——— 今コロナでいろいろ不自由じゃないですか。そういうのがなくなったら、やってみたいことって何ですか。
日出代 私、旅行行きたい。温泉。ここへ来る前、私、熱海、一昨年の1月はお友達と、ゆっくり行きたいわねって、のんびりで同じ所、二晩泊まったの。お湯にゆっくり出たり入ったりにしようなんつって、そんなに一生に何回もないんだからとか言ってしたんです。
月子 いいですね、旅行も行きたいですね。
日出代 旅行行きたいです、やっぱり。どっかのんびりと、空気のいい所、行って。温泉入っておいしいもの食べて。やっぱり旅館行くと違うじゃないですか、お膳がね。いろいろいただきたい。
月子 ここだって上げ膳据え膳ですよ。
日出代 上げ膳据え膳は確か。で、こちらのお食事、とってもおいしいの。お食事おいしいですね、ここはね。
月子 まあね。
日出代 おいしいですよ。
月子 まあね。
日出代 まあねって言ったら。でもね。
——— 2回言っちゃった。
月子 2回言っちゃったね。
日出代 まあねって。でも、私はそう思って感謝してます。自分で作るんだったら、これは大変だなって思うじゃないですか。
月子 自分で作るわけにいかないものね。
日出代 自分で作ってたから。これだけのこんなの作るの大変だなって分かるから、だから感謝していただいてます。
月子 そんなぜいたく言っちゃいけませんね。
——— 月子さんのやってみたいことは。
月子 私は今、ミシンも針目が通んないし、縫い物とかボタン付けるも針目が通んないですよね。
日出代 大変よね。こんな針の穴のこんな細いの。
月子 糸通しっていうの使うけどあれも駄目。
日出代 本当ね、こればかりはしょうがない。
月子 あれも駄目だしね。
日出代 そういうときはどうぞ言ってください。私も何とか一生懸命やります。
月子 でも、今までよく出掛けました。
日出代 だからもう悔いないでしょう。
月子 だからお友達と、あそこも行ったね、ここも行ったね、なんつってね。よく出掛けましたよ。
日出代 脚が利く間ね。
月子 お友達いっぱいできましたからね。今、結構、夜、電話かかってくるんですよ。どうしてる、大丈夫? って。ほら、こういう所だって知らないでしょう。近所の八百屋さんも。毎日、八百屋さん行ってたから、心配して夜、電話かかってくるの。
日出代 私は夜は電話鳴っちゃう。
月子 それから、あと、八百屋さん過ぎるとセブンイレブンがあるんですよ。そこ行って買い物して、その通りの向こうに婦人服のお店があるんですけど、ここへ入るのに、私、ソックスとかみんな荷造りしてこっちに一緒に。
日出代 送ってもらったの。
月子 だから、はきがなくてね。その前のお店行くのにセブンのお兄さんに、「ちょっとあっち渡してくれる?」って言って。そしてその人も男性だから、婦人服のお店初めて見て、きれいだね、なんて。で、帰りにその婦人服のお店のオーナーかな、「私、帰りに送ってくからいいよ、帰って」って。自由に生活してました。
日出代 でも今、入られて後悔してないですよね。
月子 それで八百屋さんからよく電話がかかってくるの。
日出代 よかったね。じゃあ、心配してくだすったんだ。
月子 心配してる。何してる、どうしてる? って。
日出代 月子さんのお顔が見えないから寂しいんだ。
月子 そう。毎日、通ってたからね。
日出代 そうでしょう。でも、お元気でいらっしゃるっていうの伺えば、安心よね。
月子 「元気だよ」って言うとね。「きょう、お風呂入ったよ」とかね。「その間に洗濯してもらったよ」とか言うのね。「じゃあ、よかったね」。みんなが心配してる。
日出代 本当、ここはいい所よ。こっちはみんなお洗濯もお願い。私はお風呂自分で入って、自分でお洗濯してます。それも自由ね。こちらは全てお願いしてあると思いますね。お部屋のお掃除もね。
月子 脱ぐのもヘルパーさんにやってもらう人もいるんだね。
日出代 何を?
月子 脱いだり着たり。できることは自分でやんないとね。これからできなくなったら、みんなお願いしなきゃなんないから。
日出代 そう。動ける間は体も動かさないとね。何年、お世話になるか分かりませんけど。
月子 お金の続く限り、私は。
日出代 そうですね。
月子 お金が続かないと、出てくださいと言われたら出なきゃなんない。ただで住まわせてくんないもん。
日出代 年金からもらってくださいって。
月子 だって年金も今、使ってるもん。
日出代 だから年金ここで。
月子 え?
日出代 年金、ここでお支払い。
月子 ここの?
