とある方のライフヒストリー

フィールドワークで出会った方々の、豊かな語りをなるべくそのままに。話し手も聞き手もその時出会ったからこそ、そこで話された物語を、ライフヒストリーの形で掲載します。

vol. 3

母の記憶、ラオス、子どもたち(2)

千花子さん

——— 駄菓子屋さんのお話をお願いします。
はい、駄菓子屋さんね。駄菓子屋さんをやっていて、周りの近所の人の話ですか?
 
——— なんで始めることになったんですか?
駄菓子屋さん、ここらはあまりそういうお店がないから。何かの拍子で入ってみたんですよ。可愛いものが安く売っているでしょう? 私、それを見てね。私も子ども相手にあっちの国、こっちの国の学校行っていたんですよ。
 
——— 学校を作ったのですか?
学校っていうわけではなくて、一つの学校になったけどね。あのね、何かがあった時にね、生徒が集まった時にね、これだけの人、どこで集めたんですかと聞いたらね。頭打っちゃってよく出てこないけど。町があるでしょう? 小さな学校とは言えないところが、それが集まって学校になったんですよ。その卒業式の時に呼ばれていったんですよね。そしたら子どもたちが喜んでくださいましてね。鉛筆と消しゴムと折り紙を卒業祝いにあげたんですよ。
 
——— それが海外の話ですよね。 駄菓子屋さんを始めたきっかけは?
ここを通った時に10円とか安いものを売っていたのね。その前に見学の時に見ていたんですよ。子どもたちがチャラチャラ小銭持って10円ぐらいのお菓子を買って帰って。この辺りは他にお店がないから、流行っていたんですよ。それがこういう時代になって、今はやめちゃったから。
 
——— 毎日お店されていたのですか?
駄菓子屋さんの時にはあんまり…忘れちゃった。なんとなく忙しそうな時に、手を出して手伝ったの!それを知っている人は誰もいませんよ。忙しそうだな、いいな、と持って。私もこの場は好きだけどね、あちこちいっていたでしょう? それから行ったのかな?とにかく忙しそうな時に、手伝っちゃった。それから、ここにはまりこんじゃった。
 
ここは何もないところでしょう? だから子どもがお金持ってジャラジャラして、楽しみにきていましたよ。その時にわりと、今都会の方にいる子たちが持っているものを探して売っていたんですよ。その時はね。
 
——— 忙しいの手伝ってみたら、どうでした?
あのね、私は土台はね、子供のため。私が今までやってきたことはみんな子どものことなんですよ。親は関係ないって言ったの。子どもが素直に育っていけば、親は自然にいいんだから。だからね、可愛かったですよ、子どもは。私は何かあれば子ども子どもってなっちゃったのね。
 
——— この辺りのお子さんたくさん来られると思うんですね。お店は賑わっていましたか?
うん、ここでは周りに何もないでしょう? だからわりと向こうの方の先の方からね、遠くからでもわざわざ歩って買いに来る子がいるんですよ。歩いてね。昔の子は歩くの平気でしょう?よく来ていましたよ。いつも混んでいましたしね。それこそ20円持って来ればいい方ですよね。それで買えたんですよ。だからたくさんは買わないでね、自分たちが食べるだけのものを買って。
こんな時代になってから、私が外で椅子に座っていたら昔の通りだと思ってきて、やっていないで、なあんだぁ、と行ってしまいましたね。
 

コロナ禍、営業を中止している駄菓子屋の様子。2022年5月現在、営業再開している。

 
——— 外に出られた時に、子どもたちが残念がっていたのを聞かれたのですか?
その時にはね、子どもは持って帰って、そうね。外で食べていたかしらね。あの時はそれほどじゃなかったでしょう?だからね、ここに来るのは楽しみのようでしたよ。
 
——— 外で食べたり、中で食べたりとか?
外で食べるほどの立派なものじゃないんですよ駄菓子だから。立派なものは売っていなかったですね。子どもたちがお小遣いで買うお金で買う程度のものだから。このあたりは何もなくてね。
 
——— 駄菓子屋さんの店番は楽しみでした?
楽しかったですよ。またこの子が来た。この子またあれを買うのかな? と思うとね。安いでしょう? 安くて数のあるものを子どもたちが持って帰ったり、食べながら帰ったりね。
 
——— 子どもたちとおしゃべりはしましたか?
しましたよ。結構していましたよ。そこにずっと並んでいたんですよ。(土間を指して)
 
——— 店番の時は、ここにずっと座っていらしたんですか?
そうね、その辺に座っていたかしら?なんかしていたけど。ぶらぶらしていたんでしょうね。
 
——— お会計も全部されていたんですか?
会計ですか?売ったものは箱に入っていて、幾らでお釣りを入れて、幾ら入っているからと子どもがよこすから。そうして持っていくわけ。大した金額じゃないけどね、忘れちゃったんですよね。
 
