美並 宏
ミナミ ヒロシ
年齢:
57 歳 (2019年8月インタビュー時点)
性別:
男性
生年月日:
昭和37年
居住地:
東京都八王子市
同居家族:
ひとり暮らし
職業:
元プリントの配線基盤工場勤務/元ガソリンスタンド勤務
診断年齢:
55 歳
診断名:
アルツハイマー型
認知症の評価スケール?Mini-Mental State Examination(MMSE)
国際的に最も広く用いられている本人への質問式の認知症のスクリーニング検査。見当識、記銘力、注意・計算、言語機能、口頭命令動作、図形模写等の認知機能の評価からなり、総得点30点で一般に23点以下を認知症の疑いとする長谷川式スケール(HDS-R)
我が国で広く用いられている本人への質問式の認知症のスクリーニング検査。年齢、見当識、3単語の即時記銘と遅延再生、計算、数字の逆唱、物品記銘、言語流暢性の9項目からなり、総得点30点で、一般に20点以下を認知症の疑いとする。:
認知症日常生活自立度 Ⅱb (2019年3月時点)
要介護度?介護保険制度において、心身の状況に応じて判定される介護の必要度。なんらかの社会的支援を要する要支援(1・2)、部分的(要介護1)から最重度(要介護5)の介護を要する要介護の段階がある。<:
要介護1 (2018年6月時点)
介護保険サービス利用:
週に3回デイサービス利用
週に2回訪問介護(一緒に買い物、掃除、調理等)
当事者同士の集まり頻度:
ヨイヨイ居酒屋(デイサービスが開催する地域サロン)
これまでのあゆみ
2000年(30代)
とある理由で工場を退職した後、転職先のガソリンスタンドで窓を閉め忘れて洗車するなど、仕事にミスが出るようになる
工場の仲間から「会社に頼んでみるからもう一度戻ってこい」と言われ、工場に再就職する
恩義を感じながら勤務していたところ、仕事で再びミスが起きる
2007年(45歳)
配線基盤工場で勤務中、仕事上のトラブルを経験する
2012年(50代)
文字を書くことができないなど、いつもとは違うことが起こり、仕事の配置転換を告げられる
2014年(52歳)
仲間と山登りに行き、みんなが飛んで渡れる川を、自分が渡れなくなり、みんなから置いていかれることが度々ある
集合時間を間違えて山仲間に怒られたり、忘れ物をしたりすることが多くなる
両親を亡くす
この頃、姉がいつもと違う様子に気づく
診断
2017年(55歳)
一人では病院に行けず、弟の付き添いで受診するが、「99%にではない」と言われる
精密検査を受けるため、姉と一緒に受診した専門病院で認知症の診断を受ける
腕の痺れを気にしていたので、認知症の診断後は全く落ちこなかった。脳卒中の類ではなくよかった、とすごくほっとしていたが、仕事をやめて日中家にいることは辛いと感じる
2018年(56歳)
日時を忘れる、金銭管理が難しくなる、片付けがしづらくなる(洗濯物が下駄箱に入っている)などを経験するようになる
その間近所の弟の支援もあったが、姉の居住地の近所に引っ越しを決断する
介護保険申請を受ける
2018年(56歳)
抜け殻状態が続いている
孤独感から人の流れや人の存在を感じるために公共空間で半日1人で座るなどしてみるようになる
姉の誘いによって今のデイザービスに見学に行くことになり、楽しくて居心地が良いところを気に入り、通うことを決める
2019年(57歳)
通い始めたデイを通じて新たな出会いに恵まれ、近所に住む姉夫婦、顔なじみのスーパーのレジの店員にも理解と協力を得ながら、いまこの生活を満喫している
人生・生活の喜び
1
今は諦めてしまった喜び
山登り
2
今は諦めてしまった喜び
マラソン(診断後はやめてしまっているが、また大会に挑戦したい)
3
発症前後で変わらない喜び
車(車の雑誌を見に図書館によく行く。車の運転はしたくてもできない)
4
発症前後で変わらない喜び
読書
5
発症前後で変わらない喜び
お酒
6
発症後の喜び
出会い(認知症の診断を受けてから縁が繋がった仲間に恵まれ、また一期一会を大切にしている)
今後やってみたいこと
山登りや来期のマラソン大会に出たい。
やれるだけやりたいと思うので、来年の春先に向け、準備したい。
生活課題
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生活11分類生活課題DATA心身機能障害知恵
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家の中で眼鏡をよく探す一個だけだと不便なので、眼鏡は二つ作っておく
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空間認知の障害があるため衣類の前後ろをしょっちゅう間違えて着て、家族に直してもらう
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一日着た服と新しい服の判別をつけることが難しく、すでに着たシャツや下着をもう一度着てしまう入浴中に家族が新しい着替えを用意してくれ、着たものは洗濯機の中に入れておいてくれるので間違えない
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どちらが表裏か分かりづらく、裏返しになった靴下を履いてしまう
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空間の捉え方が難しく、ハンガーに服をかけようとするとスルリと服が落ちてしまう
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どちらか一方の靴下をよくなくす靴下がバラ売りされていればまた購入して揃いではける
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スーパーで何を買ってくればいいか忘れることがあるスーパーに行く前にメモを作っておく。冷蔵庫にある・ないのリストを作り、買い忘れがないようにする
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食べ物をいつ買ったか忘れ、賞味期限が切れていることがよくある
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使い慣れていないキッチンだと器具の取り扱いや場所などが分からず手間取る
