認知症+DESIGN

認知症のためにデザインは何が可能か

デザイン理論研究・国内外のデザイン事例分析・フィールドワークを通じて、認知症の方々が暮らしやすい社会の実現のためにデザインが果たすべき役割を考えます。

vol. 7

研究編③平等と包摂へのデザインアプローチ

 誰もが負い目を抱えることなく自らを活かし活動できる社会はどう実現できるか。この大きな挑戦にデザインの世界は70年間かけて少しずつ、歩みを進めてきた。デザイナーの社会的職能のひとつに、社会が共同で思い描くことのできる想像力の拡大とその実現がある。デザイナーは未来への可能性を具体像をもって示すことで、容易には想像できなかったことを想像できることに変え、実現不可能だと思われていたことを実現できるようにする。そのように考えると、デザインが持つポテンシャルは大きい。同時に、誰もが平等である社会とはどのような社会なのか、その根本を問うことにもつきあたる。誰もが同じことができる環境を整えることが平等社会の実現なのか、はたまた、社会がそれぞれ個々の違いを認め合うことが不可欠なのか。「誰もが平等であり包摂されている」とはどういった状態なのか、そうした本質的な問いを避けて平等と包摂のデザインを考えることはできない。ここでは、70年間にわたり試行錯誤されてきたデザインアプローチを手掛かりとし、その本質を探る端緒としたい。
 

ノーマルであること

 「普通ではない」この言葉が多くの人を苦しめてきた。社会の一員ではないと突き放すこの言葉は重たい。しかし、平等と包摂のためのデザインアプローチは「普通ではない」状態からの解放を求める運動がその先駆けにもなった。50年代からスカンジナビア諸国では、世界に先駆けて福祉国家建設の社会運動が起こる。デンマーク社会省に勤務していたバンク・ミケルセンは「デンマーク知的障害者親の会」と共に、知的障害児たちの生活改善を保証する法整備へ向け運動を行った。そうした運動とともに、知的障害者を社会から隔離するのではなく、地域社会での包摂を目指すことで、一般市民と同様の生活を保証すべきとするノーマライゼーションの理念が形成されていく。ミケルセンは、自らの第二次世界大戦下での強制収容体験と、知的障害児の姿を重ね合わせたといわれる。精神的・身体的に障害を抱えた人々は囚人でないにも関わらず、不当な環境に押し込められ、生活の自由を奪われているのではないかと、自らの苦痛な体験をなぞらえた。当時の知的障害者の多くは、大型の収容施設で管理された生活を強いられており、寝食は常に集団で行われ、自由に行動することは許されていなかった。ノーマライゼーションの理念は、自分の意思で自分の生活を決定できる、必要最低限の生活環境を担保することをめざしている。その根底には、身体的・精神的なハンディキャップを持つだけで地域社会から排除される人をなくしたいという想いがある。近代化の進展と共に、何もかもが完璧でクリーンな状態であることが理想として目指されてきた。その理想像は人間もまた例外ではなかった。しかし、完璧な人間像は幻想であり、誰ひとりそのような人間はいない。改めていうまでもなく、私たちの身体能力も個々に多様であり、歳を取り、様々な出来事に遭遇するにつれて変化する。そうした当たり前のことを再認識するところから、アブノーマルな環境を改善するという一歩を踏み出すことができたといえる。その後、ノーマライゼーションを求める運動は、デンマーク福祉法(1959年)の成立として結実する。更にその理念はスェーデンのベンクト・ニィリエにより、ノーマライゼーション8つの原理(1969年)としてまとめられ、更にこの理念はヨーロッパのみならず、アメリカなど各国においてその後発展的な広がりを見せ、多様な運動や法整備を動機づけることとなった。
 

