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福田 修一

フクダ シュウイチ

年齢:

69 歳 (2019年8月インタビュー時点)

性別:

男性

生年月日:

昭和25年

居住地:

東京都八王子市

同居家族:

妻と息子と3人暮らし+愛犬

職業:

商社保険部営業職から副支店長

発症年齢:

64 歳頃

診断名:

脳血管性型

要介護度?介護保険制度において、心身の状況に応じて判定される介護の必要度。なんらかの社会的支援を要する要支援(1・2)、部分的(要介護1)から最重度(要介護5)の介護を要する要介護の段階がある。<:

要介護1 (2018年6月時点)

介護保険サービス利用:

週に3回デイサービス利用

これまでのあゆみ

2010年(60歳)

会社を退職する
退職後は、犬の散歩やテニスをして家族との時間を大切に過ごす

2016年(66歳)

テニスをやっていて、つまづきや転んだりすることが増え、今までのプレイができなくなる

2016年(66歳)

ある日自分がどの道順で今この場所に到達したか、今ここがどこなのかがわからず、とても不思議に思う
全部を忘れはしないが部分的に物忘れをすることに気づき始め、だんだん「無理だな」と思う

診断

2016年(66歳)

妻に心配を掛けたくないため、信頼できる友達と病院を受診したところ、認知症の診断を受ける

2016年(66歳)

診断を受けたことで落ち込むが、友人から「認知症があってもお前はお前だ」と勇気づけられる
妻が幼なじみ仲間へ「夫が認知症の診断を受けましたが変わらずよろしくお願いします」と手紙を書いてくれ、心からありがたく思う
仲間との交流を続けられることに気持ちが救われる

2017年(67歳)

テニスも自動車運転も辞める
介護保険申請をする
妻とケアマネと見学にきたデイサービスに通い始める

2019年(69歳)

デイサービスで知り合った仲間ともユニークな冗談で笑い合えている

人生・生活の喜び

1

今は諦めてしまった喜び

テニス。いきがいだった(30年間)

2

発症前後で変わらない喜び

幼稚園時代や、小〜大学時代の同級生仲間とのつながり。カラオケの最後にみんなで高校三年生を歌って泣く

3

発症前後で変わらない喜び

妻、子供、犬のマハロ、そして友達がいてくれること

4

発症前後で変わらない喜び

人を笑わすこと。「それは結構自信があります(機転がきくので)」

今後やってみたいこと

仲間や奥さんと畑をやったり、本を読み合ったりしたい。
LINEをこれからやりたい。

母親の最後は見たいと思っている。
入院していた父親の「お母さんを頼む」と最期の言葉を受け、長男として父親のその遺言は大事にしたいと思う。
「一番尊敬する親父。書道塾の先生で人望から生徒が増えていった。
ハンディを背負っているにもかかわらず、結構いろんな人の為になった。その努力は彼のもんだと思う。
サラリーマンとしてはどうすればいいかを、親父は中学生の僕に銭湯でコソコソと教えてくれた。親父からは、人格のことなんかを勉強したんだろうと思う。」

生活課題

心身機能障害

社会へのメッセージ

自分が急に(脳血管性)認知症になったって、自分では何もやってないから不思議です。
お袋は立派な(アルツハイマー型)認知症で、自分のことはわからないし、同じことを繰り返しますが、自分にはそれはないです。
(お袋は、施設でいろいろみんなを楽しませています。昔からすごい人気者で、周りじゅうに人気が出るような人です。尊敬しています。)

だから僕は自分で認知症は認めてないんですよ。私は認知症、そういう人がいても、それだったら俺の方がまだいいよねと思う場合もあります。認知症のことは、ちょっと世間が馬鹿にし過ぎとか、認知症っていうとひとくちに全部が一緒なのかがよくわからないですが。

僕けっこう反抗的で、大して知らないのに分かるわけないだろうと思っています。僕の友達も同じです。いろいろ勉強して知識が広く信用できる友達と「どれ、そんなのおかしいよ。調べた方がいいよ」と。全然な医者も多いです。医者はとにかく診察室であなた認知症ですと。認知症って何だよ、正直聞いたことなかった。

俺はこんなことを言われたけれど、なんだこれはとその友達に聞いたら、友達が最近これ(認知症)流行ってんだよ、他の国でもと言われた。
友達は「なんとか俺も勉強するけど、お前も勉強やってくれないか」と言ってくれて、友達は自分と一緒に勉強してくれています。

私は周りからとやかく言われるのは嫌いです。それに、全部他人にやってもらいたい人なんているんでしょうか。自分が億劫に思うことよりも、楽しいことをしたほうがいいと私は思います。

今は、仲間に恵まれたなあ、と知ったかな。
意見の合う人が何人かいて、お互いに何でも言えるのがいいです。
言えるのは一番いいんです、毎日楽しいですし、自分も成長できますから。
嫌なことをやるとダメです。嫌な人とかも。
楽しんでやればいいと私は思いますけどね。
生きてるんだから、別に悲しくはないです。
自分に自信がありすぎると、自分がちょっと失敗するとへこむでしょ?自分は別にそんな大したことはない。また飯食って眠ればいいんだから、と思います。
時間がもったいないし、楽しめばいいんです。

仲間と一緒にどんどんいろんなことをやる。叩かれても負けないで、どんどん新しいことやっていって過ごしてればいいと思ういます。どうせ人間みんな死んでしまいますし。

根本はいろいろみんな努力して、分かち合って、全員で楽しんで、また明日もやろうぜ!というような人達を増やしていけば、どんどんよくなって、整っていくと思います。

そういう友達、歌だとか、そういういろんな物を、ずっと取っとくといいよ。
あなたが、結婚したり子供ができたりなんかして、そういうものをまたあなたが引き継ぐと、すごく大事になるから。
一回止めちゃっても、また継ぎ足すと、また多くなる。いい加減にやってもう来年はいいやと思ってはダメで、毎年繰り返しているとそれが繋がっていくんです。今の私はそれでよく助けられています。結局今この年になると、3、4人癌の手術をしています。徐々にお見舞いに行ったり、癌のような事件があるじゃないですか。お互いに友達がいたら、「福田、ちょっとお見舞いに行ってくれよ」と。それを何回もやって、癌になったら一緒に行って馬鹿な話をしてね。そういうのをいくつも積み重ねて、今日があるということ。

友達からはずるいやつ、と言われる。だけどこいつはリーダーシップを取ると言ってくれる。そういう面も含めて、分かってもらっています。だから一生の付き合いですよね。
私のことを理解してくれて、奥さんが手紙でやりとりを継続してくれたり。奥さんは奥さん同士でつながっていたり。
年下の女房でね。お互い健康で、お互い求められながら、やっぱり労わりながら、ずっと行こうやって感じです。
それぞれがいろんな人種、人間性だから。お互い同士を助け合って生きてるという感じで、両輪のような今のままでいいんじゃないですか。

私は置きっぱなしにしたりしょっちゅうやっています。結局、女房に「私じゃなきゃダメなんだね」って思わせるんですよ。(笑)

女房は本当によくやっています。
女房が筆がまめなものですから、結構女房だけで自分の状況を仲間に報告してくれたから、仲間がそんな女房を「いい嫁さんだな」と言ってくれると、俺もありがたいし、嬉しいですよ。
女房には頭が上がらない。彼女なくしてはダメだね。