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握力と筋力が落ちていて2リットルのペットボトルを持つことが難しい漏斗のようなものを作っておき、2リットルから500mlのペットボトルに移し替えて飲むようにしている
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玄関の鍵をかけずに外へ出て鍵がないと探したり、近くに住む家族の家に置き忘れたりする
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鞄の中が見づらく、どこに何があるか把握することが難しい
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カレンダーを見ても、日時の羅列が理解できないスマホで日時を確認する
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今日が何日か何曜日か分からない予定は家族が管理してくれる。カレンダーで終わった日にはバツをつけたり、電子カレンダーがあると良い
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お金の計算が難しい。よく行くスーパーではレジの店員さんにヘルプカードを見せ、出すのを手伝ってもらう
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会計時、小銭を自分で取り出すことが難しい。たたんであるお札も広げづらく、破れたりする小銭をそれぞれ透明のジップ袋に入れておき、計算しやすく準備しておく。ガバッと開く小銭入れもあると良い
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家計の管理が難しいので、お金がなくなってきたら家族に渡してもらうようにしているなくなるくらいの時に家族に渡してもらうようにしている
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レジで自分の後ろに人がたくさん並ぶと焦ってしまい、落ち着いて小銭が出せない
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服薬し忘れることが何度かある近所に住む家族宅でシャワーを借り、出たら家族が用意しておいた薬を服用するような日課を作っている
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車は好きだったが認知症の診断があるので今はもう乗れない
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久しぶりに連絡をくれた友達に認知症になったことを明かすと、それきり返信がこなくなった
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受付予約や会計は単独では難しいので、家族に書類や手続きなど手伝ってもらう
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道が分からず混乱し、標識や看板、コンパスを見て分からなければ大体人に道を聞くが、冒険しないとと思う
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行き先と違うルートのバスに乗ってしまうことがある
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速度や段差の距離感が掴みにくく、エスカレーターにパッと乗れない速度が遅めのエスカレータなら乗れる
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エスカレーターの脇を、人が早い速度で通り過ぎる時怖く感じる
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段差を把握することに一苦労し、階段の上り下りが大変に思う
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メールが来ても、うまく文字を打てず返信が難しい
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図書館で読んだ本を戻す場所が分からず、図書館員の「またですか?」の雰囲気に嫌だなと思う役所も同様で、筆代行サポートしてくれる人がいたり、ちょっとした気遣いや心配りがあると住みやすくなる
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できないことが増えた自分に対し、会社の人から駄目出しやプレッシャーをかけられ、いじめられて寂しかった
心身機能障害
社会へのメッセージ
父親の遺言である「きょうだい仲良く」を大事にしている兄弟ではありましたが、病気になって余計にきょうだいの絆が強くなったと思います。
BLGは自分が素直にいられる居場所です。
肩の力を抜くことができ、リラックスできます。
人の悪口を言わないですし、誰かが難しい顔をしていたら「どうしたの?」と聞いて助けあったりしています。
そして、みんな同じだということが感じられるフラットな関係です。
ここがなかったら、私はどうなっていたか分かりません。
自分の家も好きですが、ここも家みたいに思っています。
テレビに出演する予定です。自分のため、みんなのために、少しでも「こうやってできるんだ」ということをメディアを通して伝えたいです。
「何もできないんだ」ではないことを証明して、認知症に対する社会の誤解を解きたいと思っています。そして、元気のないひとを励ましたいと思います。
健常者も私も、根本的にはみんなそんな変わらないけれど、ただ、少し表現の仕方が違うだけだと思います。
「認知症」とひと区切りにしないで、認知症に対する社会の印象をもっと変えたいです。
認知症があったって、できることがいっぱいありますし、また新しく得るものもあります。私の場合、私が得たものは人です。BLGが最もそれを象徴していると思います。
反省はいっぱいありますが、BLGがあってやっぱり今の自分がある。色々あっても、クヨクヨしたって何も始まらないので、私はくじけません。昔の自分じゃないぞと思います。
人から「ぽいさん」と呼ばれたいです。
どんな時でも自分っぽい、自分でも、人にもそう思ってもらいたい自分でありたいと思います。