認知症とともに生きる
暮らしの知恵を
募集しています

知恵を見る

S.K

年齢:

83 歳 (2019年12月インタビュー時点)

性別:

女性

生年月日:

1936年

居住地:

群馬県沼田市

同居家族:

老人保健施設のひとり部屋

職業:

元自営業(洋服小売店)

発症年齢:

75 歳頃

診断年齢:

80 歳

診断名:

アルツハイマー型

認知症の評価スケール?Mini-Mental State Examination(MMSE)
国際的に最も広く用いられている本人への質問式の認知症のスクリーニング検査。見当識、記銘力、注意・計算、言語機能、口頭命令動作、図形模写等の認知機能の評価からなり、総得点30点で一般に23点以下を認知症の疑いとする長谷川式スケール(HDS-R)
我が国で広く用いられている本人への質問式の認知症のスクリーニング検査。年齢、見当識、3単語の即時記銘と遅延再生、計算、数字の逆唱、物品記銘、言語流暢性の9項目からなり、総得点30点で、一般に20点以下を認知症の疑いとする。
:

MMSE 3点 (2017年6月)

要介護度?介護保険制度において、心身の状況に応じて判定される介護の必要度。なんらかの社会的支援を要する要支援(1・2)、部分的(要介護1)から最重度(要介護5)の介護を要する要介護の段階がある。<:

要介護3 (2018年6月時点)

介護保険サービス利用:

週に7回デイサービス利用
(4回は通常型デイサービス、3回はグループホームでの共用型デイサービス)

これまでのあゆみ

2015年(79)

夫が逝去し、気分が塞ぎ込む。今まで夫が支えてくれたことに気づく
この頃に一度体調を崩して入院する(家族によると入院前後で本人の認知機能の状態が悪化したように思うとのこと)

2015年(79)

退院後自宅で家事はこなして暮らしている
民生委員が訪問した際、その訪問の意味がわからず、お金を払おうとすることに民生委員が気づく
民生委員が在宅介護支援センターと次女へ電話し、認知症専門病院と連携し始める

2016年(80)

1月 買い物へ行って迷ってしまう。警察に送り届けてもらう
家族は、この頃から本人の視力が落ち、交通事故や鍋を焦がすことによる家事の心配をしている

2016年(80)

5月 自分で問題なく暮らせていると思っているため病院への受診は同意しないものの、家族が受診につなげようと半年間考えた末、「全員が受ける健康診断に行こうよ」と受信に誘う
この頃、同じことを何度も繰り返したりしている

診断

2016年(80)

認知症の診断を受ける(家族によると、本人は耳が遠くてほとんど話が聞こえていない)

2016年(80)

人を自宅に入れることに対して抵抗感があるが、訪問介護の利用を開始する。本人の希望である在宅継続できるように、ケアマネジャーや家族等が環境を調整し始める

2016年(80)

ケアマネによると、3〜4ヶ月してくると、だんだん介護サービスのある暮らしになじみはじめる
この頃は自宅から300m離れたコンビニに定番の好きな食べ物を買いに行って食べることが暮らしの楽しみ

2018年(82)

外出先で迷っても近所の人や警察の人と顔なじみになり、「帰ろうよ」と家まで送り届けてもらう
ただ、家族の心配を受けたくないという考えを家族は感じており、どう支援しようかケアマネに密に相談する

2018年(82)

8月 ケアマネや家族が、自宅で暮らせるための工夫を様々考える(外から鍵を開けられるようにする、家の中の動線を考えて明かりが足りないところにライトを足すなど)。手を尽くしているところで、要介護3の認定を受けたことにより、特養を検討しはじめる

2019年(83)

5月 自宅で転倒。この頃トイレが難しくなり、トイレから出たところで立てなくなっている様子を訪問した家族が発見する。足を痛め、老健の認知症棟へ緊急入所する
入所したころ、夕方になって自宅に帰りたいと泣く姿を見るのを家族が心苦しく思うが、定期的に面会に足を運ぶ

2019年(83)

老健でのテーブルふきや片付けなどを手伝うようになり、少しずつ老健での暮らしに慣れてきていることに、家族やケアマネの心配も和らいでいる

生活課題

心身機能障害