とある方のライフヒストリー

フィールドワークで出会った方々の、豊かな語りをなるべくそのままに。話し手も聞き手もその時出会ったからこそ、そこで話された物語を、ライフヒストリーの形で掲載します。

vol. 1

とある方のライフヒストリー

はじめに

語り始める前に、私たちが何者なのかを話しておく必要がある。調査研究が主な活動で、その対象はケアに関わること、と大まかに説明しておこう。その調査は、住民、つまり社会の中でとある状況下において、生活をしているふつうの人に話を聞くことからはじまることが多い。もちろん調査であるため、一定のテーマにもとづいて対象の方を探し、テーマに合わせてお話を伺わせていただくことになる。ネットワークをたどり、つないでくださる方と出会い、アポイントメントを取る。そうしてご縁をつないでもらい、出会ったインタビューの対象者とかりそめの時間を過ごす。ほんの1時間から2時間の間、その方の話を聞いて過ごす。
 

 
目の前にいる人から聞こえる語りは独特の力がある。今起こっている現象としての、その人の声の響きやふるえ、物語としての語られ方、感情。その人が今この瞬間、記憶をたどって想起し、過去の体験や物語をよみがえらせて追体験している。そこに居合わせることの稀さと、その方の取り出して見せてくださる、過去から現在までの時間のぶ厚さ。駆け抜けてきた人生の重みと手触りはそのごくほんの一部に過ぎないのであろうとも、圧倒的だ。自分のような、今まで縁もゆかりも全くなかった者が、このような深い話を聞いて良かったのだろうか。ただひとつの人生の、かけがえのない物語をお話しくださったことに、いつも言葉足らずだが、ただ感謝の気持ちを抱かずにはいられない。
 
どんな人の心の中にも、語られることでしか、明らかにならない物語がある。世の中には、語られることもなく、知られることもなく、心の中にしまわれたまま、時間の深いわだつみにほどけていく物語がある。
 
物語は人が生きた数だけあり、その語りは途方もない記憶の多面体の結晶が放つ、揺らめくプリズムだ。私たちは、陽の光の届かない、昏い海底に降り積もった物語を拾い上げるようなことをしている。話す人の生の体験や感情が複雑に編み込まれた唯一無二の、真実の話。その物語たちの前には、どんなに優れた小説のかがやきも光を失う。
 
今回の調査は、認知症とともに働くことをテーマとしている。よって本文中には、当該フィールドであるサービス付き高齢者向け住宅に併設する駄菓子屋での経験や、住宅内でのお手伝いに関する質問、そのきっかけとなった出来事が含まれている。話の流れで、その方が大事に思っていることが繰り返し登場したり、過去から現在、さまざま派生していくこともあった。
 
私たちのいただいた物語を、なるべく語られるままにここに置いてみようと思う。そして物語から私たちの見たこと、感じたことを書き添えてみようと思う。
 
ひととき、とある人の物語の静謐な時間を、共有できれば嬉しい。

この連載は、2020年度経済産業省「サービス産業強化事業費補助金(認知症共生社会に向けた製品・サービスの効果検証事業)」のうち、株式会社シルバーウッドが受託した「高齢者住宅「銀木犀」における認知症がある高齢者への就労機会の提供」の一環として実施したインタビューに基づき、構成・編集したものです。