B子さん(仮名)
年齢:
85 歳 (2019年12月インタビュー時点)
性別:
女性
生年月日:
1934年
居住地:
東京都
同居家族:
ひとり暮らし(約週1回のペースで娘が来訪。アパートの下の階に弟夫婦が居住しているが、あまり交流はない)
職業:
元秘書
発症年齢:
81 歳頃
診断名:
アルツハイマー型
介護保険サービス利用:
看護小規模多機能型居宅介護サービス利用
(通所デイ週2回、ショートステイ月3回)
当事者同士の集まり頻度:
特になし
これまでのあゆみ
2015年(81)
夫の仕事の関係で海外暮らしをしていた
夫が退職してしばらくしてから介護が必要になり、夫の介護をしていた
この年のお正月におせちを2回注文したり、道に迷ったりした。おせちのことがショックで、病院に行こうと思う
診断
2015年(81)
その後すぐに区役所のもの忘れ相談に電話をすると、診断医を紹介してもらえたため、娘と一緒に受診する
アルツハイマー型認知症の診断を受ける
2015年(81)
診断を受けた後、父の介護で本人が疲労しないよう、娘が介護申請の手続きを進め、一旦緊急ホームステイを利用する(この時は要支援1か2)。
娘に認知症=徘徊のイメージがあったため、グループホームを探し始める
2015年(81)
娘は「本人が道に迷ったらどうすれば良いか」と警察に相談する。警察から「靴の裏でもなんでもいいから名前と電話さえ書いていれば、道に迷ったとしても送り届けられるから大丈夫」と教えてくれた。それを聞き、娘は地域で暮らしていけるかもしれないと思い安心した。
父の介護でお世話になっている事業所からも大事なアドバイスを多く受け、多忙な娘の生活はなんとか保てて助かっている
2017年(83)
骨折を機に夫が老健、特養へと住み替え。週1で一人でお見舞いに行く
2019年(85)
今の看護小規模多機能型居宅介護サービス事業所は夫の時からよく知っているし、人と雰囲気が良く、皆の感じが自分に合ってとてもいい
一人暮らしも継続していて居心地よく暮らせている
2020年(86)
娘の家族が新型コロナウイルスに感染。娘も濃厚接触者となり、二週間の自主隔離となる
介護サービス事業所に助けられて乗り切れたが、一人暮らしを続けることの難しさを実感
2021年(87)
デイサービスからの帰宅後、家の中で鍵を紛失。外で鍵を落としたのではないか、誰かが家に侵入してくるのではないかと怯えて、SOSの電話が事業所や娘にかかってくるようになる。
以前から申し込んでいた、娘の自宅から近いグループホームに空きがあることがわかり、急遽、入居する
人生・生活の喜び
1
発症前後で変わらない喜び
日本文学・英語・フランス語につながる趣味(三味線・歌舞伎・美術・映画・ファッション)
2
発症後の喜び
通っている事業所のみんな、来ているみんなの人がとてもよく、居心地のいいここが好き
3
発症前後で変わらない喜び
人との心の通じ合い。映画行ってきたの!とかおいしいね!とか嬉しい・悲しいことを共有できることが幸せ
4
発症前後で変わらない喜び
人にはこだわる。相性がいい人は最初からいい。自分の感覚があっていると実証されていくことが嬉しい。
今後やってみたいこと
人に完全に迷惑かけないで死ぬことはできないから、娘もいて、そばにいる義理の妹と弟と、十分信頼しあって、困ったらなんでも言ってねというような助け合いの関係性を作っている。私が助けてもらう側ですけどね。看護小規模多機能型居宅介護サービスの事業所もいいし、とてもラッキーです。周りの皆さんはお育ちがよく、淡々としている。詮索はしない。感覚的にいやなことはない。しきる人もいないし、快適です。
ラッキーだと思う、思わないかは個人次第だと思います。大雑把に考えてラッキーで、大体こんなもんでいいかなと思ったりする。上ばっかり見ていたら辛いから、ちょっと楽なところで日常を暮らしていけたらいいなと思います。
生活課題
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薬の飲み忘れがたまにはあるカレンダーに薬を入れてもらえば飲み忘れは防ぐことができる
心身機能障害
社会へのメッセージ
好きなことをやる!生きることを楽しくしたいと思っている。一番大事なことは自分が楽しいことよね。あとは体力あってのこと。自分を労っていくことは基本にあることだと思います。
無駄だと思っていても人間何があるか分からない。いつか役立つ。素直に人の話を聞く。ちょっとでもやっておけば、道が開けると思います。
長寿の秘訣は、おっちょこちょい、いやなことを真剣にやらない、好きなことをする。背伸びはしない。初めから自分にあったところに行って、楽しく、普通の幸せが一番幸せかなと思う。私は自分にあったことをできたかな。