認知症+DESIGN

認知症のためにデザインは何が可能か

デザイン理論研究・国内外のデザイン事例分析・フィールドワークを通じて、認知症の方々が暮らしやすい社会の実現のためにデザインが果たすべき役割を考えます。

vol. 1

研究編①共生のためのデザイン70年の道程

 障害のありなしに関わらず、老いも若きも、誰もが共に認めあい支えあえる、そんな社会の実現には思ったよりも長い年月が必要だった。その間に多くのたゆまぬ挑戦が続けられてきた。ここでは、ノーマライゼーション、デザインフォーオール、バリアフリーデザイン、ユニバーサルデザイン、インクルーシブデザインといった共生のためのデザインの歩みを大掴みで紹介する。

近代化がデザインを生み、社会的障壁を生んだ

 現代的な意味でのデザインは近代化と共に誕生したといえる。産業革命による工業化の進展がモノの生産方法と私たちの働き方へ与えた影響は大きかった。これまで、職人たちの手によりひとつひとつ生み出されていた生活用品は、生産に機械が導入されることにより、製造に先立って予め製品を計画することが求めらるようになった。そこで、デザイナーという職業が生まれた。工場での生産ラインが整えられ、大量生産・大量消費を前提とした生産が始まった。そこでは、予め売り先と生産に必要な材料や時間といったコストが織り込まれ、価格へと反映される綿密なマネジメントが行われるようになった。こうしたシステムのもと、製品の企画化は避けては通れないものとなった。これまで、多様なユーザー毎に、職人たちが少しずつカスタマイズしながら生産されてきたような、細やかな物の作られ方は失われた。更に産業化が進展するにつれ、効率的に購買するターゲットに絞り商品は製造されるようになる。当然、社会的マイノリティーはその「ターゲット=マジョリティー」から排除されることとなった。加えて、地縁血縁という支え合いの仕組みがうまく働いていた前近代的な社会環境のなかでは、障害を抱えた者や高齢者もまたそのコミュニティのなかに包摂された存在であったのだが、労働環境の変化、都市化により引き起こされた、地域コミュニティ衰退や離散は、これまで地域の中での共助の仕組みも同時に失うこととなり、障害者施設や医療施設へと居場所はマージナライズされていった。そうした意味では、近代化による商業主義の進展、またそれに伴い展開されてきたデザインは障害者や高齢者をスムーズな社会生活から阻害する要因としても働いてきたといえる。
 
 そうした近代以降のものづくりの現場にも近年変化がみられるようになってきた。電子工作機器やコンピューティングの進展と共に、多品種少量生産が可能なものとなり、これまでの同一品種大量生産という前提が崩れてきている。こうしたものづくりの傾向はこれまで規格化されたデザインにより排除されてきた人々をも受け入れる社会環境を提供するものとなりうる可能性を秘めている。そもそも、私たちは一人ひとりが異なる人間である。そうした違いを包含する社会をこの先に実現できるかどうかが問われている。そのためには改めて、デザインによる排除に目を向けなければならない。

戦争と障害者運動

 20世紀中頃、近代化による社会的排除に対して声を上げ、そうした社会を作り変えようとする 動きも同時に起こり始める。とりわけ、第一次世界大戦や第二次世界大戦により負傷し帰還した兵士たちの存在は大きかった。これまで、「特別な」存在として排除されてきた、障害者や高齢者たちとは異なり、社会の中に身体的障害を持った帰還兵たちがいちどきに顕在化することとなった。そうして徐々に身体的困難を伴うバリアを取り除かなければならないとの社会的機運が高まってきた。なかでも、アメリカ国内におけるベトナム戦争に対する状況はこの動きに拍車をかけることとなった。障害者が求める権利運動は、公民権運動や反戦活動とも合流し、より広く誰もが受け入れられる自由な社会を求める社会的機運の形成へと接続されていった。そのうねりは、障害者の社会参加を法的に保証することを定めた、のちのADA法障害を持つアメリカ人法 1990年)制定へもつながっていく。

アメリカのデザイナーたちが果たした役割

 その中心となっていたのは、当事者たちの声であり、具体的行動であった。なかでも彼自身が小児麻痺のため身体障害を抱えていた、ロン・メイスが果たした役割は大きい。建築家であったメイスは、誰もが平等にアクセス可能な環境を実現するため、仲間たちとユニバーサルデザインのガイドを作り上げていった(ユニバーサルデザインの七原則)。その目的は、具体的なガイドラインを設けることにより、デザイナーと消費者の両者へと実践的活動を働きかけることにあった。特に建築環境において、危険なく誰もが平等にアクセスできる環境を実現する原動力となった。ロン・メイスらが基礎を築いたユニバーサルデザインの考え方はアジア各国へも伝わり、その領域も環境だけでなく、プロダクトデザインやコミュニケーションデザインの分野にも波及した。

