とある方のライフヒストリー

フィールドワークで出会った方々の、豊かな語りをなるべくそのままに。話し手も聞き手もその時出会ったからこそ、そこで話された物語を、ライフヒストリーの形で掲載します。

vol. 8

千住から、永代通り。木場の風呂屋に嫁ぐ十八歳。(4)

一枝さん

——— 今も寂しいと思うことはありますか。
今? だって、私、台所嫌いなのよ。ここね、スタッフさんが、嫌いなもん聞いてくれて、いつも、やなもん、野菜はよけてくれるのね。
 
——— お野菜が嫌いなんですね。
なんでなのかね。この年寄りでねえ。好きなのは、カズノコとタラコ。ノリは普通食べるけどね。お肉は、やり方。 野菜が入んなければいい。なんでなのかねえ。分かんないんですよ、それが。
 
——— ここのお食事も、食べられるものだけが出されるんですね。
そうです。卵焼きも、何も入らないで卵焼きだけ。みんな、オムレツとかいろいろ来るでしょ。私はそれはなし。何なんだろうねえ。随分、戦争中、練習したんだけど、通らないんですよね。
 
——— お野菜が通んない。
うん。入ってると思うと、喉がぴったりふさがっちゃうの。子どものときから。給食なんかあったら、大変だったでしょうね。
 
——— 牛乳は飲めるんですか。
牛乳は大好きなの。牛乳は、小っちゃいときから好きだった。だけど、あの時分、瓶牛乳って町内で売ってなかったんです。なんかうちの父が、千葉県の、ここ千葉県だけど、どっか牧場に予約、それは知らなかったの。予約して、なんか毎日、父がいるから、何しに行くのかって知らなかったんですけど。「おまえに飲ませる牛乳を買いに行ってた」。兄貴に言われて、ああ、そうなのって。そんな状態。だから、その時分から牛乳は好き。
だから、友達と、どこだっけな。ニュージーランドかオーストラリアか旅行したときに、牛乳が出たんです。「ああ、うれしい」って、がぶってやったら、他の友達が、「ええ、一枝さん、牛乳飲むの」って。「なんで、牛乳おいしいじゃないの」っていうことがありました。パンと牛乳とか、好き。

 
——— ちなみに、店番以外の役割はここではされていますか?
ないです。できるわけないじゃん。私、今でいうと、マッチも付けらんなかったの。だいぶ、大きくなるまで。
 
——— お嬢さまですね。
お嬢さまじゃないんだ。ばか娘だから。私、風呂屋っていうと、女の人が、昔は女中さんっていっぱいいたでしょ。番頭さんもいたでしょ。そういう子がやってくれてたのよ。うちの父親が、全然、甘くて、私にはさせなかったみたい。危ないから。私、母と、だから、買い物行った覚えもないし。父とばっかり。
 
——— お父さまにかわいがられて。
お嫁に来ても、父はだいぶ通ったんじゃない。弁当持って。心配で。弁当持って、木場へ通ってきてました。
 
——— でも、婚家から帰されてきたら、家に入るなと。
そういう変な時代よ。今はそんなことないよね。自由でしょ。私だって実家へ帰って、上がったためしないもんね。いつも玄関の外でしゃべって、それで帰ったの。そのくらい厳しかったんだよ。うちの父は。
 
——— まだまだお話伺いたいとこなんですけど、お昼の時間もあるので、最後に。これから一枝さん、挑戦されたいこととか、やってみたいことはありますか? お店のこともう一回やりたいってお話でも、もっと広く生活の、暮らしのこと全般でもなんでも。
だって私、90じゃないですか。一日一日が、どういうふうに生きられるかっていう、もう年じゃないですか。希望だのなんだのって、ないって。生きてることが不思議なんだもん。
 
——— 生きていることが不思議。
だって、私、35から生理ないんだよ。ここ取っちゃって。なんかできて。だから、生きてることが、よくここまで生きて、ここの規則正しい生活で、余計。私、70kgあったのね。来たとき、70kg、73kgあったんです。規則正しくなったら、今、50kg切れるかその辺。
 
——— 「この先、生きてるのが不思議」で、どんどん元気になってきておられると。
困っちゃったねえ。でも生きてるんだったら、病気もしないで、あと、朝、目が覚めなかったって、逝きたいなって。そう思って寝るよ、私、いつも。だから、変な話、夜は、下のほうだけきちんとしておけばいいかなと。
 

——— いつ死んでもいい覚悟が。
できてますよ。
 
——— すがすがしい。
だって、こんな90まで余分な人生だもん。
 
——— ちなみに、今の毎日の楽しみってなんですか。
全然、苦しみないですよ。テレビもニュースも面白いし、ニュースの中で、うちの親戚の子がアナウンサーしてるのが出てるの。うちの亭主の身内。出てますよ。あの子が出ると、ああ、今日のニュースはよかったなとかさ。そうですよ。そんなもんかな。テレビでニュースとかやるじゃないですか。見てますよ。だって、ためになる、ならないじゃなく、何かしら、一つくらい言うことあるでしょ。ねえ。見ないよりは、見たり読んだりしたほうがいいでしょう。ねえ。
 
