認知症+DESIGN

認知症のためにデザインは何が可能か

デザイン理論研究・国内外のデザイン事例分析・フィールドワークを通じて、認知症の方々が暮らしやすい社会の実現のためにデザインが果たすべき役割を考えます。

vol. 4

研究編②隔絶と包摂、近代デザインにおけるふたつのベクトル

 近代の歴史を振り返ると、産業化や都市化の進展とともに、多様な背景を抱える人々を隔絶へとおしやってしまう力学と、それに対して人々を包摂しようと向かうデザインの挑戦とが共に社会の中で複雑に拮抗してきた経緯をみることができる。ここでは、近代デザインの進展のなかで、その二つのベクトルがどのように作用してきたのか見ていきたい。

モノの生産による格差拡大と、環境形成をとおした包摂への挑戦

 産業革命をはじめとした工業化の進展は、私たちの暮らしかたを根本から大きく変えることとなった。かつての農村を中心とした社会においては、生産と生活の場は同一であった。生活を営む場で、作物を育て、必要な生活の道具をつくり出していく。ある限定された地域の中で営まれる生活にはその土地や家族関係に深く根差したコミュニティーがかたちづくられていた。そこでは、例えば農作物の収穫のために共に汗を流し、共に収穫を感謝する祭りを行い、誰かが亡くなった際には村の人々が集まり葬儀をあげる、そうした冠婚葬祭を含めた支え合いの仕組みが働いていた。そうした集団においては自ずから、弱い立場の人々の居場所もまたそのコミュニティーのなかに内包されていた。
 
 そうした農村型の社会に大きな変化をもたらしたのは、工業化とそれに伴う都市化であった。都市に工場が建てられ、多くの人々が「労働者」として、農村から都市へ移住していくこととなる。 そうして多くの人々が都市に集中し、都市の人口は瞬く間に増加していった。そうした都市での暮らしでは、工場に賃金を得るために働きに出て、またそれとは分断された場所で生活を営むこととなった。こうして生産と生活の場は分離されることとなり、同時に農村型コミュニティーが支えていた相互扶助の枠組みからも外れていくこととなる。更にはそうした都市化の進展のなかで資本家と労働者との間での格差は拡大を続け、充分な賃金を得られない労働者たちはどうにか暮らしをつくらなければならない状態へと陥っていった。例えば、ジャーナリストであり社会思想化のフリードリッヒ・エンゲスルは『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845)の中で、『どの大都会にも、一個または数個の「貧民地区」があり、労働者階級はそこにおしこめられている。[…]ロンドンには有名な「貧民窟」セント・ジャイルズがある。[…]どの家も、地下室から屋根裏部屋まで、住む人でいっぱいになっているが、外も内もきたなく、およそ人間が住めそうには思われないほどである。[…] 汚物と灰の山がいたるところに散らばっており、ドアのまえへおしあけられた汚水がくさい水たまりになっている。』と労働者たちの生活環境の著しい低下を描写している。
 
 そうした社会状況に対して具体的な方法をもって挑戦しようとする動きも出てくる。例えば、資産家として成功を収めたのち、労働組合運動の先駆けとしての活動で知られるようになる、ロバート・オーウェンもその先駆者のうちのひとりだろう。オーウェンはスコットランドのニューラナークに代表されるような「工業村」を都市郊外に建設した。いわば、工場を中心としたコミュニティーであり、そこでは、労働者を厳しい生活環境へと追いやるのではなく、共同で使用できるキッチンや広場、保育所などの生活環境を整えた。労働者を社会的に区別するのではく共に暮らすに十分な住環境を整えることは産業にとってもそして社会にとっても有益に働くのだということを実例をもって示すことになった。それは、オーウェンが理想とする誰もが包摂される社会像の現実化でもあった。
 