日出代 ここへ年金払って。
月子 じゃあ、1日二食ぐらいしかもらえない。
日出代 あなたは払いが少ないから二食ですよって? 一食カットされちゃう? そんなことないでしょう。
月子 トイレ使っちゃいけませんよ。
日出代 でもお部屋に付いてるからいいですよ、おトイレの共同は嫌ですね。特に夜ね。
月子 怖いもんね。
日出代 私、他の施設入ったら、夜、外出てかなくちゃいけないのね。そうしたら、男性と出くわしちゃったの。嫌です。私なんかうっかりもう誰もいないかと見てあれして、パジャマでぱっと行こうと思うと隣の隣、一人出てきちゃって、大変だと思って。だから、これは駄目だ、こういう所は絶対入れないと思ってね。ここは個室にあるから。
月子 生命はうちにいるより安全ですね。
日出代 そう、安心していられますね。
——— きょうは長いお時間ありがとうございました。
・・・
日出代さんは細かいことによく気付かれ、体もよく動く。お話しながら身振り手振りも表情も豊かで朗らか。盛りだくさんの仕事をこなす日々が何十年続いたのだろう。ここでも今でも毎食の支度に欠かさず活躍されているという。月子さんは入居して一か月が経ったぐらいの時期だった。じっと会話に耳を傾け、控えめながらもご自分のお話もされる理知的な佇まい。お歳を伺い驚いた。
インタビューはたしかに楽しい時間だった。しかし、彼女たちがなぜ私たちと出会うことになったのか。その経緯と、高齢者住宅というその場にいるということを、よくよく考えてみるとどうだろうか。
生きものは、食べることを欠かしては、命を存続することはできない。ただ毎日食べ、生きる。昨日も今日も、明日もそのまたずっと先も続く。生きている限りは。食べるものを用意するという役割は、生きることを根源的に支えることを意味する。彼女たちは、生きることと同義に身に染みつき、本能的に繰り返してきた暮らしを手放してきたからこそ、今ここに住んでいる。幾千回、幾万回となく、その場に立ち、水を流し、火をつけ、湯気と共にあった自分の台所を後にしてきた。それが背景にある。
私だけの流し。私だけのコンロ。私だけのオーブン。愛するお鍋たち。台所の全て。水栓を閉め、ガスの元栓を閉め、エプロンを外して立ち去る。入居、入所する誰しもがそのステップを少なからず経てきているのだろう、ということに思い当たり、その重みをじっと確かめた。我と我が家族を生かすために。その場に立たない日が来ることなど、思いもしないで立ち続けてきたその場所を手放す気持ちはどんなものだろうか。介護を受けるということは、不本意ながらも、その後を生きるための選択として、今までの自分では難しくなった生活をだんだん手放していくことのはじまりなのだ。その喪失の大きさは、彼女たちの往時の活躍を聞けば聞くほど想像に余る。インタビュー中に問わず語りで繰り返された言葉の影にも、その喪失感はいくつも潜んでいた。
「できることやりたかったけどね。そうはいかなくてね。」
「入って、って言われるのと、自分からっていうのはね。やっぱり自分で決めなくてはね。」
「ずっと自分がひとりだと、迷惑かかっちゃう。いずれはお世話にならないで、こういうところ入って。」
「決断するの大変だった? 私も決断できました。自分で決めたからには、どんなことがあっても我慢しなきゃ。そうなるとやだ、とは言えないですよね。」
さようなら、私の台所。彼女たちは、別れを告げてきている。声色、表情。自分に言い聞かすような口ぶり。軽いおしゃべりのような空気を装いながら、まだまだ整理のつかない気持ちが、その場には漂っていた。施設の中でレクリエーション的に扱われ、広く設けられていることを「それって、とても良いことですよね」と語る奥底にあるものは何か。
家では困難になってきたことを、入居しても手放しきってしまわない。すべてをケアしてもらうだけの人にならないよう、お互いさまで返し合う。時代が変化しきって、「暮らす」ことに熟達しないまま生きる、今の人たちに手ほどきをする。母性には「他者を生かしたい」「助けたいと思う感性」が含まれる。介護や医療などのケアに関わる人の根底に流れている感性にも、共通していると言われている。
その感性はケアされる人たちにも、息づいている。生活は続く。どこからどこまで、ということはなく、時間によって形を変えるが、なくなるものではない。その感性を発揮する機会は、歳を取る中でやってくる尊厳に迫る痛みを慰め得る。大丈夫、できる。包丁を握り、おひつの蓋を開く。他者の挙動を見つめるまなざし。母なるものは彼女たちの中に息づいていた。
(完)
※ 人物の名称は仮名です