っている気持ちです。
次のステップとしては、企業の人事担当者と、行政と、障がいの当事者たちをつなげる仕事に取り組みたいと考えています。ふわっとしたイメージですが、私には、認知症になってから日々の暮らしに少しゆったりした時間が流れ始めた感覚があります。この感じを、いま企業で働いていてしんどかったり、うつっぽいと不安に感じたりする社員たちの悩みを受け止めることに活用できないか?と思うのです。悩みを解決できなくても、ただ話したいだけの人もいるはず。認知症の人が話し相手なら、「忘れてくれるから差しさわりがない」と、悩みを打ち明けやすい人もいるのでは。そんなふうに、認知症の人が自然ととけ込め、迎え入れられるような場所をつくる、きっかけを探しているところです。
連載終了によせて
2022年秋の千絵さんから
最後までお読み下さりありがとうございます。
MCIの診断を受けた直後から、私は認知症×働くということについてずっと考えていました。
色んな場所で「診断後の仕事」について問い合わせてみると、具体的な私の状況を聞き取ることなしに、「急がずゆっくりしましょう」と言われるか、就労支援B型事業所やデイケアの説明をされるかでした。
昨日と今日で私は変わっていないのに、世の中の対応はガラッと変わりました。
このギャップは現実なのか。実際の私には何がどこまで出来るのか。
働く機会を得た私は低空飛行で行けるところまで飛んでみようと思いました。
その様子を、認知症未来共創ハブで当事者インタビューを担当していた方々が丁寧に聞き取って、文字やイラストを添えて下さったのがこの連載です。
この出会いが大きな推進力となり、最初の飛行を無事に終えることが出来ました。
一年経った現在の私はと言うと、インタビュー当時の記憶は所々消えているものの、編み出した技は今でも変わらず使えています。お世話になった方々との思い出は記憶とは別の場所、心の中に大切に保管されていると感じます。
認知症と診断されても、新しい出会いをはぐくみ、知恵をやりくりして働いたり、豊かな暮らしを続けたりできることが分かりました。
次のフライトはどこに向かいましょうか。
一緒に飛ぶ仲間が増えて、もっと面白い旅になるといいなと思っています。
認知症がある人も、そうでない人も、白か黒かという棲み分けではなく、状況に応じた様々な社会参加の選択肢があって、長い人生の先の落ち着ける場所まで安全に飛んでいけるよう、緩やかな拠点を作ることが私の将来の夢です。
時間はかかると思いますが、じっくりと取り組んで実現させたいと思います。
最後に、私が若年性認知症の生活姿勢として良かったと思うことを共有させていただきます。
・安心して一緒にいられる人たちと交流する(認知症になっても新しい出会いはある)。
・自分が必要と思うよりもっと多くの小さな休憩を取る。特に睡眠はしっかりと(母の教えは栄養と休養)。
・気をもむようなこと、迷いは脳のエネルギーを爆食いするので、直感で選ぶか信頼できる人に判断を委ねる。
・植物を育てる(ややこしいことを言わないけれど話は聞いてくれる相手。成長の発見がある)。
・自然や芸術に触れたり、綺麗と思うものを見たりして心身をリフレッシュする(楽しみのために歩く)。
今まで使ったことがないような埋もれた力が突如出てくることがある。この先も何とかなると信じて、Go with the flow!