ロン・メイスら 「ユニバーサルデザイン七原則」

 そうしたなか、D・A・ノーマン「誰のためのデザイン?(1988年)」で、認知科学とユーザビリティとの密接な関係を見いだした。人が道具の使用により起こすエラーは、人のエラーではなくデザインのエラーであるとし、誰にとっても直感的な使用ができるデザインの必要性を示し、理論面でも推進した。ノーマンはジェームス・J・ギブソンが提唱したアフォーダンスの概念を、物や環境と人との間でのインタラクション向上のための方法論として引用した。(後にノーマンは、知覚可能なアフォーダンスシグニファイアとして用語を精緻化させている。)ノーマンをはじめ多くの人々により、インタラクションやユーザビリティの重大な欠陥が指摘されてもなお、未だ誰もがアクセス可能な機器や空間、システムの実現には至っていない。インターネットの普及による情報化が進展した現在、Web上でのインタラクションも踏まえ、この認知とアクセシビリティとの問題はより重要なものとなっている。
 
 90年代から盛んになる日本における具体的な障害者や高齢者に対するデザインアプローチはアメリカからもたらされたこのユニバーサルデザインの考え方に強い影響を受けている。とりわけ日本は世界のどこよりも高齢化が急速に進展した国であり、そうした社会的背景がユニバーサルデザインの官民を挙げた普及とそのガイドライン作成を後押ししたといえる。

ヨーロッパのデザイナーたちが果たした役割

 またアメリカとは異なる角度から共生の問題に挑戦してきたのはヨーロッパの国々である。 ヨーロッパは歴史的にも多くの民族が交差する文化的環境で成熟してきた背景があり、そうした文化的土壌が、デザインフォーオールインクルーシブデザインの概念的成立を支えてきた。異なる個性を同化せずにそのまま受け入れる社会を築くことは、とりわけ専門的なデザイン用語を持ち出すまでもなく、ヨーロッパ諸国においては積年の挑戦であった。インクルーシブデザインは、そうした、多様であることをそのまま包摂する、という理念に支えられている。また、それらの起源ともなる共生のための理念形成は、スカンジナビア諸国に見られる福祉国家建設の社会運動にも発端をみることができる。デンマーク社会省に勤務していたバンク・ミケルセン「デンマーク知的障害者親の会」と共に、知的障害児たちの生活改善を保証する法整備へ向け運動を行い、一般市民と同様の生活を保証すべきとするノーマライゼーションの理念が盛り込まれたデンマーク福祉法(1959年)の成立を果たす。更にその理念はスウェーデンのベンクト・ニィリエにより、ノーマライゼーションの原理(1969年)としてまとめられ、この原理はヨーロッパのみならず、アメリカなど各国においてその後発展的な広がりを見せ、多様な運動や法整備を動機づけることとなる。
 
 加えて、近代デザイン運動の理念にもみられるように、デザインは社会改善の手段であるという思想に強く支えられていることもヨーロッパ独自のデザイン発展の根底にある。ヴィクター・パパネック「生きのびるためのデザイン(1971年)」で、過剰な商業主義に陥ったデザイナーらは危険な機器を作り出し、環境を汚染し、格差を生んでいると、デザイナーの社会的倫理を問いただしたように、ヨーロッパではデザインの過度な商業的利用に対し、繰り返し批評的な眼差しが提出されてきた。E・F・シューマッハは、「Small is Beautiful(1973年)」の中で、人間と技術との根本的な問題にも触れ、人間の尊厳と倫理を阻害する現代の巨大技術から「人間の顔を持った技術」への転換を提唱した。

 
 また、ヨーロッパでは教育研究機関が果たしてきた役割も大きい。例えば、イギリス、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートに設置されたヘレンハムリンセンターフォーデザインにおいて、インクルーシブデザインの理論化と実践が推進された功績は大きい。インクルーシブデザインのもう一つの大きな特徴としては、障害者や高齢者といった当事者たちをデザイン開発の早い段階から積極的にそのプロセスへと招き入れ、一緒にデザイン開発を進める、Co-Design(共創)の手法を積極的に取ることにもある。

D・A・ノーマン「誰のためのデザイン?」(1988年) / ヴィクター・パパネック「生きのびるためのデザイン」(1971年)

国連をはじめとした各国の法整備が果たした役割

 現在へと続く、共生のための歩みを俯瞰すると、法整備など政治的な働きかけが果たした役割は大きい。国連での「障害者の権利宣言(1975年)」、そしてその宣言が実行力を持つようさらに制定された「国際障害者年(1981年)」をはじめ国際的枠組みが整うことにより、「ADA法(障害を持つアメリカ人法 1990年)」や「DDA法(障害者差別禁止法 1995年)」など各国の法整備を後押ししていった。その法整備の背景には、例えば1990年に米国国会議事堂の石段を這いながら登っていく「キャピトル クロール」と呼ばれたデモ行動をはじめ、多くの障害を持つ活動家たちの動きがあったことも忘れてはならない。90年代に入ると、先進国の間での高齢化が社会的問題として注目されるようになる。EUでは「欧州高齢者世代間連帯年(1993年)」が定められ、多世代間の連携こそが、若者もやがて自らに訪れる高齢化の問題を自分ごととして捉えるためには重要であるという認識が共有されていくと同時に、高齢者であっても社会参加が可能な機会を整えていく社会変化が求められることが共有された。2010年になりようやく、障害者と高齢者とをわけることなく、また多様な個性を認め合い、全ての社会的不平等の解消を責務とした「2010年平等法」がイギリスで採択されることとなる。ここにきてようやく、障害者、高齢者、といった括りではなく、誰もが平等であること、が法律上でも意識的に扱われるようになってきた。
 
