とある方のライフヒストリー

フィールドワークで出会った方々の、豊かな語りをなるべくそのままに。話し手も聞き手もその時出会ったからこそ、そこで話された物語を、ライフヒストリーの形で掲載します。

vol. 5

千住から、永代通り。木場の風呂屋に嫁ぐ十八歳。(1)

一枝さん

これは、風呂屋に生まれて、風呂屋に嫁いだ女性の物語である。舞台は大正から昭和初期の千住。一枝さんは、風呂屋を家業として営む、大家族の長女として育った。
 
銭湯は、内風呂のない長屋住まいの江戸の暮らしには欠かせない存在。洗い髪のしっとりとしたお姐さん、真っ昼間っから碁を打つおとっつぁんたち。すぐに行ける庶民の娯楽と社交の場、それが風呂屋さんだった。
多くの人が使うため、公共のマナーを守り合う習慣が育ち、見知らぬ人同士で声を掛け合うことが、常識になっていた。丸腰の裸で、密な場所で快適に過ごし合うには、常に他者の存在を気にかけることが必須。花のお江戸は、当時世界最大の人口を誇る都市だった。都会は人づきあいも洗練されていくのだ。
 
江戸の文化をそのまま引き継ぐ庶民の娯楽の舞台裏はとにかく慌ただしい。一枝さんのご実家も例外ではなかったようで、本文にはお風呂屋さんの慌ただしさが伝わってくるくだりもある。番台の上にシャン、と背筋を伸ばして座る、銭湯のマナーとルールを身に纏ったおかみさんの人生の物語。しょっぱくって、苦くて、ほんの少しだけ甘い。お江戸の香りもすこしだけ。
 
一編のシナリオのような濃密さがあるけれど、決して作り話ではない。ふつうの人の真実の物語を、さあさ、ご一読あれ、はじまりはじまり。 
 
 

 

2020年12月9日
 

親も嫁に来た先も全部、風呂屋なんで、商売は好きなんだよ。お風呂屋の番台って知ってる? 子どものときから、番台は上がるようにって言われて育ってるから。
 
——— じゃあ、その番台の経験も生きて。
それで、幾つまでやったのかなあ。18で、同じ風呂屋にお嫁に行って、そこでそのまんま…。しゅうともいっぱい、うるさいしゅうとのいる所へ行って。生まれは荒川区なのね。南千住で商売してたの。お嫁に来た所は、深川、木場。永代通り。そこの風呂屋で。前さあ…。
 
——— いろいろお伺いするときに、ちょっと、ビデオを撮らせていただきたいんですけど。
そうなの?
 
——— ぜひ。緊張しちゃいますかね。
変なことしゃべったら、大変だね。
 
——— 大丈夫です。いつもどおりで。じゃあ、セットさせていただきます。
あら、そう。じゃあ、口紅でも塗ってくればよかった。なあに。
 
——— お召し物がすてきで、しゅっとしてますね。はい。こちら、見ていただかなくても大丈夫。じゃあ、いきます。番台の辺りの話からお伺いしたいんですが。
まあ、生まれたときから風呂屋だからねえ。番台はねえ。何だろう。計算ができたら番台やった。最初、下足番っていうのがあったんですよ。下足番は知ってる?下足番って。下駄も靴も、皆、預かる所の、男と女があったのよね。それで、その来たお客さまに合札を渡して、下足、下駄でも靴でも預かったわけ。そういうことだったの、私の子どのもときはね。お嫁に来たとき、下足番あったかなあ。もう、だいぶたってから、そういうロッカーができたから。

 
あと、番台。番台は、子どものときから、学校行って計算が、一足す一ができたらやればって言って、一時間ずつやって。私の兄が、俺、跡継がないって言ったもんだから。やだって。風呂屋なんか嫌だって、それで私が結局、ばかだから、跡継ぐようになっちゃったわけ。やるようになったわけよ。
それで、火事で、お客さまのたばこの火で、うち一回、焼けたのね。それは、お嫁に来てからか。木場のうちが…そうだ。はやりのロッカーだって。ロッカーに、普通、お風呂屋って、籠じゃない。うち最初にロッカー入れたんですよ。うちのお風呂屋さん。ロッカーの中で、たばこの火。忘れちゃったのね。半分消さないで。
そっから火が出て、うち、お店が焼けたことがあるんですよ。それから、もう将来やってもしょうがないって言いながら、それしかできることないから、うちの。それは嫁に来てからね。おやじさんが、やっぱりやりたいって言って、始めたのね。
 
——— そこでは、もう何年くらいになりますか?
あの、木場のうち。娘二人も木場で生まれたんだから、何年だろう。私も忘れたから、今度、子ども来たらよく聞こうと思ってたんだわ。皆、そっから学校通ったり。大学行ってるときは、どこにいたんだろう。分かんないな。忘れちゃった。
 