「工業村」が建設されたニューラナーク。現在は世界遺産に登録されている

 
 さらに、近代デザインの父として知られる、ウィリアム・モリスは、機械生産により生み出される粗悪な品々を否定し、再度、手仕事へと回帰すべきだと主張した。モリスが否定したのは生産される製品だけでなく工場での労働者の働きかたそのものでもあった。かつての中世ではモノを生みだす職人たちは全ての工程に一つづつ丁寧に携わり、美しい品々をつくってきた。そこには、モノを生み出す労働の喜びがあった。一方で、工場労働では、生産性を高めるために、各工程ごとに生産は分割されていくこととなる、細分化された画一的な労働により、モノづくりに携わる喜びが失われてしまっていることを危惧した。実際にモリスは友人らとモリス・マーシャル・フォークナー商会を立ち上げ、理想とするモノづくりを実践していった。モノづくりを見直すことによって、生活の中にあるべき美や、さらには労働のあり方、社会のあり方を再建しようとするモリスらの思想や活動はやがて、アーツ・アンド・クラフツ運動として世界へ波及していった。モリスが近代デザインの父と呼ばれるのは、モノづくりを通じて、理想的な社会形成を成し遂げようとしたその理念にこそみられる。
 
 近代化がもたらした急激な社会の変化と、それに伴い生じた格差の拡大。そうした状況のなかで、デザイナーたちはその歪みを是正しようと奮闘してきたことがわかる。私たちの生活する環境を一つずつ形づくることによって、理想的な人間社会の実現を成し遂げようとする理念は、現代へと続くデザイン行為の基層の一部を成し、その後展開される一連の共生のためのデザイン活動にも通底している。
 

ウィリアム・モリス

デザインが携える計画と規格化の概念が社会に与えた影響

 また、生産の現場ではもうひとつの大きな挑戦が行われていた。大量生産大量消費を前提とした工場生産がモノづくりの前提とされるようになると、当然、その生産性と効率が追求されることになる。そこでは、計画的であることに大きな価値が置かれることとなった。原材料の調達から加工、生産、販売まで、一連のモノづくりの流れにおいて、時間的、人的コストも含めて計算され、綿密な計画が要求されるようになった。そうした状況の中で進められたのが「規格化」である。形状や生産方法を一定の「規格」へと統一していくことで、生産効率を上げ、多企業間での相乗的な生産管理が可能となるこの方法は、モノづくりにおける開発を一気に推し進める原動力となった。そうした意味では、現代につながる物質的豊かさをより多くの人々に届けることに規格化が貢献した意義は大きい。
 
 その一方で、この計画と規格化は、モノづくりから柔軟さや人間性を奪い去っていくことにも繋がった。これらの概念と方法は結果的に、本来多様であるはずの人間をも画一のものとして見なそうとする圧力にもつながっていった。その葛藤は、20世紀初頭、急速な産業化と経済発展が進むドイツにおいて「規格化」を推し進めたドイツ工作連盟内部における論争にも象徴的にみることができる。ドイツ工作連盟は、デザイナー、建築家、評論家、資本家など、多様な人々により構成され、相互の協力により芸術と産業生産を融合、発達させ、質の高い仕事を達成することが目指された。そこには、モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動からの影響も色濃くみられる。1914年にケルンで開かれた工作連盟展では、当時の最先端素材であった鉄とガラスが使用された工場建築や機能的な量産家具という成果が注目を集めた。しかし、その直前に行われた総会において、機械生産の利点を活用するため「規格化」を推進すべきとした建築家ヘルマン・ムテジウスと、デザイナーの柔軟な個性や創造性、芸術性を尊重すべきとした、同じく建築家のアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデとの間で論争が起こる。二人の主張は工作連盟内だけでなく、以降、機械化と創造性の統合をめぐるデザインの展開において引き継がれる重要な論点となった。統一性と多様性という二つの大きな価値観の隔たりは、その後の機械化時代のモノづくりの在り方を巡って繰り返し問われることとなる。
 