 加えて、ロンドンパラリンピック(2012年)をはじめ、障害者スポーツの高まりが、障害者や高齢者は不憫な存在であるといった誤解を解く役割を果たしたことにも注目したい。ロンドンパラリンピックはパラリンピック史上最多の観客動員を果たし、多くの観衆が詰めかけ、競技者らを応援し、スポーツ観戦を楽しんだ。そこには障害者スポーツ開発と普及活動に尽力してきた団体や競技者たちの努力がある。加えて高精度の義足や競技用具の生産が障害者スポーツを強力に後押しした。また競技だけでなく、そうした取り組みは障害者らが被ってきた負の印象をも刷新することにもつながる。パラリンピックのメダリストであり、モデルのエイミー・マリンズが、彫刻的な美しい義足を纏い雑誌に登場したことは記憶に新しい。

当事者たちの役割

 こうした障害者や高齢者の社会的包摂を形成していく過程を見ていくと、当事者たちの役割が大きいことに気がつく。当事者たちが自らの体験を持って、社会的尊厳を求め、社会環境の改善へと動いてきたことが、何よりも共に生きる社会をかたちづくる動機となってきた。ノーマライゼーションを推進したバンク・ミケルセンは自身の第二次世界大戦下での強制収容体験が運動の動機となっていたと指摘されている。また、これまで地道な活動を強いられていた当事者たちと合流し、表立って社会的権利を主張するきっかけとなったのは、ベトナム戦争により負傷し帰還したアメリカ兵たちであったし、イギリスのアクセシブルデザインの実質的な枠組づくりを後押しした建築家、セルウィン・ゴールドスミス『Desinging for the Disabled』1963年を纏める)も、アメリカのユニバーサルデザインの原則をつくりだした建築家、ロン・メイスもまた、障害を抱えた当事者たちであった。加えて、各国での法律制定の背後には上述したように、多くの当事者グループの実質的な行動がある。彼ら自身が声を上げることから始まった運動はやがて広く社会へ受け入れられるようになり、社会の基本的認識を変えてきた。そうした観点からすれば、共生のためのデザインを築きあげてきたデザイナーたちは彼ら当事者たちに他ならない。

多様な違いを認め合い、包摂する社会形成へ

 日本のみならず多くの国々で高齢化、またそれに伴う認知症のある方の数は急激に増加している。内閣府は2025年には65歳以上の人口において5人に一人が認知症高齢者となるとの予測を立て、具体的方策を探っている。欧米を中心に多くの事例も報告されるようになってきた。例えば、イギリスのスターリング大学では、デザインの力で認知症に対応する方策を専門的に研究・実践する機関として、認知症サービス開発センターを設置し、インクルーシブデザインの手法を積極的に活用しながら当事者たちと共に実用的なデザインガイドラインの作成を進めている。こうした現在の認知症フレンドリーデザインから俯瞰してこれまでの共生のためのデザインの歩みを眺めると、現在の活動をその流れの中に位置付けることができる。また同時に現在の活動を基礎付けている理念やデザイン手法の変遷が見て取れる。
 
 共生のためのデザインの長い歩みのなかで、当事者と共に、デザイナーたちは様々にそれを実現するための理念を築き上げ、具体的挑戦を重ねてきた。現在、AIをはじめとしたテクノロジーの積極的利用を含め、これまでの近代的な生産方法や環境設計の限界を超えたレベルにおいて、誰もがアクセス可能な生活環境づくりが模索されている。さらに、社会が複雑化し、様々な社会的要因のなかで問題解決が求められる現状に照らし合わせると、製品や環境整備といった単体のデザイン分野毎の対応だけでは事足りないことも明らかである。プロダクト、環境、コミュニケーション、システムやサービス、社会制度を総合的に掛け合わせることが必要とされている。
 
 そして何よりも重要なこととして、多様性を包摂することの貴重さを理解する必要がある。そうした観点からすれば障害や高齢化に伴う困難さに対する、充分な情報提供と理解の促進はその基礎を成すものといえる。認知症を含め、誰もが人生のある地点で、一時的に、また年齢を重ねるごとに、生活の困難さを抱えることは、決して特殊なことではない。誰もがそうした意味で平等であることを自覚し、一人ひとりが異なっていることが社会的な豊かさにつながることをこれからも認識していかなければならない。共生のためのデザインはまだ道半ばである。デザインの役割のひとつに、将来ヴィジョンを示すことがあるとすれば、いま私たちはどんな未来を描くべきだろうか。

共生のためのデザイン70年道程 年表

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