菅野清(仮名)
年齢:
49 歳 (2019年8月インタビュー時点)
性別:
男性
生年月日:
1971年
居住地:
千葉県千葉市
同居家族:
なし
職業:
元会社員/土木エンジニア
発症年齢:
47 歳頃
診断年齢:
48 歳
診断名:
若年性認知症(脳虚血による脳梗塞影響の可能性)
要介護度?介護保険制度において、心身の状況に応じて判定される介護の必要度。なんらかの社会的支援を要する要支援(1・2)、部分的(要介護1)から最重度(要介護5)の介護を要する要介護の段階がある。<:
要介護1 (2019年8月)
これまでのあゆみ
1989年(18歳)
高校卒業後、地方公務員技術職として勤務し、その後も複数の公的機関等に出向し、従事する
同郷の女性と結婚し、子供も授かるが、北海道への転勤と同時期に離婚
不規則な生活で仕事中心の生活が30年以上にわたり、例えば夕食は深夜1時を過ぎ、睡眠時間は3~4時間が常態化する
2013年(42歳)
ある公的機関在籍時に倒れ一過性脳虚血発作(軽度の脳梗塞)と診断される。医師に休養を指示されるが、東日本大震災復興支援業務に従事していたため、休養・治療に専念できず、すぐに職場復帰する。
しかし、職場復帰後から少しずつ生活に違和感が生じる
2018年(47歳)
官民人事交流により大学勤務となり、技術職を離れ初めての人事職に就くも、3か月後にインフルエンザ発症。その後、自分が作った資料(エクセル等)の意味が分からなくなる。マニュアルを作っても対応できない
認知症の疑いから入院してMRI等の検査をする。数字が全く使えなくなり、物忘れもひどくなる
通勤の経路が怪しくなる。JR線一本で通勤できるが、間違って地下鉄に乗ったり、途中の駅で降りてしまったりする
満員電車にも耐えられなくなるなど、自身でも病状すらわからない状態になり、あらためて勤務先の病院で診察してもらう
診断
2019年(48歳)
4月に大学勤務及び公的機関を完全に退職。若年性認知症の診断を受け入れられず、脳の機能を復活させたいと思い漢字や数字のドリルをやっている
体型から無呼吸症候群と併せ、脳に十分な酸素が入っていないことが検査により判明する。これからシーパップを使って治療するが、十分な酸素を取り込むことで回復するのではないかと期待している
就職への意欲はあり医師からもダメとは言われていないが、責任感から職務を全うできないのではないかとためらいがある
6月に生活保護の申請をし7月に決定した。また、障害年金を給付できないか社労士に相談しているがなかなか難しい状況が続いている
7月に、地域包括支援センターを紹介された。単身なので、何かあったときに迷惑が掛からないように、同センターに連絡をとっている
人生・生活の喜び
1
発症前後で変わらない喜び
好きな音楽を聴くこと(レコードの音源とジャケットを電子データ化)
2
発症後の喜び
調理をすること(クックパッドや3分間クッキングを参考)
3
発症後の喜び
掃除、洗濯、調理などの一般家事。自身の自由な時間が取れることの喜びが一番大きい
4
発症前後で変わらない喜び
いろいろなことに興味を持つこと。時間ができたので新たなチャレンジ意欲が増した
今後やってみたいこと
自分が手掛けた土木構造物等を見て回りたい。
空き家を借りて、田舎で自給自足の生活をしたい。
いずれは病気が治ったら、これまで時間が取れずになかなか乗れなかった車を修理して乗れるようになりたい。
生活課題
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生活11分類生活課題DATA心身機能障害知恵
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食事は孤食・個食になる牛乳を多く摂取するように心がけたり、一度にたくさんご飯をたいておにぎりにしたり、食事の工夫をする
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躓くことが多くなり、におい・音等の外部の刺激に敏感に。
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不便は感じないが、電気を消し忘れたり、連絡を忘れることがある住まいのあちこちに付箋を張り付けている。しばしば近隣の友人に連絡してもらうこともある
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電気の消し忘れがある光熱費の節約のために、カセットコンロを使って調理している
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潔癖なまでに部屋がきれいで、そういうのがしんどくないかと、人から言われたこともある
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洗濯したことを忘れてしまう。アラームが鳴ったことに気づかないと忘れたまま洗濯機の終了アラームが聞こえるように、室外にある洗濯機を目視できるように窓を開けておく
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スケジュールを忘れることがあるスケジュールをパソコンで友人が共有してくれている。電話の内容はメモしておく
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所得保障以外で、社会保障でできることを知らなかった社会保障でできることを調べ、現在生活保護を受けている
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ATM、通帳、お金の引き出しがむずかしい2019年12月に自己破産手続きを行い、銀行口座などをまとめて少なくした
