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H.T

年齢:

59 歳 ((2019年10月インタビュー時))

性別:

女性

生年月日:

1960年

居住地:

富山県

同居家族:

夫と母と三人暮らし

職業:

薬屋の仲卸やショッピングセンターの肉屋で試食販売/今は放課後等デイサービスでボランティア

発症年齢:

58 歳頃

診断年齢:

58 歳

診断名:

アルツハイマー型
若年性アルツハイマー型認知症

認知症の評価スケール?Mini-Mental State Examination(MMSE)
国際的に最も広く用いられている本人への質問式の認知症のスクリーニング検査。見当識、記銘力、注意・計算、言語機能、口頭命令動作、図形模写等の認知機能の評価からなり、総得点30点で一般に23点以下を認知症の疑いとする長谷川式スケール(HDS-R)
我が国で広く用いられている本人への質問式の認知症のスクリーニング検査。年齢、見当識、3単語の即時記銘と遅延再生、計算、数字の逆唱、物品記銘、言語流暢性の9項目からなり、総得点30点で、一般に20点以下を認知症の疑いとする。
:

HDS-R 20点台

要介護度?介護保険制度において、心身の状況に応じて判定される介護の必要度。なんらかの社会的支援を要する要支援(1・2)、部分的(要介護1)から最重度(要介護5)の介護を要する要介護の段階がある。<:

要介護2

介護保険サービス利用:

認知症対応型通所介護、認知症デイ、訪問看護、訪問介護

これまでのあゆみ

1980年(20歳〜)

専門学校で簿記などを勉強し、卒業してから個人店で薬の仲卸の仕事をしていた。お店を畳むことになり辞める
その後はショッピングセンターの中の肉屋で長く、一生懸命働いていた。土日も試食販売もしていた。「おばちゃん」と近所の子どもたちが駆け寄ってきてくれるのが嬉しかった。学校を卒業した子でも帰省したときに顔を出してくれることもあった

2018年

物忘れが気になるようになる
夫の兄の葬儀に向かうが迷子になったことがきっかけで、息子たちから勧められ、病院の物忘れ外来を受診する

2018年

軽度の認知障害と診断を受けるが、治療も薬もなく、クリニックにかかりつけを替え、治療中
脳内出血で倒れた父の面倒もみたこともあり、認知症とはこういうものか、いつかは自分も父親と同じようになるのだろうかと思っている

2019年

薬の管理など難しいこともあるが、妹と息子2人がLINEのグループをつくり色々とやりとりをして工夫をしながら暮らしている

2019年(59歳)

仕事を辞めてから、民生委員の紹介があり、障害のある子どもたちの放課後デイサービスでボランティアをしている。見学に行ったことが気持ちのターニングポイントになった
子どものおやつを出したり、危険なことがないように見守っている。みんな「先生」と呼んで、素直でかわいらしい。もともとボーイスカウトでいろいろな子どもたちの面倒をみてきた

2019年(59歳)

子どもたちと話し、運転は危ないので運転免許を返納する

2019年(59歳)

自分の状態はどうにか止められるものではなくて、進んでいるのは確かなんだなと思う

人生・生活の喜び

1

発症後の喜び

ボランティアで子どもたちと一緒に時間を過ごすこと

2

発症前後で変わらない喜び

散歩をすること

今後やってみたいこと

今の仕事(放課後等デイサービス)で、子どもたちとの関わりを続けたい。走ってきて抱きついてきてくれる子どもたちはみんな可愛らしい。子どもたちから元気をもらっている。

生活課題

心身機能障害

社会へのメッセージ

皆さんに助けてもらっています。でも、だんだんとできていたこともできなくなるだろうが、少しでも長い間自分のことは自分でできればそれでいいかなと思っています。迷惑をかけないように。自分で新しいことをするのは無理だから、現状維持ができればいいです。
子どもたちと一緒にいられると元気がもらえるので、続けていきたいです。