認知症とともに生きる
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藤澤英雄(仮名)

年齢:

61 歳 (2019年9月インタビュー時点)

性別:

男性

生年月日:

1958年

居住地:

千葉県千葉市

同居家族:

妻と息子の3人暮らし

職業:

元会社員

発症年齢:

54 歳頃

診断年齢:

54 歳

診断名:

脳血管性型

認知症の評価スケール?Mini-Mental State Examination(MMSE)
国際的に最も広く用いられている本人への質問式の認知症のスクリーニング検査。見当識、記銘力、注意・計算、言語機能、口頭命令動作、図形模写等の認知機能の評価からなり、総得点30点で一般に23点以下を認知症の疑いとする長谷川式スケール(HDS-R)
我が国で広く用いられている本人への質問式の認知症のスクリーニング検査。年齢、見当識、3単語の即時記銘と遅延再生、計算、数字の逆唱、物品記銘、言語流暢性の9項目からなり、総得点30点で、一般に20点以下を認知症の疑いとする。
:

MMSE 24点

要介護度?介護保険制度において、心身の状況に応じて判定される介護の必要度。なんらかの社会的支援を要する要支援(1・2)、部分的(要介護1)から最重度(要介護5)の介護を要する要介護の段階がある。<:

未申請

これまでのあゆみ

2011年(53)

うつ病ではないが、すごく疲れたり、イライラしたりしている

診断

2012年(54)

何回も言ったことのある土地での姪の結婚式の時に、「すぐに帰ろう帰ろう」とパニックになる。息子も「お父さん、あれ?」と不思議に思う
出張から会社に戻ってきて疲弊している中ファイルをまとめるのが困難になったり、また上司との面談の内容を忘れたり、PC業務が難しい
会社で、大事なファイルを消してしまうという大きなミスをするが、自分ではわからない。会社内でも迷子になる
上司や、昔の脳腫瘍の病気を知る昔の同僚も病気を疑い、検査をしましょうと会社から連絡があり、妻がパニックになる
大学病院ではアルツハイマー型認知症の診断を受けたが、地域包括支援センターの担当者が症状がどうも違うとのことで、会社の産業医に相談すると意見が一致し、産業医所属の病院でもう一度検査をすることになる
脳血管性認知症の診断を受ける
地域包括支援センターや産業医に支えてもらう

2014年(56)

「周囲に迷惑をかけたくない」との思いで、休職を希望する
再雇用についても、自らの希望で行わないことにした

2018年(60)

定年の記念式典に出席し、会社を退職する。病気をどこまで知っているかわからない同僚から「すごく心配していたんだよ」と声をかけられる
出席者名簿により「また連絡してね」と便りを出したが誰一人から連絡が帰ってこずショックを受ける

2018年(60)

会社も退職し、地域との繋がりがなく、寂しい。自分だけ病気で辛い(妻:普段愚痴を言わない人なのに初めて気持ちを吐露する)

人生・生活の喜び

1

発症前後で変わらない喜び

歴史、戦争、医療系に関わる本を読むこと

2

発症前後で変わらない喜び

お風呂が好き。自分で釜を洗って、一番風呂に入るのが好き

3

発症前後で変わらない喜び

テレビでニュースやドラマを見る。大門未知子!

4

発症前後で変わらない喜び

妻の誕生日にケーキや花を買ってきてサプライズをする

今後やってみたいこと

もう一回会社に戻って仕事をやってみたい。
退職しても関連会社に行って働いている人もいる。それを聞いてるといいなと思います。

生活課題

心身機能障害

社会へのメッセージ

1日1日を楽しく過ごしたいです。