ベンクト・ニィリエ「ノーマライゼーション8つの原理」

誰もが使用できる物理的環境を整える

 ノーマライゼーションの理念は、国を超えて共有され、平等と包摂の社会を築くためのデザインアプローチにも影響していく。デザインはモノ、とりわけ消費に関わるモノの生産により世界と関わる性質が強いことは容易に指摘できる。平等や包摂を目指すデザインアプローチもまたこうしたデザインの枠組みのなかで発展を遂げてきた。ノーマライゼーションの理念に支えれたスカンジナビア諸国では、いち早く障害者たちに焦点を当てたプロダクト開発をするデザイン事務所が現れ始めた。そうした動きは、ヨーロッパ、アメリカへ広がっていく。デザイナーたちが先ず目指したのは、生活を送る上で障害となる「バリア」を取り除くことだった。多様な障害を抱える者にとって使いづらい道具や建築環境を一つずつ改善していった。イギリスでは、王立芸術大学(Royal College of Art)をはじめとして、障害者や高齢者を対象とした実践的なプログラムがあらわれはじめる。また、セルウィン・ゴールドスミスが『Designing for the Disabled』(1963年)を纏めたのをはじめ、そのデザイン手法が広められていった。アメリカでは、建築家であったロン・メイスが中心となり、誰もが平等にアクセス可能な環境を実現するため、仲間たちとユニバーサルデザインのガイドを作り上げていった(ユニバーサルデザインの七原則【参照:研究編①共生のためのデザイン70年の道程】)。その目的は、具体的なガイドラインを設けることにより、デザイナーと消費者の両者へと実践的活動を働きかけることにあった。ユニバーサルデザインは、障害者や高齢者にとってバリアとなっている要因を取り除くことを目的としたバリアフリーデザインの概念を拡張し、障害のあるなしに関わらず誰にとっても公平に利用しやすい環境を生み出すべきという認識がその基礎となっている。この障害者や高齢者のバリアと取り除く、という観点から、誰もにとって使いやすい環境をつくる、という視点の転換はデザインの世界にとっては大きかった。それは、デザイン開発をすすめる「対象」として、ようやく障害者や高齢者が含まれるようになったことを意味する。大量生産を前提とした生産環境のなかでは、デザインの対象はマジョリティーに限定される。それまでそうしたマジョリティーの一員として、障害者や高齢者は扱われてこなかった。マイノリティーである障害者・高齢者に対応するためにバリアを取り除くという観点に基づいたデザインアプローチではなく、「誰も」というデザイン対象を設定できたことは貴重である。
 

「ノーマライゼーションの父」と呼ばれるバンク・ミケルセン
 

 一方で、こうした「誰もが同じ」という考え方の背後には「多様性」ではなく「統合」という思考が強く存在していると指摘もされる。誰もが同じという思考は、つい「平等」に近づくための最短距離であると考えてしまう。しかし、誰もが同じであることが良いことである、という思考は、同時に、同じでなければならない、という同調圧力がそこにあることも意味する。物理的環境に手を加えることで「誰もが同じ」道具や環境を手に入れる状態を目指すことに異論を唱える論理については、じっくりと受け止め考える価値がある。
 
 こうしたデザインと平等、社会環境との関係について、考えを進めるために参照できる観点として、ケイパビリティ・アプローチがある。アマルティア・センとマーサ・ヌスバウムにより進められてきたこの理論は、個々人が「実際に何かをしたり、何かになれる」可能性(ケイパビリティ)を分析し、人の生き方、選択の自由を拡げていくことに着目する。例えば、障害による生活の不自由さも単なる道具や物理的環境の欠如という観点だけではなく、ケイバビリティの発展が充分でないこととしてとらえ直すことができる。こうした、観点からすれば、デザイナーはいかに各人の潜在的可能性を十分に開花させることができる環境形成に寄与できているかどうかに着目し、デザインを行う必要がある。単にモノや環境を改善できたかどうかだけでなく、実際に個々の潜在能力を開花させられたかどうか、が問われるべきである。そのためには、必然的にデザイナーが考慮しなくはならない条件は、モノや環境の物理的な側面だけでなく、人を取り巻く様々な社会的、心理的、法的、政治的な要件にも及ぶ。社会はこれまでデザイナーが捉えてきたよりももっと複雑にできている。そうした社会の複雑性に目を背けず、多様なセクターの人々と協働のうちにデザインプロジェクトを進める必要が出てくる。
 