 さらに時代が進み、商業主義の拡大に伴いモノづくりにおける計画や規格化の概念は、生産だけでなく、消費にも当てはめられていった。想定される、平均的なターゲットが定められ、そうした「ターゲット」へと向けて、広告宣伝の力が利用され商品への購買意欲がかき立てられ、それに併せて品々が生産されるようになる。つまり、消費行動までがあらかじめ計画の一部として見積もられ「生産」されることとなった。ラジオやテレビ、新聞や雑誌といったマスメディアの普及や交通網の発達により、私たちが受ける情報の均質化が進んだ20世紀にあって、商業的に、平均的な範疇に収められる人間であるかどうか、が価値を持つことになる。当然、その「平均的なターゲット」から、身体的障害を負った人々、高齢の人々といった社会的少数者は排除されることとなる。当然、社会はそうした人々のニーズには応えないモノや環境で満たされていく。こうして商業化が進展するなかで意図せずうちに少数者や弱者の社会的な排除が進んだのであり、そこに商業と強く結びついてきたデザインもまた加担してきたことに気づかされる。特殊な形状や条件を要求しなければならないような商品を生産することは、効率や利潤とはつながらないからである。職人たちの手でモノがつくられていた時代には、ひとり一人に合わせて、カスタマイズしながら仕立てられることは特別なことではなかったのだが、同一の商品を大量に生産するために工場のラインが組み上げられることが前提となると、それぞれの要求に合わせてカスタマイズする、オーダーメイドすることは非常にコストがかかる特別なことになってしまった。そのような社会の変化により、社会的弱者の生活の場それ自体もコミュニティに内包されるのではなく「特別な」施設などへとマージナライズされることとなる。そうした生産や生活環境に対する考え方が変わるには、ノーマライゼーションの理念の普及やユニバーサルデザインの発展を待たなければならなかった。

モノづくりの変化が社会変化をもたらす

 しかし、21世紀に入り、近代以降の機械化により形づくられてきたモノづくりの基礎を成す条件にも大きな変化が見られるようになってきた。コンピューティングや加工技術の発達により、新たな生産方法が登場してきている。これまでの機械生産の前提であった、単一品種大量生産が必ずしも前提条件ではなくなり、多品種少量生産が技術的にも可能となりつつある。インターネットを介して双方向に拡がった情報は、人々の興味関心や生活スタイルの多様化を生み、均質なマスマーケットを定めることへの限界が指摘され始めている。そうしたなかで、一人ひとりの個性や状況に沿ったモノづくりが現れはじめている。電子工作機器をはじめとしたデジタルファブリケーションの発達と普及がそれを後押しし、必ずしも大規模な工場での生産を前提としない、個々人レベルでのモノづくりの可能性が開かれている。例えば、アトランタパラリンピックのメダリストであり、モデルのエイミー・マリンズが、彫刻的な美しい義足を身につけ、雑誌やファッションショーに登場したことも記憶に新しい。彼女はシーン毎に義足を履き替え、新たな身体拡張の可能性を鮮やかに示したのと同時に、これまでの義足や障害者であることのイメージをすっかりと塗り替えてしまった。デザイナーたちはより細かなニーズや感情を汲み取ったデザイン開発に意味を見出しはじめている。後に続くコラムで詳述する、社会的弱者を含めた当事者たちを積極的にデザイン開発プロセスに巻きこもうとする、参加型デザイン(Co-design)やインクルーシブデザインと呼ばれる新たなデザイン方法の隆盛は、この新たな技術的背景や社会的状況を反映している。
 
 これまでの近代の歩みとモノづくりの変化との関係を振り返れば明らかなように、モノづくりを介して、生産技術の変化と社会環境の形成は深く関連している。生産技術が変化すれば、モノ作りが変化し、社会環境が変化する。逆に捉えれば、新たな生産環境のもとで、新たなモノづくりの観点や方法が実践されることで、社会環境に作用させることが可能なのである。デザイナーたちは、そうした地点から社会に直接関わってきたといえる。そうした観点に立てば、この先に見通すことのできる生産技術の大きな変化により、障害者や高齢者を含んだ私たち全員の多様なニーズに沿う、包摂性の高い社会環境形成が期待されている。一方で、コンピューティングが進展した時代におけるデジタルデバイドやフィルターバブルをはじめとした新たな形での排除や社会的分断にも目を向けなければならない。必要とされているのは、モノや生活環境へのアプローチは、単にそれらだけに留まらず、社会全体の認識を変えていく力をもっていると知ること、同時にそこに隠された排除の力学を知ることである。何をどのように作っていくのか、どのように生活環境を整えていくべきか、という具体的な問いは、私たちがどのような社会を望んでいるのか、という問いに直結している。