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窪木 巖

クボキ イワオ

年齢:

72 歳 (2019年8月インタビュー時点)

性別:

男性

生年月日:

昭和21年

居住地:

東京都八王子市

同居家族:

息子と2人暮らし

職業:

元飲食業

発症年齢:

66 歳頃

診断年齢:

66 歳

診断名:

アルツハイマー型

認知症の評価スケール?Mini-Mental State Examination(MMSE)
国際的に最も広く用いられている本人への質問式の認知症のスクリーニング検査。見当識、記銘力、注意・計算、言語機能、口頭命令動作、図形模写等の認知機能の評価からなり、総得点30点で一般に23点以下を認知症の疑いとする長谷川式スケール(HDS-R)
我が国で広く用いられている本人への質問式の認知症のスクリーニング検査。年齢、見当識、3単語の即時記銘と遅延再生、計算、数字の逆唱、物品記銘、言語流暢性の9項目からなり、総得点30点で、一般に20点以下を認知症の疑いとする。
:

HDS-R 17点 (2019年9月時点)

要介護度?介護保険制度において、心身の状況に応じて判定される介護の必要度。なんらかの社会的支援を要する要支援(1・2)、部分的(要介護1)から最重度(要介護5)の介護を要する要介護の段階がある。<:

要介護2 (2019年8月時点)

介護保険サービス利用:

週に5回デイサービス利用

これまでのあゆみ

2006年(59歳)

妻が他界する。一人で大変な思いの中、自身の和食店の切り盛りをする

2012年(65歳)

歯医者の予約を忘れて行かないなど、自分でも忘れることに気付き始める

診断

2013年(66歳)

もの忘れがあることの自覚があるので、息子の嫁と一緒に病院を受診する
もの忘れの症状が増え始めて、自分の和食店を辞めるが、身体は元気なのでまだ料理を続けたいと思う
息子の嫁が介護申請などいろいろな調整をしてくれる

2013年(66歳)

運転の危険性はなかったが、認知症の診断を受けて運転を中止する

2018年(71歳)

運動ができるリハビリ型デイに通っていたが、ケアマネから「手先が器用なので、活動や仕事ができるところが向いてるのでは」と言われ、紹介されたデイへ息子の嫁と偶然見学に行くと、そこで行っている仕事が楽しそうだと気に入る。
人員の空きがなかったので、リハビリ型デイにほぼ毎日行きながら、空きが出ることを待つ

2019年(72歳)

空きが出たデイに行き始め、仕事があることを気にいる

2019年(72)

デイで精一杯靴べらづくりをしたり、地方紙のポスティングをしたり、デイの仲間と自分のしたいことが出来ていると感じている

人生・生活の喜び

1

今は諦めてしまった喜び

料理(ずっと飲食業回で働き、自分の店も出店していた)

2

今は諦めてしまった喜び

ゴルフ

3

発症後の喜び

デイサービスの仕事の靴べらを作って人に買ってもらえること

今後やってみたいこと

今の生活に満足している。これから先のことはもう、あまり考えられない。身体が動けば、それだけ靴べらづくりが出来ると思うので、「お前来なくていいよ」って言われるまでは来たい。

生活課題

心身機能障害

社会へのメッセージ

自分で自分のお店を全てやってきましたから。今も自分の家の掃除や、これまでコツコツ仕事をして溜めてきたお金や年金などの通帳の管理は自分でしたいし、できると思うけど、やれないことに対して、最初の頃はふざけるな、人を何だと思ってるんだと思いました。しなきゃいけないというポリシーがありますから。俺はこうやって一通りのことはやれているし、自分の年金から何からみんな持っていかれて管理されちゃって、自分はモルモットではないと。
ただ、家族には家族の考え方があって、良かれと思ってやっているから、俺が迷惑だと思っていることは夢にも思っていないと思う。ただ認知症だということで、少しでも俺の気持ちが前に行くようにやってくれていると思うんだけどさ。何かの拍子に、何でここまでいちいちやるんだよ、と。「下さい」と言わなければ自分の年金も渡してくれない。使うことないだろうと思われていて、何を買いたいというわけではないけれど、精神的なことなんです。
今よりも足腰が立たなくなれば、身の回りのことを色々としてもらえれば助かるんでしょうけど。
まあ、今になってみるとそれでいいのかなと思って、だんだんだんだん慣らされちゃいましたね。

自分なりに何かを作れることが面白いと感じています。みんな同じような年代の人が集まり一緒に働いてるというのは…何て言うのかな。なんとなく、今までと、今までやってきてたこととは違う、何かがあるんですよね。毎日来てても嫌になることではないし、自分の好きなこと、仕事が出来ていると感じます。

何か物を作るっていう方が自分には合っていると言ったらおかしいですけど。竹を削って仕上げる靴べらも、やっぱり同じ物が出来ないですから。なるべく同じ物を作ろうと思ってやってはいるんですけど、なかなか同じ物なんか絶対出来ないでしょ?竹の節も違うし、切り口も違うし。二度と出来ないと思うしね。それを、自分の思う通りの形に仕上げるというのは、やっぱりひとつ面白みかもしれないですね。そして、「よく出来たな。これなら売れるな」と思えることが今一番の中心です。

認知症のイメージは徘徊。うちの親父がそうでした。そうならないように、人に迷惑をかけないという一線を引く気持ちが先にあるので、自分じゃしっかりしなきゃいけないなと思っています。こちら(デイ)を休んで迷惑をかけたくないという気持ちもありますし。
今でもやっぱり、認知症ってことに対して、「待ってくれ」という気持ちもどっかにあるのでしょうね。自分でもちゃんと出来るんだと、人に迷惑かけてないんだという気持ちもあります。