——— 長年、番台で活躍されてたんですね。
子どもたちは、番台は上がらなかったと思う。やだって。
 
——— お嬢さんたちですか。
そう。でも、お姉ちゃんのほうは、少し上がったかな。でも、ほとんど私が番台かな。私と、さっきのおやじさんがね。お嫁に行って…。
 
——— 旦那さんですね。
亭主。そうです。朝、昔のお風呂屋、何時からだったんだろう。お昼頃開けて、夜中終わると、2時、3時だよね。交代で、おやじさんとね。でもうちは、お嫁に来たうちは、従業員は番台上がらせないんですって。そういう趣旨なんですって。しゅうとめさんが。私のうちは違いましたよ。
だけど、お嫁に来てから、仕事の人たちの交代ってので、うちのおばあちゃん嫌がった。しゅうとめさんが。その家の者がお金を使わなきゃいけないと。なんか、そんなこと言ったね。それで、いつ、やめたんだろう。もっと、何日って言ってくれれば、聞いといてあげたのに。忘れた。
 
——— じゃあ、そのお金を預かる大事な番台は、ご夫婦だけが、ずっと守って。
そうなの。家族でそういうふうにして育ったので。お嫁に来てからも、そうだね。お父さん、おやじさんと。おやじって、亭主と私だったかなあ。そうすっと、明けて夜中の終わるのが、2時、3時でしょ。そうしてすぐに寝らんないじゃないですか、もう。そうすっと、二人で、夜、お不動様とか八幡様のほう、ひと回りするんです。
 
——— 夜中に。
だって、昼間デートできないじゃない。
 
——— ごちそうさまでした。
店やってないんだもん。
 
——— きゅんとしちゃった。
そうですよ。いっつも夜はずっと、おやじと二人でひと回りするかって言って、ひと回りして。そんな、店やってて時間が来たから、すぐ眠れるもんじゃないんだよ。ひと回りして、そして、寝たかなあ。
 
——— 大体、じゃあ、2時、3時まで番台で、夜デートして、帰って寝るのもう明け方。
3時か4時かねえ。それで、子どもたちが学校行ってる時分には、また早く起きなきゃなんないでしょ。だから、いつ寝ていつ起きてんのかも、あんまり覚えてないけどね。

 
——— 銭湯って、ずっとお風呂を焚き続けるんですか?
それは、昔は、私が子どもんときは、まきとか石炭とかだったけど、うちはボイラーにしたの。そうすると、油で。
 
——— そんな中、ずっと番をしてなくっても、そこは…。
ボイラーで音が分かるようになってるから。
 
——— 決まってるんですね。
そうだったみたい。それも割と、組合としては早いほうかな。
 
——— ロッカーも早く入れて。
ロッカーも。
 
——— ボイラーも早くに。
一番、早かったかねえ。
 
——— それってあれですか。旦那さんが、おやじさんが、どんどん新しいことやろうって。
割とね。割とそういう人だったわね。何でも取り入れるっていう感じ。でも、うちのおやじさんは、若いときから兵隊さんに行って、10年。シベリアで捕虜なって、合計10年ですって。20歳で行って。30。
 
——— 結婚
だから、お父さんが30で、私が18。一秒間見合いして。
 
——— 一秒間見合い?  
そうよ。お見合いだもん、私ら。一秒間。あの人、で終わり。そうよ。年も知らない、口も利かないよ。
 
——— 18歳で一秒見合い…すごい。
一秒間。
 
——— この人、嫌って言うこともできたんですか。
一番最初にお見合いしようとした人が、なんかお辞儀をしたら、私、気が合わなかったんだろね。やだったのね。とてもいい人だったらしいけど。それで毎日、泣いてたんだって、やだって。
 
——— 一枝さんが。
うん。やだやだって泣いて、それで、その親戚のおじが、もうしょうがないっつって、おじさんの両国のお店に、半年ぐらいいたのかな。それで、そこの店から、おやじと見合いをして、で、お嫁に行ったの。好きも嫌いもへったくれもないのよ。
 
——— いや。でも、今のお話。
 何だかねえ。最初、会った人は、悪い人とかそうじゃなくて、あるでしょ。瞬間的ななんか。
 
——— ありますねえ。
そうだったみたい。そしたら、それ、いつまでも言われて、とお見合いするときに、うちの兄が、「絶対に断らないでくれ」って。「おまえが一回断ったために、俺はすごいやな思いした」って。兄はまだ元気でいるんですよ。言われました。でも、18や19、分かんないじゃないですか。それで、子どもは6年目かな。長女。10年目で二人。以上です。



(2)に続く
※ 人物の名称は仮名です