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会計に時間がかかるあわてず自分のペースで会計する
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所得がないので、社会保障制度を活用したいと思っている現在生活保護受給中。ケースワーカーや包括、士業と相談し使えそうな制度を積極的に活用したいが、進まない
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自己破産するため愛車を手放し、車に乗ることができない愛車を田舎の友達に預けている。いずれは病気を治して車を乗れる時がくるといい
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買い物時に不要なものを買ったり、何を買うべきか忘れる買うものを付箋にはっておき、それを携帯で写真に撮り、買い物時に確認する
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暑さに弱く寒さには強い
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睡眠が浅い。3時間程度しか寝ないが、寝すぎると体が鈍る感じがある
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原因不明の機能低下を防ぐためにアリセプトを服用したが、吐き気がある(現在は常用服用ではない)
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血圧が高く、高血圧と糖尿病の薬も服薬している
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薬の服薬を忘れることもある薬をクリアケースに入れて、アラームをかけていた
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この地域に長年暮らしていたが、地域包括支援センターの存在を知らず、最初はどうしていいかわからなかった単身なので何かあったときに迷惑が掛からないように、今は連絡をとっている
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通勤経路や乗り降りする駅、乗る電車を認識するのが難しい
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満員電車に乗り続けることが苦痛になる
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メールの処理を忘れることがある忘れないように携帯に転送したり、詳しい知人にネットショッピングの手続きなどを手伝ってもらう
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考えたことを言葉にするまで時間がかかる
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自分で作成したものを、後から理解して整理することが難しい。マニュアルを作っても予想と異なる
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指が曲がらずペンを持って文字を書くのに苦労する(現在指はリハビリによって回復)パソコンを使って文章を作成する
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思考を整理して、文章化するのが難しい。すらすら書けなくなってしまったパソコンで思考を整理し文章を作成する
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数字を扱うことができない。多くのことを覚えることも難しい
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簡単な仕分けの仕事ができなかった
心身機能障害
社会へのメッセージ
インタビューを受けてから一年少し経ちました。この一年で自身の考え方も大きく変わり、時間を楽しみ生活できるようになった。病気と正面から向き合うことで、それを受け入れ、自身の病状の進行に合わせて生活しています。この一年間だけでも進行していっている感覚は正直ありますが、生活の工夫で楽しくポジティブな考えで過ごしています。常に手帳を持ち歩きメモすること、進行していく速度に負けないよう、新たな知識を増やそうと、本を読んだり前職同僚などからの文章校正などの依頼にも辞書など片手に取り組んでいます。
この病気になって仕事以外の広い視野が見えるようになった実感と、働けなくなってしまった現在でもその中でどうやって工夫して生活していけばいいか、苦しくても発想の転換で楽しく生活ができるんじゃないかなどと常に前向きスタイルで行こうと思う毎日です。
今年一月から、この病気(認知症)の進み具合を日記に書き綴っています。自身がこの数ヶ月でどのような変化があったか(進行したか?)などを、日記を読み返したり書くことで実感していくことは重要ではないかと思っているのです。いつか日記を書くことも忘れる日がくると思うのですが、その日が来るまで書を綴っていきたいと思います。
それを死後に誰かが読んでくれた時、何かの支えになって、同じ病状の方々に前向きに生きて欲しいのが願いかもしれません。