誰もが持つ潜在能力を発揮できるようにする

 そうしたデザインを行う際に考慮しなければならない対象や条件の拡がりとともに、デザイン手法もまた変化を見せている。最終的なアウトプットとして、モノや物理的環境のみをデザインの成果とするのではなく、モノや環境、情報が生み出されるプロセスに着目したり、デザインされたモノや情報により、人々にどのような行動変化が起こったかに徐々に価値が置かれるようになってきた。そうした傾向を取り込んでいるデザインアプローチがインクルーシブデザインと呼ばれる手法でもある。インクルーシブデザインは、デザイン開発のプロセスにより着目する傾向がある。コデザイン(Co-design)や共創(Co-creation)と呼ばれる、参加型のデザインプロセスを踏むことが多い。例えば、デザイン開発の初期段階に障害を抱えた人々に加わってもらうことで、そうした個々に特殊な背景を抱えた人(エクストリーム・ユーザー)にしか見えてこない観点を活かし、飛躍的な発想によるデザイン開発を期待する方法が採用される。人とは違うものの見方ができるような経験をより多く積んでいるこうした障害者らは、革新的なデザイン開発を進めるうえでは貴重なパートナーである。障害を持つため他者とは異なることが、その人独自の貴重な強みとして捉えなおされている。また、こうしたデザインプロセスを踏むことは、その途上でデザイン開発に関わる人たちの間に緊密なコミュニティーが形成されることにも繋がる。これまでマイノリティーとして見過ごされてきた人々の視点が共有され、情報が交換され、異なることが認められたままコミュニティーの一員となる。
 
 こうしたプロセスにおいては、これまで明確に線引きがされてきたデザイナーとユーザーとの境目が極めて曖昧になっていることにも着目したい。ここでのデザイナーは障害者であり、高齢者である、と同時にコミニュティーに内包された生活者のひとりである。複雑な社会的要件を織り込みながらデザイン開発をしなければならない状況では、多様な視点や能力を重ね合わせ、補い合うことが、最良のデザインを導き出す近道でもある。
 
 インクルーシブデザインという用語自体は、長年ヨーロッパを中心に使用されてきたものであり、決して新しい用語ではない。ヨーロッパ諸国が異なる個性を同化せずにそのまま受け入れる社会を求めてきた背景には、ヨーロッパが歴史的にも多くの民族が交差する文化的環境で成熟してきた背景も指摘できる。最終的に提案されるプロダクトや環境、コミュニケーション、サービスだけでなく、人をどのように理解したうえでデザインプロセスを進めるのか。近年、日本でも、インクルーシブという用語が頻繁に使われるようになってきた背景のひとつとして、そうしたデザイン対象への理解とデザインプロセスの変化も指摘できる。画一化や排除の理論から、多様性をつなぎ、包含する理論に基づいたデザインアプローチへ。デザインの世界もまた変化の途上にある。
 
 誰もがみなデザイナーといえるこの時代、私たちは改めて、「誰もが平等であり包摂されている」とはどういった状態なのかを問い、そこへ向けて具体的な方法を採らなければならない。誰もがその人であることが許され、その潜在能力を発揮することができる社会的状況をデザインすることはいかに可能か。その鍵は、排除の論理から目を背けず、一見面倒で非効率に思えても、複雑な社会的要件を考慮し、デザインプロセスを多様な立場の人との対話や交渉により一歩ずつ進めていくことにある。プロダクトであれサービスであれ、建築環境であれ、どんなものをデザインする場合でも、必ずそこには、身体的、精神的な排除が生み出される可能性がある。それらひとつひとつと丁寧に向き合うことだ。そして実践と省察を繰り返し、この先の社会が共有できる具体像を描き続けていくことにある。