——— お店は再開できたら、またお店やりたいですか。
お風呂屋? あ、駄菓子屋。そうですね。手伝いができたらね。幸せだと思う。でも、命があるかないか分かんないから、あって、10円、20円の計算ができたら、手伝えるかなあと。そんなもんじゃない。だって、なんでこんな年まで生きてんだろうと思うときあるもん。私、五人きょうだいで、下三人はみんな死んじゃってんの。長男長女、残ってんのね。兄と私と。うちの兄ももっと生きそうですよ。私も、なんか死にそうもないし。そういう状態。
 
——— ありがとうございます。貴重なお話をたくさんお伺いできて、とても楽しかったです。
すみません。
 
——— ありがとうございました。
 

 
 
 
・・・
 
 
 
 
風呂屋の仕事は忙しい。昼に開けるには、朝から浴場を掃除して、浴槽に水を張り、薪を焚いてお湯を沸かす。昼に開けて、深夜に閉める。店が閉まるのは夜中の2時。ロッカーができる前は、下足番が要った。履物を預かって、札をつけて管理するのは子どもの仕事だった。数が数えられるようになれば交代で一時間ずつ、番台に上がる。家業としての銭湯は、毎日がジョブトレーニング。生活の中で仕事を学び、受け継がれてきたものが大きい。小学生になれば、もう立派な戦力になっていただろう。長男の兄が「銭湯は継がない」と頑なだったので、自分はできることはやりましょう、と引き受けたことを一枝さんは話していた。18歳で木場のお湯屋に嫁に入る。朝昼となく働く毎日は、夫が病気になるまで続いた。こうして、銭湯の番台は一枝さんの一生の仕事になった。
 
「ああいう所で仕事してるおばあさんって、みんなばかに見えるのかな」
 
「あら、計算できるんですか」
 
駄菓子屋の客の若い母親が何気なく言った言葉に、「顔見ましたよ」一枝さんはショックを受けたと話していた。その若い母親は、併設の駄菓子屋の店番をしている一枝さんが、どんな人かを知らなかった。自分の放った言葉が、相手にどんな届き方をするのかも知らなかった。知らない他者への敬意を欠いた言葉が放たれる時、その人の頭の中で何が起きているのか。老いた人、認知症のある人への偏見、と易く表現できるとは思う。人はそれまでの人生で知った知識や経験から築いた、自分自身の主観を通して世の中を見つめる。どんな人も、どんな時もそこから逃れることは難しい。
 
知らない、ということは怖いことだ。そしてこの世にあることは、途方もなく膨大で、どんなに聡明な人でも知らないことを失くすことは不可能だ。では、知ることで、広めることで、学ぶことの効果はないのか。知らないことが多すぎることは罪ではない。知らないことがあるために、起きる摩擦がある。自分が知らずに失礼な言動をして、人を傷つけてしまうかもしれない。そんな謙虚さを身につけることを、私たちは久しく忘れている。一枝さん自身はそのことをよく知っている。彼女は番台から、世の中に向かって、教え諭してきた。駄菓子屋に立っている時も、子どもたちに向かって根気よく言葉を尽くしてきた。
 
「私、商売してて、お金をばんと置かれるのが一番嫌だったんですよ。若い頃ね。番台やってて、お金ぽんと放り出して」
 
「私はお金もらうだけじゃないんです。あんた、お風呂入ってお湯使うでしょ。お湯は川の水じゃないのよってけんかしたことありますよ。」
 
「駄菓子屋じゃなくたって、お金っていうのは、そうじゃないよ」
 
「ごめんね、って」
 
一枝さんのすごさは、相手にちゃんと「ごめんね」を言わせる技量があるところだ。感情的になって、相手に恥をかかせて逆恨みさせたりもしない。毅然とした態度と、相手への尊重があるからこそのことだろう。
 
知らないことを恥ずかしい、と諭す存在が、世の中に欠けている。失礼なことをしたらたしなめたり、諌める存在がいないため、粗野な大人が野に放たれている。主観で物を言い、自分の正義だけを高らかにうたい、他者を知らずに切り刻む。ネット上で起きているような論争は、もう目も当てられない。愚かさを知りながら、敵を作りたくないから、自分可愛さに黙っているのが得策と、見て見ぬふりをする人も多い。知らなかったから罪はない。知らないことが免罪符になるような、恥ずかしい世の中にしているのは、今の大人、つまり私たちなのだ。
 
世の中を憂うばかりでもなく、逆恨みを恐れて黙ることもない。番台から、少し醒めた視点で、見過ごすほうが容易いかも、と思いがちなことにもきちんと向き合う。毅然と物申し、役割を果たす。
 
「大人ってこういうものじゃない? 」と番台から一枝さんに言われたような気がする。
 
 

(完)
※ 人物の名称は仮名です