——— 中にはお行儀悪い子もいたんじゃないですか?
それはね、なんか不思議だなと思うのはね。あれが欲しいこれが欲しいって持ってくるでしょう?だけどね、絶対に自分から品を持ってきて、余分にして安く買っていく子は一人もいなかった。私は見てびっくりした。
あの状態だったら、ほら、子どもたちは駄菓子屋があるっていって、うちでいくらもらってくるか。100円なんて持ってくる子はいないんですよね。ちっちゃいもんだからね。だけどね、これはいくら、こんならあんたもっと、ほら1円か2円か足せば買えるんじゃない、と思ったんですけどね。だけどね、違うよおばさん、てね。可愛かったですよ、昔の子は。昔の子って言ったら怒られちゃいますけどね
 
——— 大騒ぎしたりする子はいなかったんですね。
いなかった。本当にやんちゃする子はいなかった。みんな正直だしね。「あ、こりゃ、買えない」とかなんとかって言ってさ。安いの買って帰って。それでも楽しんでいましたね。
 
——— お店も休みになって長いですけど。
うん、だから私ね、ベテランの人と話すんですよね。まだやっていないんだ!と帰る人が随分いる。簡単に入れる駄菓子屋さんないからね。
こんな荷物を置いてしまってね。食べ物置けばいいのにね、という話はしたことあったんですよね。まあどっかの家主がこれを見て、そのうち、ここ潰れるんじゃないかと思ってね。全然無関心だったですよね。ここがこんな風になってね、外から見て。いらない荷物がこう、あれしてね。だからここを楽しみに何年か成長した子どもたちが「なんだやってないじゃないか」なんて言って帰るんですね。
 
——— 千花子さんとしては、早くまたオープンできるといいですか?
うん、そりゃ早くね、そう思いますよね、オープンできればね。
 
——— またお店はやりますか?
もう年が年だから。あっはっはっは!いつぶっ倒れるかわからない。弱くて弱くてしょうがないですからね。でもね、もし駄菓子屋やるんだったらね。もしかしたらここに座って見ているかもしんない。
私の専門はね。どこか外国とか日本を歩くでしょ。もう子ども関係のところしか行かない。大人は勝手に自分たちがやればいいんだ。これからの子どもたちが大切だから。どこに行っても子ども関係のことしかしなかった。
 

 
——— お子さんが来たら見ていたいということなんですね。
私ね、だから私はね、ここが静かになったんだからここでね。駄菓子屋やればいいのになって。そうするとね。昔やっていた子達もこの近辺に住んでいるというわけですよ。懐かしがって。絶対ここはね、繁盛するかもしれない。それでね、中にこう押し込んで何にもしないでいるんだったらね、なんつうのかしら。人が通った時にここまで行く時間があるから。   
 
ああ、喉が渇いたって時にパックに入ったコーヒーを安く売ってね。外にベンチを置いてね、食べさせるようにすればいいのにね、ということは言ったの。使いもせんね、あの傘とか玄関さ。あれはさ、いっくら言ってもダメなのよね。あれ目につくでしょ? 汚いどこの傘だか知らないけど、見るからにお天気のいい日に傍に置いてあるでしょう? あれをね、何度言っても聞かない。だから余計なこと言うなって言われるといけないからね!エッヘッヘ。 
 
時々ね、落ち葉かなんかあると前は掃いたりしていたんですね。それがちょっと体を悪くしたものだから、もう座っていても汚いなあと思って。はっはっは、やらないの。そんなことでした。
 
子どもたちがね、ここに来て飛び込んでそこでせいぜい高くて10円のもの。それを買って喜んでね、帰っていくんだからね。いいなぁ、と思っていましたよ。だから子どもにしてはいいところがね、ないですよね。だからその昔を思い出してここにあるよって連れてきた男の子がいるんですよ。時代だからしょうがないですよね。かと言ってそういう気があるのかないのか知らないけどさ、ここでもったいないから何かをしようって言うここの社長だか何か知らないけど。やる気がないのかと思ってねぇ。
 
——— またコロナが収まってきたら、みんなお店を開けるつもりみたいですよ。
やっぱりね。だったらもっと入り口にへんちくりんな木を植えないて、まともな安い木でも良いから玄関口にあんなに自転車並べて置かないでね。それから先にしないとダメだと思うよ。見る人は中まで見るからね。ああ、ここはこんな風に綺麗になったんだなと思えばね。ここは場所的にいいでしょう? 必ずお客さんは入ると思うのよね、ねえ。
  


(3)に続く
※ 人物の名称は仮名です